■ サイト内検索


AND OR
 
 
 月刊『社会主義』
 過去の特集テーマは
こちら
■ 2025年
■ 2024年
■ 2023年
■ 2022年
■ 2021年
■ 2020年
■ 2019年
■ 2018年
■ 2017年
■ 2016年
■ 2015年
■ 2014年
■ 2013年
■ 2012年
■ 2011年
■ 2010年
■ 2009年
■ 2008年
■ 2007年
■ 2006年
■ 2005年
■ 2004年
■ 2003年
■ 2002年
■ 2001年
■ 2000年
■ 1999年
■ 1998年


 


●2025年11月号
■ ファシズム・ポピュリズムと現在
    伊藤 修

■1. ファシズム・ポピュリズムとどう向き合うか

巻頭の文はふつう、新聞の社説のように、その巻を代表して結論と指針を与えるものだが、本稿はやや違って、複雑ですっきりしないファシズム(あわせてポピュリズム)の概念について“頭を整理する”ことをめざす。
   
最近「こいつはファシストだ」と言いたくなる暴虐な指導者がめだっていないか。プーチンやネタニヤフは大量市民虐殺をしており、その罪で絞首刑になった東条英機たちやナチス幹部と少しも違わない。トランプは少々異質だが、悪質なポピュリストではあろう。彼らや、日本の参政党、保守党、自民党タカ派などの右翼というのは何者なのか、ファシズム、ポピュリズムとは何かを整理しておかないと、どこかで混乱しかねない。正体が定まらないと対応も決まらないからだ。相手がファシズムなら、歴史的に確立した対抗策は「人民戦線」である。左派の統一はもちろん、必要によっては保守本流まで含めた連合を組まねばならない。今の日本で、それを基本方針にすべきか。私にはそうは思えない。こうして対応策まで考えると、ファシズムやポピュリズムの定義、性格を検討しておく必要がある。危険な動きがある現在、そうした整理の上に、情勢と対応を考えようというのが本稿の趣旨である。
   
歴史学、政治学、思想史などの学問分野にあたるが、答えは確定しておらず、簡単ではない。だが勉強すれば得るものはある。後述するが、ファシズムはただ暴虐なだけでなく、それまでの常識をくつがえすようなそれなりの理屈で、大衆を獲得する。浸透するデマゴギーを根元から引きはがして、本当に改善する道を人々に納得してもらうには、紋切り型でない本物の理論、説得力、そして運動が要る。これは現在のわれわれの課題そのものである。

   
   

■2. ファシズムとは何か

ファシズムという言葉はイタリア語の「ファッシ」(fasci=わら束、結束)を語源とし、もともとムッソリーニのファシズモを指す。ナチス・ドイツもふつうファシズムに含められる。また同種の政権はハンガリー、ブルガリア、ポルトガル、スペイン(フランコ体制)にもでき、運動は多くの国に発生した。ところが社会科学上の一般的な概念にしようとすると、どこが共通でどこが違うかが問題になり、議論百出となる。たとえば強烈な政党運動と指導者が要件であれば、昭和日本は該当しないという議論も強い。しかし違いを強調すると教訓がわからなくなるので、広く括って大観するなら、ファシズムには次のような性格があるといってよいだろう。
   
   
・背景
   
第一次大戦後の社会に対する不満の高まりが背景にあり、あらゆる意味でファシズムはその反動であった。
   
ナチスは典型である。第一次大戦後の社会主義革命は敗北したが、当時「世界一自由で民主的」とされたワイマール体制といわれる社会ができた。自由で“進歩的”な政治、社会、文化が謳歌され、一例をあげれば現在LGBTQなどと呼ばれる「性の解放」など、少数者を含めた個人の権利への寛容も広まった。他面で批判的な目からみれば不満のかたまりでもあった。敗戦国ドイツは国際政治から抑圧され、巨額の賠償を課された。インフレが爆発し、のちには失業の大量発生と経済の苦境に陥った。民主的だが不安定で「決まらない政治」が続いた。
   
これに対してナチスは、賠償を強いる国際政治、経済を支配するユダヤ大資本とそれに結びつく腐敗した既成政党、力ずくで権利をとる組織労働者とマルクス主義、これらを支持するエリート、エスタブリッシュメント、インテリ層が敵であると煽動し、それが浸透していった。主な支持層は、大資本や労働組合から外れた中間階級やサラリーマン、未組織などである。「浮ついた自由」でなく伝統的な価値で落ち着きたい、強い指導者と「決められる政治」を待望するという保守的な気分をもった広範な市民層が加わった。ナチといえば全員凶暴な変人だったかというとそうでもなく、能のある社会人も広く加わっていた。そういう勢い、流れというものがこわい。
   
強烈な不満が基盤になり、保革の主な既成政党(国家人民党、中央党、社会民主党など)は支持を落としていき、ナチスと共産党が伸びた。ヒトラー内閣(1933年)直前の32年11月選挙では、ナチス196議席、社民121議席、共産100議席であった。社民と共産が組めばナチスに勝てたが、当時の共産党=コミンテルンは「社民主要打撃論」で社民を叩き、ナチスを助けてしまう致命的誤りを犯した。これを自己批判するのは35年の第7回大会のことである。
   
イタリアの場合も諸勢力乱立で混乱、弱体化した政治社会を背景にしてファシスト党がのし上がった。
   
日本も1930年代に入ると昭和恐慌による失業の激増、農村の貧困、格差拡大で不満が高まり、社会は騒然としてきた。統計研究の成果によれば、明治以降の経済発展とともに貧富の差は拡大し、30年代に格差は最大になった(これは世界的に共通である)。32年の五・一五事件、36年の二・二六事件と大規模なテロが発生したが、青年将校たちの「救国の熱情」に共感して国民から減刑嘆願が殺到した。また31年・満州事変、37年・日中戦争開始と対外紛争が拡大、ナショナリズムも強まった。こうして国民の意識と政治の軸は急速に右に動いたとされる一方で、37年の総選挙では弾圧のなか無産政党が40議席と戦前最高に躍進している。左右の両面がともに存在したといえるのではないか。
   
以上から、国際・国内政治、経済生活、文化といった各面で苦境や混迷が深まって、不満と「敵」への憎悪が増大し、その反動(突破口)としてファシズムがのし上がったというのが共通した背景である。
   
   
・思想
   
そうした不満に対して、ファシズム運動は社会改造を過激に主張した。ファシズムは「運動」の段階と、権力を握ったあとの「体制」の段階とで性格が変わる。体制段階では支配的な大資本と手を結ぶが、運動段階では「反体制」の「革命運動」としてあらわれる。ムッソリーニは元社会党機関紙編集長、ナチスは「民族社会主義労働者党」なのであった。
   
日本では「改造」とか「革新」という言葉がよく使われた。庶民の苦しみは、英米中心の帝国主義の横暴、富を独占する財閥の私益追求、それと結んだ腐敗した既成政党が元凶だとし、反財閥、反既成政治を訴えてテロも辞さず、「白人帝国主義から搾取されるアジアを解放する」のだと主張した(のち実際にはアジアを侵略し搾取収奪した)。そうした「革命性」に目を奪われて、左翼の中にも連合しようとする潮流が出てくる。新興政治勢力の性格の見極めは死活問題となる。
   
右の「革命性」において、ファシズムはふつうの右翼あるいは伝統的右翼とは違うのである。
   
異様で過激なのだが、他面で、他と完全に無関係な孤立した思想というのでもない。イタリア・ファッショは、大衆を引きつけるならいかなるイデオロギーでも使い分けるという方針をとった。ヒトラーも意外に哲学・文化など幅広い読書家だったことがわかっており、優性・優等=適者生存思想(社会ダーウィン主義など)、反ユダヤ主義、反エリート・反知性主義、排外的・侵略的ナショナリズムなど、多様な保守系思想が流れ込んでいた。ファシズムに流れ込み構成要素となるような思想一つひとつを野放しにしていては危険なのだといえる。
   
そのなかで多くのファシズムに共通する思想は、「私益は公益に従属する」(公益優先)であり、私益・利潤追求=資本主義を批判し(ここは「革命性」)、全体目的に奉仕せよとする。それは「共同体に対する義務」という観念を含む。労働や出産もその意味での義務であり、労働できない障害者・病人・弱い者には存在資格がない、子を産まない=「生産性がない」LGBTQも他民族との混血も同様で民族の強さと優等性を汚す、という荒唐無稽で反人間的な主張となる。こんな観念が、優等民族の結束という集団的興奮のなかで浸透していってしまう。
   
ファシズム研究の大家だった故・山口定教授は書いている。

「ファシズムは、自由、平等、民主主義、権利……といった基本概念をすべてファシスト流に読みかえるすべを心得ていたといえる。逆にいえば、ファシズムに反対して民主主義を擁護するためには、単に民主主義擁護のスローガンをくりかえすだけでなく、こうした基本概念のファシスト的読みかえを説得力をもって論破しうる思想レベルでの力量を必要とする」(『ファシズム』有斐閣)。

荒唐無稽、反人間的な考えでも、そんなのは「とんでもない」「ばかげている」と非難し上から理屈を説くだけでは、染まって満足感に浸る人たちには効かない。染まる背景があるからで、「なぜ人を差別してはいけないか」といった基本レベルにまで立ち返り、しかもナマの生活に訴えて、納得を得るような説得が必要なのである。
   
敗北後のコミンテルン第7回大会(1935年)での有名なディミトロフ報告も、「われわれは大衆に身近な、わかりやすい言葉で、簡明に、具体的に語るすべをまだまだ心得ておらず、……この点ではファシストの方がしばしば巧妙で柔軟だ」と痛切に自己批判している。
   
   
・運動
   
ファシズムの運動段階には、ファシスト党やナチスのように政党運動のかたちをとる場合と、「社会の各部門のなかでファシスト分子が結晶していく」場合とがあった。タイプや過程は一律でなく、固定的にみるのは危険である。
   
イタリア・ファッショは、前半がローマ進軍のような武力・内乱型、第2段階が議会による漸進型で政権をとるが、テロは全期間をつうじて振るった。政策は公共事業、社会保障、国有化や国の産業振興に重点を置き、軍需主導でもあったが世界恐慌から上向いた。
   
ナチスも一揆主義から議会型に移ったが、やはりテロは一貫していた。政策としては、ユダヤ系などの大資本攻撃(たとえば百貨店の規制や解体)、公共事業の中小企業への発注などを強調した。運動段階では過激な反体制であったが、34年に「ナチ左派」の粛清・虐殺をおこない、独占資本とのブロックを結ぶ。ヒトラー・ユーゲント(少年団)、女性、学生、教員、医師、技術者、公務員、法律家など階層ごとの組織化が強力で、その延長上で政権奪取後はすべての団体・組織の「ナチ化」を徹底し、一切の異端を許さなかった。日本も社会を「一枚岩」化した。イタリアはそこまで徹底しなかった。
   
日本は強力な政党型をとらなかった。「一国一党」は「幕府的存在」(=天皇以外に指導者をつくること)であって許されないとされた。先のタイプでいえば、社会の各部門(軍部、保革の政治家、官僚、労組指導者、地域社会…)のなかでファシスト分子が結晶していく経過をとった。
   
最後に、各国とも、当時の新メディアであるラジオ放送と映画を強力に活用した。今でいえばネット、SNSか。
   
   
・人民戦線
   
ファシズムへの対抗策は人民戦線だが、これにも幅があった。フランス人民戦線政府は、社会党、共産党、急進社会党による左派の統一であった(文化人の役割も大)。イギリスでは自由党、労働党、保守党、スペインは共和主義左派、社会党、共産党、マルクス主義統一労働者党の保革統一であった。イタリアは社会党、共産党からキリスト教民主党まで連合した解放委員会とパルチザンであり、ファッショの軍事的敗北後、このパルチザンがムッソリーニを処刑し、ファッショ幹部を裁いた。自力では裁けずに連合軍の裁判によることになった日・独とここは違う。各派の力の強さなど具体的な条件によって連合は異なりうるが、原則としてファッショ(と連立者)以外の全勢力を統一した包囲をめざすものといえる。
   
   

■3. ポピュリズム

ポピュリズム=大衆迎合主義、と単にいうのでは正確でない。学説も種々あるようだが、納得できないものも多い。確かなのは、ポピュリズムは「スタイル」であって、特定の体系的な「イデオロギー」ではないことである。右派も左派もある。そこはファシズムと違う。
   
少し前のアメリカでは、中南米の左派的で民衆的な政権をポピュリズムと呼んで批判する傾向が強かった。代表はアルゼンチンのペロン(妻エビータはマドンナ主演で映画になった)政権で、民衆に直接訴えかけカリスマ的人気を獲得した。この系統の政権は、公共政策を分厚くして労働者や農民の生活を引き上げるが、財政赤字、インフレ、貿易赤字をもたらしがちで、米大銀行の融資を返済しないなどしたため怒りを招いた。対抗策でアメリカは途上国に新自由主義政策を押し付けた。
   
現在問題のポピュリズムはこれらとは違う。特徴を挙げると、まずやはり黙っていられないような強烈な不満が渦巻き、その背景に社会の混迷があることだろう。それがなければ煽っても効くまい。新自由主義でタガが外れ暴走した利潤追求、市場競争、自己責任主義がもたらした状況だが、それがきちんと修正されない。格差は戦前ファシズムが成長した時代以来の水準に達している。貧困も復活した。閉塞感がある。なのに政治は党利党略ばかりで、大局的方向が考えられず、決められず、無能無力である。
   
おそらくここから、「反既成政党・政治」「反既成組織・既得権益」「反既成エリート・その理屈」「反“公認弱者”救済」といった感情が出てきている。
   
「反既成政党」は猛威を振るっている(日本維新の会はニューチャレンジャーから既成政党へ見られ方が移りつつあるようだ)。そこには右も左も区別がない。
   
労働組合や市民運動団体、創価学会などの「組織」も、自分たちの既得権益だけで、“われわれ”を素通りしている。外国人、LGBTQとの共生や寛容など「公認の弱者」救済に熱心で、われわれには目も向けてくれない(トランプ支持の核は“プア・ホワイト”の不満という)。上から目線でエリート的に偉そうな理屈をこねる奴らは大嫌いだ。――こういう感情だと思われる。このあたりはファシズムの成長過程と共通点がある。
   
運動スタイルとしては、組織を相手にするのではなく、大衆集会やネット・SNSなど「個人と直接に結びつく」新たなネットワークを駆使する。筋の通った理屈よりも、反感・憎悪・怒りといった感情を煽ることに徹する。――とはいえ参政党などは水面下で強力な組織活動があるようだ。伝統的な機関紙に代わって、日々ネットで党員や大衆に情報を伝えているようだし、基礎的な学習・教育活動までネットでやっていると報道されている。意外と基本に沿っていることになる。われわれ以上かもしれないし、学ばなくてはいけないかもしれない。いずれにせよ強い核の組織なしには持続する運動にはならないだろう。
   
   

■ むすびに

ここまでみてきたことから考えると、いま危険な動きはファシズムではない。しかし危ないポピュリズムにはファシズムの運動過程と共通あるいは似た面がある。そしてその先に何が待っているのかははっきりしない。危険なのはファシズムだけではない。
   
まず、危ういポピュリズムが台頭している背景をしっかりつかむ。そして「既成のあいつらが上から言うこと・やることは俺たちを無視していてクソだ」と言いたくなる大衆の感情の流れを変えるために、その胸に刺さる・響くメッセージを、効果的なルートで届け、参加を呼びかける。われわれ自身、反省すべきは反省して見直す必要がある。
   
暫定的にいえることは以上であろう。腰をすえて議論したいものである。
   
   

本サイトに掲載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
Copyright (c) 2025 Socialist Association All rights reserved.
社会主義協会
101-0051東京都千代田区神田神保町2-20-32 アイエムビル301
TEL 03-3221-7881
FAX 03-3221-7897