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●2025年5月号
■ 山川菊栄<婦人の特殊要求>から100年
平地 一郎
■ 婦人の特殊要求
山川菊栄が「婦人の特殊要求」を発表したのは、今から100年前の1925年である。その現代的な意義を考えたい。
「婦人の特殊要求」は以下の8項目である(鈴木裕子編1990年所収より)。
- 戸主制度(家制度)の撤廃
- 女性を無能力扱いするいっさいの法律の撤廃、婚姻および離婚における男女の同等の権利義務
- 教育機関および職業機関における女性および植民地民族の権利を「内地」の男性と同等にすること
- 民族および性別を問わない標準生活賃金
- 男女および植民地民族に共通の賃金および俸給の原則の確立
- 乳児をもつ女性労働者のための休憩室の提供、3時間ごとに30分以上の授乳時間
- 結婚、妊娠、分娩のために女性を解雇することの禁止
- 公娼制度の全廃
「民族および性別を問わない」姿勢が鮮明である。というのは、山川菊栄は1923年の関東大震災を経験しており、親しかった大杉栄・伊藤野枝夫妻のほか、自警団等による朝鮮人虐殺の事実を知っていたからである。
「婦人の特殊要求」は、山川均の方向転換論と密接な関係がある。
1921年に準備会を立ち上げ、翌年には、いわゆる第1次日本共産党の結成へといったんは動いた当時の社会主義者、堺利彦・山川均らは、ほどなくコミンテルンとの関係から離れ、人々の現実の要求との結び付き、そして幅広い協同戦線の構築へと向かった。1922年に『前衛』に掲載された山川均「無産階級運動の方向転換」は、秘密結社ではなく単一の無産政党を組織化しようとする最初の提起であった(石河康国2014、p.122)。
普通選挙(男子普通選挙)の実施が日程にのぼるなか、1924年に鈴木茂三郎らが創立した「政治研究会」を母体にした協同戦線的な無産政党(労働者の政党)の結成が急がれていた。
山川菊栄いわく。
「無産政党組織の問題が現実化するにつれて、行動綱領として掲げらるべき、当面の抗争題目については、各無産階級団体の意見がだいたいにおいて一致し、従って農民と都市労働者とを打って一丸とした政党の成立により、無産階級の政治的協同戦線が可能となる見込が確実となりつつあることは、誠に喜びにたえない次第である」(鈴木裕子編1990、p.125)。
無産階級諸団体および政治研究会の行動綱領には、「満18歳以上の男女の無制限選挙権」などが含まれていたが、しかし、足りないものがあると山川菊栄は言う。それが「婦人の特殊要求」である。
■ 同一労働同一賃金
第5項の「男女および植民地民族に共通の賃金および俸給の原則」とは、「同一労働に対する同一賃銀」のことである(鈴木裕子編1990、p.142)。なお、「植民地民族」は現在では外国人と読み替えてよい。
戦後の労働基準法は、「使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない」(第四条)と男女同一賃金の原則を規定した。ただし厳密には、労基法第四条は「男女同一賃金」であって「同一労働同一賃金」原則ではない。
1947年に、請われて労働省の初代婦人少年局長に就いた山川菊栄は、「婦人」問題に関する啓発活動や実態調査のかたわら、『ビアトリス・ウエッブ 新しい賃金原則:男女平等賃金制の研究』や『1945年度アメリカに於ける婦人の同一賃金法案』を翻訳・発行している。山川菊栄は、1925年にはビアトリス・ウエッブを読んでいるので、「婦人の特殊要求」における同一労働同一賃金の主張は、それを踏まえたものであったろう。
ともあれ、そうした婦人少年局での下地があってはじめて、労働省は1951年のILO100号条約(同一価値労働同一賃金原則)の内容を正確に理解するようになったといわれる(遠藤公嗣2024)。
そして1967年には、日本政府は、100号条約を批准した。「婦人の特殊要求」から40数年を経て、ようやく同一労働同一賃金をふくむ包括的な概念である同一価値労働同一賃金原則へと踏み出すかに見えた。
しかし日本社会は、1970年代以降、同一労働同一賃金・男女同一賃金の世界から遠ざかっていったのである。
他方、1975年の国際婦人年以降の女性運動の高揚を受けて、1985年には、罰則がなく努力義務にとどまるという不十分さはありながらも、男女雇用機会均等法が制定されるなどの成果も見た。現在は、「婦人の特殊要求」をめぐって、抑圧と抵抗のなかにある。抑圧というのは何か。つぎにそれを見る。
■ 資本制――産業予備軍――家父長制
「婦人の特殊要求」は第1項において「戸主制度(家制度)の撤廃」を掲げている。ここでいう「家制度」は戦前の家父長制であって、山川菊栄も言うように「封建的遺制」である。
もとより、1947年の日本国憲法の施行をもって戦前の家制度は廃止された。大きな改革である。1950年代には、保守派による家制度復活の動きはあったが、当時の婦人団体をはじめとする社会的批判を受けて、保守派の思惑はついえた。それ以来、戦前の家父長制への復帰は、保守派自体も主張しなくなったといわれる。
代わって登場した考え方は「家庭」である。もともと、戦前においては「家庭」という表現は、キリスト者や社会主義者など進歩的人々の用いたものであり、たとえば堺利彦も、「家庭」の建設に社会主義の理想を見た人であった。「家庭」は戦前においては家制度の対抗概念だった。
しかし、1960年代以降は、保守派もまた「家族」に代えて「家庭」と言うようになったという(本多真隆2023、p.228)。最近の例で言えば、統一教会が「家庭連合」を名乗ったり、子ども庁ではなく「子ども家庭庁」に変更したりするなど、保守派は「家庭」概念に「家制度」を刷り込もうとしているのである。
さて問題は、戦前とは異なっているとはいえ、現在もまた「家父長制」が存在しているという事実である。それは、封建制の遺物ではなく、資本制に適合し、そのなかで強化される家父長制である。このことを思い起こさせてくれたのがフェミニズムの思想と運動にほかならない(たとえば大沢真理1993)。
結論を先に述べると、資本制は、相対的過剰人口というプールを作り出しながら、産業循環に反応して雇用と失業とを行き来する産業予備軍を家父長制のなかに組み込んでいる。その産業予備軍の1つが女性あるいは「主婦」である。その理由は、つぎの通りである。なるべく簡略に述べるよう努めたい。
相対的過剰人口あるいは産業予備軍とは、マルクス『資本論』の「資本主義的蓄積の一般法則」で述べられている雇用と失業を出入りする労働者群である。
剰余価値を資本として再転化することを資本の蓄積という。その資本は、生産手段に投じられる不変資本と労働力の購入にあてられる可変資本とからなるが、不変資本と可変資本の割合を資本の有機的構成という。
・(1) もし資本の有機的構成が一定の下で資本蓄積が行われれば、投下される資本の量に比例して可変資本は増えるので、労働力に対する需要すなわち労働需要も増加する。労働市場における労働需要の増加は、労働供給が増えない限り、賃金上昇をもたらし、ある限度を超えると、資本家の取得する剰余価値は減少する。その結果、資本蓄積は衰える。資本に再転化する剰余価値が小さくなるからである。それにともなって労働需要が減退するので、賃金の低下と雇用の縮小へと向かう。すなわち、雇用される労働人口は、資本の搾取欲の範囲内に制限される。
このようにして雇用関係から排除される労働者は、人口の絶対数ではなく、資本の搾取欲からみて過剰という意味で、相対的過剰人口とよばれる。
・(2) つぎに資本の有機的構成が高度化し、その下で資本の蓄積が行われる。生産技術の革新や労働編成の再編などによって、不変資本の部分が大きくなり、可変資本が割合として低下する構成になれば、剰余価値は増える。
こうした資本の有機的構成の高度化は、資本制では必然的な傾向となる。なぜなら、特別剰余価値を獲得し他の資本に優位に立つよう、資本家は新技術の導入を迫られるからである。そして圧倒的に優位な生産条件を持てば持つほど、その産業の非資本主義的分野は駆逐され、そこから新たな人口が労働市場に参入してくる。大きな剰余価値と増大する労働供給のなかで、たしかに資本蓄積は、しばらくではあるが賃金上昇をもたらさない。しかし、剰余価値の資本への再転化はますます大きくなり、労働需要の増加をもたらし、その結末は、右の(1)の最後に見たとおり、労働需要の減退・賃金低下・雇用縮小である。以前に比べて労働者は増加しているので、相対的過剰人口もまた大きくなっている。
資本制の下で相対的過剰人口が必然化するプロセスは、『資本論』を論理的に理解する限りでは、以上のようである。そして、産業循環のなかでは、景気が良いときは雇用され、悪いときは解雇されるので、産業予備軍ともよばれる。産業予備軍の名づけは、エンゲルスの「失業予備軍」にヒントを得ていると言われるが、いずれにしても雇用と失業を出入りする労働者群である。
マルクスは、相対的過剰人口として流動的・潜在的・停滞的形態をあげているが、これらは、19世紀のイギリスの状況から抽象化したものであって、どこまで一般的に当てはまるかは分からない。マルクス自身も「考えられるかぎりあらゆる色合いで存在する」というほどだから、なかなか一般化しがたい。
しかし現代では、国家の失業対策や家族の存在などが相対的過剰人口の受け皿として機能することは、以前から指摘があり、十分に発達した資本主義の社会では、それらは共通の事象である(大内力1981、p.371)。
とりわけ、労働力の再生産の「経済単位」である家族の意味は、現代に限らず大きい。およそ人間社会は、<生活資料の生産>と<人間の生産>という2つの生産の循環から成っていて、後者の生産における女性に対する「家内奴隷制」との批判はすでにエンゲルスによってなされていた(『家族・私有財産および国家の起源』)。現代のマルクス主義フェミニズムは、これを資本制と家父長制とに鋳なおしたということができよう。
その家父長制の経済的な背景が産業予備軍である。
「女子労働者の産業予備軍的性格」(竹中恵美子1989、p.293)といわれるように、多くの女性労働者は、ある時は「主婦」、またある時は労働者あるいはパートというように、失業と雇用を出入りする存在である。そうした経済的基盤の上に、<家庭>あるいは<家族>の家父長制がある。
男-女を入れ替えてイメージすれば、家父長制の意味がよくわかる。エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』には、失業した男性のしつこいまでの家族内での描写がある。このとき、読者はよほど鈍感でない限り<妻>の立場を想像せざるをえない。
■<婦人の特殊要求>の現代的意義
資本制も家父長制も、他者の労働を支配する生産様式である。
前に述べたように、堺利彦は家庭が社会主義の基礎とは言うのだが、現実は「家庭奴隷制」にあると考えていた。したがって、「ことに無産階級の婦人としては、有産者からと、男子からと、二重の圧迫と束縛を受けている」ので、女性はその両方からの解放が必要であるとする。言うまでもなく、有産者=資本制の資本家、男子=家父長制の夫である。
さらに引用を続けると、
「しかし男権をくつがえし、男性中心の社会を滅ぼすからといって、再び昔の女性中心に返るママものと考えられては困る。……将来の社会は男性中心でもないが女性中心でもなく、本統ママの男女平等、もしくは女男対等が現出されるだろうと思う」(川口武彦編1971、p.321-322)。
右は、『女の世界』に掲載された論文である。1915年から21年まで「男も読む婦人雑誌」として発行され、売文社時代の堺利彦は編集を担当していた(尾形明子2023)。山川菊栄も寄稿者の1人であった。<婦人の特殊要求>は、そうした「二重の圧迫」という視点から出てくるのである。
現代では、新・性別役割分業――男は仕事、女は家事・育児そして仕事――である。言葉としては意外と新しい。新しいといっても、40年前の1985年に、樋口恵子の雑誌『世界』の論文に由来する。しかし、資本主義の下での女性労働者の描写であって、古いともいえる。突然、そういう役割分業が現れたわけではないからである。
新・性別役割分業は、生活時間の統計に表れているので、家父長制を可視化することができる。
表は、総務省統計局『社会生活基本調査』から算出した「雇用者の共働き家族」の生活時間である。1週間を平均した1日あたりの時間は(表は「分」であるが)、夫の家事・育児は1時間強、妻は仕事と家事・育児にそれぞれ5時間弱となっている。

(図表・クリックで拡大します)
女と男は生活時間が根本的に異なる。あたかも階級が異なるかのようである。<婦人の特殊要求>は、現代でも必要な要求である。
しかも、100年の時を経て、女性労働者の数は圧倒的に増えた。統計が違うので、厳密な比較ではないが、第1回「国勢調査」(1920年)から推計すると女性雇用者は約300万人で、2020年「労働力調査」では約2700万人である。現代の「無産階級の婦人」は10倍近い。ちなみに、この1世紀で日本の人口は2倍である。人口が増えたから女性雇用者が増えたのではない。資本主義の人口法則の結果である。
<婦人の特殊要求>は無産政党の改革政策として作成された。今日では、有期雇用の制限と同一労働同一賃金の他、選択的夫婦別姓、性に中立な税制(配偶者控除制度の廃止・給付付き所得税)、産休・育休後の職場復帰プログラム実施などがあろう。社会を変える力になる。
[参照文献]
- 鈴木裕子編 1990:『山川菊栄評論集』岩波文庫
- 石河康国 2014:『マルクスを日本で育てた人――評伝・山川均 I』社会評論社
- 遠藤公嗣 2024:「1948年山川菊栄訳の二つの男女同一賃金論」(『経営論集』71巻第4号)
- 本多真隆 2023:『「家庭」の誕生』ちくま新書
- 大沢真理 1993:『企業中心社会を超えて――現代日本を<ジェンダー>で読む』時事通信社(同上、岩波書店2020年、所収)
- 大内力 1981:『大内力経済学体系・第2巻経済原論(上)』東京大学出版会
- 竹中恵美子 1989:『戦後女子労働史論』有斐閣(『竹中恵美子著作集II戦後女子労働史論』明石書店、2012年、所収)
- 川口武彦編『堺利彦全集 第5巻』法律文化社、1971年
- 尾形明子2023:『「女の世界」――大正という時代』藤原書店
<2025年4月8日>
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