
●2024年11月号
■ 「政治の劣化」と選挙制度改革
伊藤 修
■ はじめに
本誌刊行時には総選挙の結果が出ているはずで、それについて書ければいいが、締切日はまだ選挙戦中のため新情勢に即応する論説は可能でない。そこでいったん今回選挙から距離をとり、近年指摘される「政治の劣化」という重要問題について論ずることにする。諒とされたい。
今年6月にちょうど右のテーマを扱っている久江雅彦・内田恭司編『小選挙区制は日本をどう変えたか』(岩波書店)――以下では「前掲書」と記す――が出版された。この本には特色があり、政治学者やジャーナリストなどの“外からの”分析や意見を並べた類書と違って、現行の選挙制度をつくった政治家など“当事者”たちによる証言、および現時点での評価を中心にしている。そして証言者のほぼ全員が、小選挙区制は日本の政治を悪くした、劣化させた、と評価しているのには正直びっくりした。当事者たちがそろって否定的だという事実には、迫力と重みがあるであろう。
このことから以下、前掲書をベースに、政治の劣化、その原因、どう変えていくかについて、小選挙区制を軸に考えていく。
■ 選挙制度
最初に各種の選挙制度について必要事項だけざっくりとおさらいしておこう。
まず選挙区の大きさ、定数に関しては、おおまかに「小選挙区制」「中選挙区制」「大選挙区制」がある。
小選挙区制は定数1で、これと2大政党(または2大勢力)構図が合わさると、勝敗がはっきりし、なだれを打って政権交代がおきうる。他方、大政党に有利で勝ちを続ける可能性もある。また死票が多く民意を反映しにくい。
中選挙区制は定数が数議席(日本の旧制度では3〜5)で、野党も議席を得やすく、比較的に多様性を許容する。
大選挙区制は定数が10を超える場合もあり(最大は全国区)、死票が少ない点で民意を反映しやすい。
以上は候補者個人に投票するが、党名に投票するのが「比例制」である。これを大選挙区でおこなうと、もっとも民意を反映する。ここで民意とは、どんな政策方向がどれだけ支持されているかという意味であり、政党は政策方向のかたまりだからである。ただし当選者の決め方の問題があり、順位を政党内で決めるやり方と、順位も何らかの投票で決める方法とがある。
選挙区と比例を組み合わせる場合、それぞれの選挙をおこなう「並立制」(現在の日本では小選挙区289、比例176、合わせて465議席)と、各党議席数を比例で決め、当選者を決めるのに選挙区選挙を用いる「併用制」がある。ドイツの併用制では、小選挙区当選者は無条件で当選者となり、あとは各党の順位名簿による。
このほか、投票に「単記制」と「連記制」がある。連記にも、たとえば3名連記なら、3候補に1票ずつ入れる方式や、1人の候補に3票、2票、あるいは1票を入れてよい方式などがありうる。
これらを組み合わせていろいろな制度ができる。たとえば戦後第1回の総選挙(1946年4月)は、全県1区(7都道府県のみ2選挙区)の大選挙区制で、定数は4〜14、連記制(定数10以下は2名、11以上は3名連記)であった。これだと死票は少ない。
現行の衆議院総選挙は(参院選は略)、小選挙区・比例代表並立制だが、最大問題である民意の反映はどんな状態にあるか確認してみよう。前回すなわち2021年10月総選挙のデータ(総務省)で作成した次の表をみられたい。

(図表1・クリックで拡大します)
いちばん右の縦の列は、比例得票率によって配分した場合の議席数の試算である(このほか無所属が9議席)。大政党ほど小選挙区に候補を立てるから、比例より得票率が高くなる。自民と立民がそうだった。また、小選挙区に候補を立てるほど比例の票がふえる関係もある。
自民は比例票35%で56%の議席を占めた。比例票でみた民意どおりなら、自民は265でなくわずか158議席、自公で298でなく213議席、対して野党は239議席で、自公政権はなかった。乖離がもっと大きく、3分の2以上の議席を占めた(危険!)選挙もある。立民は比例票と議席がほぼ同じライン。以下は議席が少なくなり、死票が多い。もっともはなはだしい社民に至っては、獲得1議席だったが支持は8議席あったことになる。
今の制度は民意と乖離すると頭ではわかっていたが、実際に計算してみて驚いた(調査研究は大事である)。政治の構図がまるで違ってくるではないか。たかが選挙制度と軽くみることはできない。
自民批判がよほど強烈で地滑り的に負ける場合にしか、政治は変わりにくい。これでは、無力感が広がり、「無党派層」がふえ、投票率が下がるだろう。投票率が上がれば、もっと地滑り的な自民敗北になるはずである。
■ 証言者のリスト
前掲書での証言者をあげておこう(以下すべて敬称略、所属や役職等は小選挙区制導入時)。
政治家・OBは、
- 細川護熙(首相)
- 河野洋平(自民党総裁)
- 田中秀征(首相特別補佐)
- 山崎拓(自民党副総裁)
- 船田元(自民党)
- 石破茂(新生党)
- 岡田克也(新生党)
- 辻元清美(社会党)
政治学者・ジャーナリストでは、
- 佐々木毅(東大教授、民間政治臨調主査)
- 田原総一郎(ジャーナリスト)
- 高安健将(成蹊大教授)
- 大山礼子(国会図書館)
- 久米晃(自民党本部)
- 伊藤惇夫(同)
――である。
このうち小選挙区制が基本的に正しかったと述べるのは岡田しかいない。現状の問題は野党側の対応がまずい(統一しない)からだ、完全比例では政権は選挙後の連立しだいになり、それが民意か疑問だとする。彼以外は現状に否定的で、問題点をあげる。
■ 小選挙区制導入の経過
なぜ小選挙区制になったのか。リクルート疑獄が露見し、自民党が下野、細川連立政権ができるほどの“政治と金”批判を受けて、政治改革が必須という奔流になったが、それには小選挙区制だとの「熱病に踊ってしまった」(船田)というのがほぼ全員の証言である。賛成しないのは守旧派だという圧力もかかった。
中選挙区制では自民候補が複数立つので「サービス合戦になって金がかかる」「小選挙区だと政策本位になり、2大政党になる」と主張されたが、それは「空理空論だった」(久米)という点もほぼ全員一致する。
そもそも“政治と金”問題への対処は「贈収賄罪の刑罰を重くする」こと、「慶弔や飲食を政治資金と認めてはいけない」、小選挙区制はすりかえだったとの田中の見解は最重要な正論であろう。買収やそれに類する行為は「政治活動」ではない。それに使う金は「政治資金」ではない。禁止である。処罰される――これが当然の本筋である。
中選挙区制は金がかかったというが、小選挙区制で自民執行部=首相官邸の独裁性が強まり、かえって「モリ・カケ・サクラ」のような腐敗がまかり通っているではないか、かつてなら他派閥が引きずり下ろしたはずだ(辻元)というのも正論だろう。政治家個人への企業・団体献金が禁止され、政党助成金制度もできて、金と権力が集中する党本部から政策活動費(使途不問)が配られる、派閥はパーティー券で金を集め裏金が発生することにもなった。形とルートが変わっただけである。
ところが前述の熱病・奔流の中、最後の最後に自民党のゴリ押しで、当初案の小選挙区・比例250:250が300:200に、比例が全国からブロックに変更されて、より民意と離れることになってしまった。
■ 小選挙区制の問題点
導入時の責任者である細川(元首相)は、個人的には「穏健な多党制がいい」、せめて比例を半分確保すべきとの考えで、2大政党論を牽引したのは小沢一郎だと述べる。対する河野(元総裁)も「少数意見が死票になってしまう小選挙区制は失敗だった。何としても変えなければならない」と強烈であり、両人とも推進派ではなかったがまとめるために妥協を重ねたと明かす。船田も、中選挙区でも政権交代はできる(実例が細川非自民政権)という。
以下、小選挙区制の問題点を整理してみよう。現場を知る当事者の証言だけにリアルである。
・自民執行部=官邸の権力集中
かつては定数3〜5の中選挙区に複数の自民候補が立てたことを背景に、最大5つの大派閥が存立できた。そして各派閥が事実上の政党で、その領袖が首相候補、自民党はそれらの連合政党といってよかった。小選挙区制で1候補になると、公認権をもつ執行部(=自民の場合は同時に官邸)が独裁的権力をもった。小泉政権で「抵抗勢力」とされた議員が弾圧されたのが象徴的である。
その小泉は実は導入当時、「執行部の力が強まり、自由な発言ができなくなる」「つまらん議員ばかりになるぞ」と小選挙区制反対の急先鋒だった。この反対意見が当たり、党内の会議で意見も出なくなった(石破)、「みんなイエスマンになった」(田原)との評価が多い。
選挙での党首の比重が増す一方、議員の独立した能力が低下した(次項)ので、党首しだいで方向性が変わりやすい。右翼方向へぞろぞろと旋回したのが安倍時代の自民党だった。そして大政党有利なのだから、めぐりめぐって1人の小人物の暴走に日本が引きずられる危険が増した。
・議員の能力低下
中選挙区時代には、政調会の部会と派閥による自民党の議員養成システムがそれなりにあった。新人時代に、農水、商工、社会保障といった政調会部会とそれに対応する国会の委員会に属して専門の勉強を積む。2・3回当選すると副部会長、部会長と出世し、5・6回当選で初入閣する。そののち一部はいくつかの主要大臣を経験して「大物」、派閥の領袖や幹部になり、その他は各分野の「族議員」となる。派閥も、「総合病院」と呼ばれた田中派のように実践的訓練機関の面もあった。
このシステムがこわれてしまった。派閥や族議員を弱めた反面としてである。と同時に党執行部・官邸に権力が集中し、各議員はそれに従って、公認と金を下付される存在になった。山崎は「個人の資質ではなく公認が重要になった」と述べている。「追い風」のもとで当選した「チルドレン」はその典型にあたる。これにより議員たちの専門知識・能力は低下して、“賛成要員”と化した。
かつて定数3〜5のときには、一種の分業が可能で、専門・得意分野をもつことができた。小選挙区ではその余裕はない。1人ですべての分野の「オールマイティが求められるが、それは不可能」(船田)である。限りなく「多様な陳情を受け、自分では判断できず、官僚に頭を下げて丸投げ、論争もせずに調整も丸投げ」(田中)となる。
東京・世田谷区のように区議会より狭い選挙区もあるから、超地域密着を迫られ(だから世襲にもなりやすい)、国レベルのことは考えられずに(考えるのはネトウヨ・レベルのことだったりする)、永田町ではトップに従う(辻元)。
これが劣化、質低下の構造だというのである。
・「政治主導」と「丸投げ」
最終的には権限と責任は政治にあるのだから、一般論としては「政治主導」が当たり前である。しかし実際には、安倍政権の菅官房長官主導の内閣人事局が官僚の上部の人事権を握ってイエスマンばかりにし、官庁を抑え込んでしまった。これによって官庁も質が低下、劣化した。
では政官の力関係は政が優位になったのかというと、逆の面もある。先にみたように政治家が問題処理できなくなり、官庁に丸投げ、大臣は答弁書を読み上げるだけともなったからである。結局は首相官邸に権力が集中し、首相と少数のお友達・取り巻き、官邸官僚とそれを握る官庁(安倍内閣では経産省と警察庁)、そして“陰謀論”じみた信仰的な「理論」を説くいかがわしい「ブレーン」が牛耳ることになった。帝政ロシアの末期に似ている。
・新人参入の困難と世襲
自民党を長年みてきた伊藤は、異才が候補になり当選して生き残るのが困難になり、ジバン(地盤)・カンバン(知名度や学歴)・カバン(金)を受け継ぐ世襲議員がふえて、いわば生まれながらの“殿様”と“藩”組織のようになっていると述べる。国会は300諸侯の江戸城登城である。生まれながらの殿様たちに庶民の目線を期待するのは無理筋に決まっている。
・無力感の蔓延とポピュリスト新勢力
死票が多く、民意が反映せず、劣化した政治が変わりにくいとなれば、国民の間に無力感とあきらめが広がり、「無党派層」がふえ、投票率が下がるのも不思議ではない(それではいけないのだが)。
その中で少しでも変えられそうだと期待をもたせる新ポピュリスト勢力が出てくると(ほとんどは一過性ながら)人気を集めるケースもある。すぐ消えた「石丸現象」はSNSなどで自分も参加できそうとみた“不満の池の穴”だったともいえる。維新、みんなの党、希望の党、参政党……などにも同じ面があろう。
■ 選挙制度再改革
政治を変えられると思えば国民は投票に行く(田原)。まずは民意が反映するように選挙制度を変えようという意見は強い。そもそも小選挙区制は根拠が薄かったわけだし、世界的にも英・米を中心とする旧英連邦諸国だけ(高安)である。
改正案は、中選挙区、比例制、連記制など、いくつか出されている。完璧な制度はないが、検討すればよい。
また、現職議員の数による政党交付金の配分も見直すべき(辻元)で、日本が小選挙区制のモデルにした英国では、政党交付金を野党に厚く配分する。なぜなら、与党は行政府の人材と資金を使えるが、野党は使えないからだ(高安)とも指摘される。英国では同じ選挙区での世襲はできないことも参考になろう。
重要課題として選挙制度改革の声を大きく上げよう。
自民党議員は改革に必死の抵抗を敢行するだろうから、議員に任せておいては期待できない。第三者委員も入る選挙制度審議会で案を練るなどし、政治の世界に持ち込む。そして、改革に抵抗するのは“守旧派”だと批判を浴び、流れに従わざるをえないようにもっていくことが肝要である。
(10月18日脱稿)
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