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●2024年10月号
■ 日本的ジョブ型雇用の行方
    立松 潔

■ はじめに

1990年代のデフレ不況が深刻化する中で、企業は厳しいリストラを進め、雇用が急激に悪化した。1997年から2012年までの15年間で正規雇用は543万人も削減され、かわりに非正規雇用が784万人も増加している。1996年をピークに実質賃金は下がり続け、2023年は1996年より16.7%も低い水準になってしまった(以上、「就業構造基本調査」および「毎月勤労統計調査」による)。
   
またOECD(経済協力開発機構)加盟34カ国の2022年の平均年間賃金ランキング(米ドル建て購買力平価換算値)を見ると、日本は4.2万ドルで、なんと34カ国中25位という下位に沈んでいるのである。OECD加盟国平均が5.3万ドルなので日本はその79.2%の賃金水準ということになる(以上、『連合・賃金レポート2023サマリー版』p.1参照)。
   
これに対して日本企業の業績は好調である。「法人企業統計」によれば日本企業は2013年度から18年度まで6年連続で史上最高益を更新し続け、さらにコロナ禍からの回復期にも2021年度から23年度まで3年連続で史上最高益を更新している。
   
しかし最近では、先進国の中でも特に日本が低成長を続けていること、そしてその犠牲が労働者に押しつけられ、それがまた個人消費の低迷と経済の停滞をもたらしていることなどが、問題視されるようになっている。政府も賃上げの必要性を強調しており、そのような中で2024春闘ではベースアップと定期昇給を合わせた平均賃上げ率が5.1%と、1991年以来33年ぶりの高水準となったのである(連合発表の最終集計)。
   
高収益をあげている日本の大企業は、今のところ前向きに賃上げに応えているように見えるが、他方で経営の構造改革やグローバル化への対応に向けて、雇用についても新たな取り組みを進めているようである。本稿ではそのような大企業の動向について、ジョブ型雇用導入の問題を中心に見ていきたい。
   
   

■ 人手不足と希望退職募集の併存

まず最初に図表1で最近の雇用状況を、失業率と有効求人倍率の動きから見ておこう。完全失業率は2013年の4.0%から18年の2.4%へと改善していたものの、コロナ禍の影響で20〜21年には2.8%へとやや悪化している。しかし、22年には2.6%へと改善し、その後もほぼ同水準で推移している。
   

(図表1・クリックで拡大します)
   
有効求人倍率も13年の0.93倍から景気回復ピーク時の18年には1.61倍まで上昇した。そしてコロナ禍により2021年には1.13倍に低下したものの、23年には1.31倍へと改善し、24年に入ってからは、1.23〜1.28倍で推移している。
   
しかし中小企業では人手不足がかなり深刻化している。日本商工会議所が今年5月に行った2023年度の中小企業の採用実績に関する調査結果(会員企業2502社に対して実施、回答率80.7%)によれば、予定した採用人数を確保できた中小企業は49.4%と半数を下回っていた。
   
また、日本商工会議所と東京商工会議所による「中小企業の人手不足、賃金・最低賃金に関する調査」(2024年1月実施、回答企業数2988社、回答率49.7%)によれば、人手が「不足している」と回答した中小企業の割合は65.6%に達している。業種別では、

  • 建設業が78.9%、
  • 運輸業が77.3%、
  • 介護・看護業が76.9%

であり、

  • 最も低い製造業でも57.8%

であった。
   
深刻なのは、人手不足により倒産に追い込まれる中小企業が増えていることである。帝国データバンクによれば、従業員の退職や採用難、人件費高騰などに起因する「人手不足倒産」は、2023年度に313件発生し、過去最多を更新したという。そして、その313件のうち232件(74%)は、従業員10人未満の小規模事業所であった。
   
人手不足に悩む中小企業が増加する一方で、大企業では今年に入ってから希望退職の募集が増えている。東京商工リサーチによれば、2024年1〜8月に「早期退職」募集を行った上場企業は41社であるが、これは2023年1年間の早期退職募集企業数とならぶ水準である。さらに募集人数は7104人であり、これはすでに23年1年間の募集人数(3161人)の2.2倍に達している。
   
また、早期退職募集企業のうち黒字企業が24社(同58.5%)と約6割を占めているのであるが、募集人数では黒字企業の割合がさらに大きく、全体の約8割の5566人であった。その背景は、業績が良いうちに雇用面での改革を推進しようという企業が増えていることである。
   
   

■ 日本的ジョブ型雇用導入とその背景

最近注目されているのが、大企業を中心にジョブ型雇用を導入するところが増えていることである。ジョブ型雇用とは国際標準である欧米の雇用様式であり、採用は職務(ジョブ)ごとに行われる。企業を超えた全国的な基準で職務分析と職務評価がなされ、職務に必要な資格・能力や職務内容は職務記述書に詳しく記載される。賃金(職務給)も職務ごとに全国的な基準が決められるのである。
   
日本のような業務命令による職務の異動(配置転換)は行われないため、より等級の高い(高賃金の)職務に移るにはその都度欠員募集などに応募して採用される必要がある。このようにして、欧米では同じ企業内だけでなく他の企業への異動(転職)も頻繁に行われている。
   
しかし現在日本の大企業で導入が進められているジョブ型雇用は、メンバーシップ型と呼ばれる日本的雇用の基本的特徴を維持したうえで、企業内で欧米の職務給(仕事給)の特徴を部分的に取り入れるというものである。その目的はこれまでの年功的な昇給制度を改め、職務ごとにランク付けを行い、どの職務に就くかによって賃金の水準を定めることである。ただし、社員全体を職務給方式にするか、あるいはその一部(たとえば管理職層のみ)にとどめるかは企業によって異なっている。
   
日本企業が社員の処遇制度にジョブ型を取り入れようとするのには次のような要因が考えられる。まず第一に日本で一般的な職能給(年功賃金)では勤続年数に比例して職業能力が高まるという想定から、社員の社内での役職の等級と賃金が年功的に上昇するのが普通である。しかし、実際には中高年社員の中には役職に期待される能力や貢献度が不十分であるにもかかわらず、高給を得ているものが含まれている。このような年功制による「処遇のゆがみ」を改め、優秀な若手社員を登用するチャンスを広げたいというのが、ジョブ型採用の大きな理由である。
   
また、IT系など戦略的に重要な人材については、企業間の人材の奪い合いが激化しており、これまでの年功的な標準的給与水準では採用が難しい場合が多い。そこでジョブ型にすることによってそのような職務の賃金水準を引き上げ、戦略的人材の採用を強化したいというのも大きな要因である。
   
さらに役職定年後の処遇や65歳、70歳への定年延長後の処遇もジョブ型の導入によって改善することが期待されている。60歳を過ぎてからは「嘱託」などの身分で、それ以前より一律に低い賃金で周辺的な仕事につける事例が少なくなかったからである。これは人的資源の有効活用という点では企業にとっても社会にとってもマイナスであり、本人の希望を踏まえてそれぞれの能力にふさわしいレベルの職務につけることが期待されている。
   
   

■ ジョブ型雇用導入と希望退職募集

パーソル総合研究所が企業規模300人以上の日本企業に勤める「経営・経営企画」「総務・人事」担当者740名に行ったアンケート結果によれば、2020年12月〜21年1月の調査時点でジョブ型人事制度を導入している企業は18.0%であり、導入検討企業は39.6%、導入しない方針の企業は28.5%であった。そのうち導入済み企業と導入検討企業にジョブ型導入の目的・狙いを聞いた結果が図表2である。
   

(図表2・クリックで拡大します)
   
回答数が最も多いのが「従業員の成果に合わせて処遇の差をつけたい」の65.7%であった。つまり、従業員の業績や成果に見合った職務への昇格・降格を行い、処遇に差をつけることが、ジョブ型導入の大きな目的になっているのである。
   
しかし、ジョブ型導入に伴い、昇格だけでなく降格も行われるということは、年功的な人事制度からの大きな転換に他ならない。これまでは勤続年数が長ければより高いポストに昇格できたのに、ジョブ型雇用の導入によって降格され、若手にそのポストを奪われてしまうかもしれないからである。中高年の社員がジョブ型導入後の処遇に不安を感じたり、降格によって仕事への意欲を低下させたりすることは大いに考えられる。この時期に行われた希望退職募集は、まさにこのような中高年社員を念頭に置いたものだったのである。
   
図表3の「退職に関する人事施策の実施率」に見られるように、ジョブ型導入済企業の場合、非導入企業と比べ「会社からの退職勧奨の実施」や「希望退職募集の実施」の割合がかなり高くなっている。また退職勧奨ルール・プロセスを明確化し、再就職支援策を実施しているところも、非導入企業を大きく上回っている。デフレ不況期には、希望退職募集は主に会社の経営悪化にともなうリストラ策として実施されたのであるが、最近はこのようなジョブ型雇用導入に伴う希望退職募集が増えているのである。
   

(図表3・クリックで拡大します)
   
また図表2では、ジョブ型導入の目的・狙いとして、45.1%の企業が「若手の登用を促進したい」をあげている。しかしジョブ型導入によって優秀な若手社員を抜擢するには、上位のポスト(職務)に空きがないと困難である。中高年層に対する希望退職募集は、そのような若手登用のためのポストを増やす役割も果たしているのである。
   
   

■ 日本的ジョブ型雇用――富士通の事例

政府はすでにジョブ型人事を導入している20社の事例を集めた『ジョブ型人事指針』を2024年8月に発表している。その事例の多くがグローバルに事業を展開している企業であるが、ここでは富士通の事例について以下に紹介してみたい。
   
富士通は『同書』においてジョブ型人事を導入した背景を次のように説明している。「2015年頃から25〜35歳の社員の外資系企業への転職が増加する一方で、そうした企業からの経験者採用は進まず、育成した人材の流出が大きな経営課題になっていた」と。つまり、人材流出を食い止めると同時に、外資系企業など外部労働市場からも優秀な人材を採用できるよう、人事制度の変革=ジョブ型人事の導入を行ったというわけである。
   
富士通は2020年4月から国内の課長以上の幹部社員1万5000人にジョブ型雇用を導入し、22年4月からは対象を一般社員にまで広げている。そしてその結果富士通では2023年度には経験者採用が1083名と、21年度の2.7倍になり、新卒採用の1037名を上回ったという。外部労働市場における人材獲得能力を高めるという目的が早くも達成されたのである。
   
しかし、富士通が経験者採用を急増させることができたのは、社内にそのための空きポストができていたからに他ならない。同社は2021年12月以降、50歳以上の幹部社員を対象に早期希望退職を募っており、3031人もの幹部社員がそれに応募し、退職していたのである。
   
富士通の2021年3月期(20年度)は営業利益が2663億円に達し、過去最高を記録しており、また21年度も、経営は220年度を上回るほど好調であった。希望退職募集が不振事業からの撤退によるリストラなどでないのは明らかである。同社の狙いは幹部社員の希望退職募集で空いたポストへの人材登用だったのである。成長分野に精通する人材や若手で能力の高い人材の登用を進めることによって、成長事業の牽引を進めようとしたのである(山田泰弘「富士通『幹部3000人の希望退職』に映る覚悟と焦り」『東洋経済ONLINE』2022年3月18日参照)。
   
また、ジョブ型雇用への転換による大きな変化は、これまでの業務命令による異動が公募による異動に転換されたことであった。富士通では社内公募制度(ポスティング)の対象ポジション(職務)の拡大を行い、管理職への昇格はすべて社内公募への応募・合格を必須としたのである。その結果2020〜23年の4年間で社内公募制に応募した社員は約2万7000人に達したという。同社の国内における社員数は約8万人なので、社員の3分の1以上が社内公募に応募したことになる。そしてそのうち合格して希望のポストに異動した社員は9500人(35%)に達したのである。
   
ただ問題は、職務や業務内容によっては社内公募によって人材が他の部署に流出し、さらに他の部署からの応募がなかなか集まらない(欠員が生じる)部署も出てしまうことである。社内公募だけでは、このような片寄りはどうしても生じてしまうものであろう。日本的なジョブ型雇用の限界と言えよう。
   
また富士通ではジョブ型採用後は、職務記述書の内容を満たさない社員には役職(ポスト)を離れてもらうことになっている(ポストオフ制)。さらに、職責の大きさに対応してジョブ(職務)を職種と等級の組み合わせで分類し、この等級もジョブを担いうるかどうかに応じて上位変更や下位変更が行われるという。
   
ジョブ型のメリットは優秀な人材を年齢や勤続年数に関係なく抜擢できる点であり、それによって従業員のやる気が刺激され、企業の競争力の向上にプラスに作用することが考えられる。しかし、他方で降格人事(ポストオフや等級の下位変更)による社員のやる気(エンゲージメント)の低下など、マイナスの効果がどの程度生じるのかも無視できない問題である。
   
ジョブ型雇用の導入はまだ始まったばかりであり、果たしてこれが順調に進み、人材の活用と社員のエンゲージメント(やる気)の向上や企業の成長に良い結果をもたらすかどうかはまだ判断できない状態である。今後に注目していきたいと思う。
   
   

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