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●2021年9月号
■ 解散総選挙に向けて
    吉田 進

■ はじめに

新型コロナウイルスにより日本は大混乱に陥った。度重なる緊急事態宣言により、収入が激減し、仕事を失った人がいる。感染によって差別を受けた人、後遺症に苦しむ人もいる。大切な家族を失った人もいる。8月に入ってからは、「自宅療養」「入院調整中」の陽性者が急増し、医療の提供を受けられないまま命を落とす人が連日出ている。
   
「復興五輪」「ウイルスに打ち勝った証しとして」「安心、安全な大会」など空虚な言葉だけが政府から発信されたが国民の心には届かなかった。オリンピック、パラリンピックの開催や意義を問う声が多くあったが、それ以前に問われなければならないのは「政治の果たすべき役割と責任」である。東日本大震災など「緊急事態」は過去にもあったが、これほど無為無策の政府を見たことがない。
   
菅首相は、内閣発足時に「国民のために働く内閣」と言ったが、なぜそんな当たり前のこと言うのか不思議に思う人もいたであろう。今考えてみると、安倍内閣が「国民のための政治」を行ってこなかったという罪悪感が心のどこかにあり思わず言葉にしたのかもしれない。しかし、菅首相はそれさえも忘れて国民不在の悪政を続け、政権の座にただ居座り続けている。
   
   

■ 目前に迫る解散総選挙

政治の焦点は解散総選挙の一点に絞られた。
   
政権選択の選挙だから、「与野党逆転」「連立政権の樹立」という人もいるが、今の政治的力関係から見てそのような情勢にあるとは思えない。「連立政権」にむけた野党側の準備があまりにも不十分だからである。政権与党に対する国民の批判がかつてなく高まっているにもかかわらず、野党間の党首会談や政策協議すら行われていない。
   
「決められる政治」が声高に叫ばれ、「安倍一強」と言われる政権が誕生した。その結果は、「森友学園」問題をはじめとする腐敗政治、強権政治であった。多くの有権者は、こうした政治を許した誤りに気づきはじめている。「政権交代」までは望まなくとも、緊張感のある国会運営、政権の暴走に歯止めがかけられる「与野党伯仲」体制を再び選択しようとしているように感じる。長野県世論調査協会の興味深い調査結果がある。「国会の勢力はどうあるべきだと思うか」との質問に対し、

  • 「野党が勢力を伸ばし与党との差が縮まる」が49%、
  • 「自民・公明の与党が多数を占める」が13%、
  • 「自民党が多数を占める」が10%、
  • 「与党と野党の勢力が逆転し、政権が交代する」が8%、
  • 「どちらともいえない、分からない」が22%

であった。
   
政権の支持率が低下するなか、野党も支持が広がらないという情勢ではあるが、直前に迫った解散総選挙に全力で立ち向かわなくてはならない。厳しいからと言って、目の前にある課題から目をそらしては何も変えることはできない。政治を変えるために、みずからが置かれている位置で最善を尽くすことが重要である。
   
   

■ 混迷を深める菅政権

・(1) 新型コロナ対策
   
新型コロナウイルス対策で菅内閣は国民の信頼を大きく損ねている。全国に急拡大する「第五波」は今までとは様相が異なる。政府は、「人流は減っている」「重傷者は減っている」との楽観論を繰り返してきたが、8月に入り首都圏を中心とする病床の逼迫を認めざるを得なくなった。
   
「迫る医療崩壊 無策の政府」「自宅療養方針 迷走」「入院基準の混乱 国民不在の政府の独善」「自宅療養の命 綱渡り」「医療提供体制 機能不全に」など連日の見出し(地元紙)を見ただけで事態の深刻さが伝わってくる。
   
発熱しても診察を受けられない、症状が急変しても保健所に電話すらつながらない、救急車を手配しても受け入れ先が決まらない……。こんな地獄のような日々が来ないことを願うしかないが、まさに「人災」となりつつある。
   
コロナ禍による生活困窮は深刻である。派遣、パートなどの非正規労働者や外国人にそのしわ寄せが集中している。感染拡大に関連して解雇や雇い止めをされた人は、厚生労働省が把握する限りで11万人に達している。実際にはもっと多い。収入が減った世帯に生活資金を無利子で貸す特例制度の融資額はすでに1兆円を超えている。家賃を補助する住居確保給付金もリーマンショック後の2010年度の3倍を超えている。住まいの維持さえ難しくなっている実態が浮き彫りになっている。しかし、こうした政策は「場当たり的」と言わざるを得ない。困っている人に借金で当座をしのぐよう促し、給付金を小出しにするだけで困窮者の生活立て直しにつながるはずがない。
   
こうしたなか、多くの国民が理解できないのは、緊急事態と言いながら政府与党が国会を開かないことである。理由は、菅首相が答弁に耐えられないからだと報道されている。野党がどんなに要求しても都合が悪ければ国会を開かないというのは、やってはならない「禁じ手」だ。国会を開かせることが政治の焦点ではあまりにも情けない。
   
   
   
・(2) 国民投票法改悪
   
先の通常国会で、改正国民投票法が自民・公明、立憲民主党などの賛成多数で可決・成立した。自民党の下村政調会長は「コロナのピンチを逆にチャンスに変えるべきだ」と語り、批判を浴びた。しかし、その後の立憲民主党など野党の対応についても否定的な声が多い。緊急事態条項の新設に照準を合わせた動きに、「コロナの政治利用」「火事場泥棒」と批判していたにも関わらず、広告規制などについて「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」との付則を条件に採決に応じたからである。
   
「条件闘争をしなければ強行採決されていた」「3年間で政治的力関係を変える以外にない」と言うが、客観的に見れば「今まで閉じられていた扉を開いてしまった」との見方を否定することはできない。「付則で歯止めをかけた」と言うのは少し甘い気がする。この間、「安倍政権下での改憲反対」で「野党共闘」を進めてきたが、それは改憲に必ずしも反対ではない勢力との妥協でもあった。あらためて自民党の改憲戦略に対する、こちら側の方針を再確認しなければならない。
   
「反対するだけでは数の力で押し切られるから条件闘争を行った」との主張は一見正しいかのように思うが、その考え方に立てば、すべての法案等で「少数派であれば何もできない」となる。戦後政治のなかで、院内の闘いが厳しい時は「労働者・勤労国民」に依拠し院外の闘いを呼びかけた場面が多くあった。立憲民主党をはじめ各野党は、法案に反対してきた多くの皆さんの声に耳を傾け、改憲の動きに対する危機感を共有し共に闘う態勢を構築すべきだ。
   
   
   
・(3) 「政治とカネ」問題
   
「政治とカネ」に関する不祥事が続いている。河井克行衆議院議員、妻の案里参議院議員の選挙買収事件は悪質である。「現金を配る」という手口は、昭和に逆戻りしたような感覚になる。菅原一秀前経済産業大臣の公職選挙法違反事件、吉川貴盛元農水大臣の鶏卵大手アキタフーズから賄賂を受け取っていたとされる事件も同様である。IR担当副大臣であった秋元司元衆議院議員のカジノを巡る収賄および証人買収事件も前代未聞である。
   
自民党二階幹事長は、これらの事件に関し「政治とカネの問題は随分きれいになった」と述べたが国民にとっては意味不明だ。自民党本部から河井案里氏の陣営に送金された1億5000万円の使途をはじめ政権与党からの説明は一切ない。総選挙の大きな焦点としなければならない。
   
   

■ 低下する政治への信頼

政権与党に対する信頼は大きく損なわれている。しかし、野党に対する期待が大きく高まっているとは言いにくい。正しく言えば、「政治そのものに対する信頼」が低下しているということであろう。もちろん、政権に忖度し、「虚偽答弁」「公文書改ざん・廃棄」等を繰り返す官僚らに対する不信も含まれている。
   
東京五輪が終わったが、選手村における感染拡大など新型コロナウイルス対策の問題点が浮き彫りになった。それと共に五輪本来の目的や理念を壊すような問題発言や不祥事も相次いだ。2月には、森喜朗元総理が女性蔑視発言を行い、大会組織委員会会長を辞任した。3月には、開閉会式の統括役だった佐々木宏氏が女性の容姿を侮辱する演出を発案し辞任、7月には、開会式楽曲制作を担当していた小山田圭吾氏が過去の「いじめ」に対する批判を受け辞任した。また、開会式前日には、開閉会式の統括役を務めていた小林賢太郎氏が、かつてユダヤ人大量虐殺を題材にしたコントを行っていたことが発覚し解任された。
   
これらは海外のメディアでも取り上げられ、日本における「人権」「差別」「暴力」「ジェンダー平等」などに関する取り組みの遅れ、意識の低さが驚きをもって紹介された。政権与党の歪んだ思想や政治的意図により「常識」とされてきたことが、世界では通用しないことが明らかになった。
   
「オリンピック関係者」の各種発言、政府の対応等を見たとき、「理念なき商業五輪」との指摘は的を射ている。「多様性と調和」が言葉だけで、いかに薄っぺらで中身が伴わないものであったか多くの国民が気づいた。そして、国際社会に対して少なからず恥ずかしさを感じた。
   
安倍前首相、菅首相の東京五輪へのこだわりの根底には、「和の精神」「日本人としての自覚と誇り」などの発言に象徴される狙いも見え隠れする。ナショナリズムを巧みに利用し、「愛国心」「国威発揚」を煽るなかで戦争へ突き進んだ過去の歴史と重ね合わせてみなければならない。
   
   

■「野党共闘」をめぐる攻防

直面している解散総選挙の戦いで、あらためて問われているのは「野党共闘」である。
   
一概に「野党共闘」と言っても、その中身は異なる。話し合い、または暗黙の了解の中で野党候補者が一本化されている選挙区がある。確かに候補者一本化だけでは限界性があるが、それでも複数の野党候補者が出た場合を考えると大きな違いがある。候補者一本化は「野党共闘」の最低条件である。
   
次は、候補者一本化とともに野党が協力して戦う選挙区である。この場合は、野党各党の支持者を大きく集約できる。同時に、当選の可能性が見えてくることから選挙戦が盛り上がりさまざまな「相乗効果」も生まれる。文字通り「共闘」である。
   
さらに、もう一段階上の取り組みとして「市民と野党の共闘」がある。北信越ブロックの中では、新潟県の「新潟市民連合」、長野県の「信州市民連合」などが大きな力を発揮している。市民団体が、野党各党・予定候補者と政策協定を結び共に戦うというものであるが、ここまでくると相当に幅広い戦線となる。4月の参議院長野選挙区の補欠選挙はまさにその成果であった。
   
「野党共闘」の効果は、東京都議選でも如実に表れた。2〜3人区で並立した選挙区は、「もしも共闘できていたら……」と思わずにいられない結果となった。「候補者すみわけ」だけの選挙区では明暗が分かれる結果となった。「野党共闘」が成立した選挙区では多くの当選を勝ち取った。
   
いま、「野党共闘」が壊されたり後退させられたりしている。その原因は、国民民主党と連合内一部単産による動きと、それに対して毅然とした姿勢を示せない野党側にある。一方、自民党内では「民間大企業労組との連携」が公然と語られるようになっている。
   
最近の動きは1970年前後の政治状況を思い起こさせる。当時、官公労が総評労働運動の中心を担っていたが国鉄、郵政などで「第二組合」が当局の手によって作られた。彼らの基本路線は、「労使協調」「労使一体化」であった。政治的には社会党と対抗する民社党に集約されていった。「55年体制」のもとで、「労働組合は反自民、非自民」という基本的な枠組みを転換させようという資本側の攻撃でもあった。言い換えれば、総評・社会党の闘いを内側から妨害し、壊す狙いがあったのである。高度成長期の過酷な労働現場と労働運動の高揚は、そうした流れを急速に大きくすることを許さなかったが、それは消えることはなく、総評内における民間単産主導の労働戦線再編成へと引き継がれ、「全民労協」結成を経て90年の総評解体へとつながっていった。
   
かつて労働運動に関わった者としては忸怩たる思いになるのが、最近の労働組合に対する評価である。組織率が低い、運動が見えないなどの理由もあると思うが、一般の有権者、市民の受け止めはそこではないようである。つまり、労働組合そのものが「企業の利益を守るためにある」という悪いイメージで見られているのである。
   
「みずからの利益」を否定するつもりはないが、労働組合を名乗る以上は、「弱い者の味方」「社会正義」などの理念や姿勢が求められる。参議院比例選挙などでは、たしかに各単産票は大きなメリットであるが、一歩間違えばそれを超えるような大きなデメリットとなる危険もある。選挙は、「足し算」だけでは見通せない。候補者を中心とした「イメージ」「政策」、陣営の「盛り上がり」、さらに「風」などという要素まである。労組推薦候補が苦戦した東京都議会選挙もそうした結果かもしれない。
   
もう一つは、官民を問わず、労働組合が非正規労働者の問題を重視していない点である。現場では正規・非正規の労働者が混在している。同じ職場で同じ仕事をしているにも関わらず、非正規の賃金は半分以下である。過去の選挙で、非正規労働者から、「私たちは同じ職場で、同じ仕事をしている正社員との賃金格差を納得していない」「私たちは、組合に入れてもらえないし、待遇の改善を取り上げてもらったこともない」と言われたことを忘れられない。労働組合が労働者を代表しているのかが問われている。
   
全労働者の4割を占める非正規労働者の問題を放置していいはずがない。労働者の賃金を「人件費」ではなく、「物品」として扱う歪な雇用実態は是正しなくてはならない。非正規労働者の問題を真剣に取り組むか否かは、まともな労働組合であるかどうかの試金石である。非正規労働者の置かれた状態を変えると同時に、労働組合の社会的評価を取り戻す第一歩でもある。
   
   

■「野党共闘」の成功にむけて

安倍前内閣、菅内閣と続く長期政権の弊害によって、日本は国際的な動きに大きく後れをとった。例えば、脱炭素社会の実現は世界の潮流である。従来の延長線上の帳尻合わせではなく国際的な規制や義務が必要である。欧州諸国が打ち出している石炭火力の全廃政策やガソリン車の販売禁止などは「枠組み全体の見直し」をめざす好例である。しかし、日本政府には世界の「転換の潮流」が見えず、政策は大きく遅れている。
   
また、ジェンダー平等やLGBT差別禁止法をめぐる人権意識、移民・難民に対する「排除」とも受け取れる対応、選択制夫婦別姓の導入に反対する自民党の姿も世界の流れと逆方向である。核兵器禁止条約批准についても同じである。今度の解散総選挙は、「世界の流れ」「時代の流れ」に取り残された政権与党との戦いである。
   
しかし、野党側の戦う態勢も十分ではない。有権者は、野党の政権を担う能力、野党間の連携などを見極めようとしている。野党にとっては、文字通り「勝負どころ」である。立憲民主党は野党第一党であり、枝野代表は野党側の「総大将」である。堂々とした姿勢で他の野党や市民連合を大きくとりまとめてほしい。安倍、菅と続く長期政権に対し「うんざり感」が漂うなか、国民は「第二自民党的な野党」など望んではいない。幅広い戦線を目指すことは重要であるが、「足して二で割る」ことができない課題も当然ある。重要なことは、有権者に対して「投票したい」と思うような分かりやすい政策、つまり選挙の「選択肢」を示すことである。「野党共闘」「市民と野党の共闘」が成功すれば、政治は大きく変えられる。
   
(8月15日)
   

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