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●2020年8月号
■ 当面する政治課題について
    吉田 進

■ 1.はじめに

新型コロナウイルス感染拡大がなかなか収束しない。世界各国のあまりにも多くの感染者・死者が連日報道され、単に「統計上の数字」を見ているような感覚になってしまう。目に見えない未知のウイルスによって、世界中が大混乱に陥る光景は恐ろしいというより信じがたい。当たり前の日常が突然奪われる不安と恐怖は言葉では言い表せない。多くの犠牲者が出ていることに心が痛むとともに、グローバル化に潜んでいるリスクの大きさを思い知らされる。世界的なサプライチェーンの機能低下、経済・金融の混乱などは誰もが予想できなかった。その深刻さは、「2008年のリーマンショックより大きい」と言われている。
   
世界の感染者数は1300万人、死者数は55万人を超えており、国際的な協力体制を敷くことなしにこの感染症を克服する道はない。しかし、圧倒的に感染者・死者が多いアメリカの大統領の言動に見られるように世界はその方向には進んでいない。逆に分断と対立が強まっている。
   
   

■ 2.安倍政権の危機管理

昨年12月の中国武漢市での感染発生、本年2月の横浜港に寄港した「ダイヤモンド・プリンセス号」における感染などが報道されて以来、マスコミは新型コロナウイルス問題一色となった。同時に、この問題をめぐってさまざまなことが見えてきた。
   
各国の感染者数・死者数を見たとき医療体制等によって大きな差が出ている。イタリア、スペインなどは大幅な医療費削減により、医師、看護師、病床、人工呼吸器などの縮小が進むなかで医療崩壊を引き起こした。アメリカは保険制度が未整備のため、低所得者層が診察を受けられない状況などが生まれ死者が急増した。
   
日本の医療や保健衛生が、再編・合理化等によって想像以上に脆くなっている実情も明らかになった。とりわけ、PCR検査数が世界各国と比べて異常に少ないことが指摘された。死亡後に検査を行ったら陽性だったと言う例も多く、5月の連休が明けてからようやく「37.5度、4日以上」という受診基準が見直された。
   
この間、厚生労働省が進めてきた公立・公的病院の再編・統合問題は、今回の新型コロナウイルスを機に、すでに行われた病院名の公表を撤回し、あらためて議論をやり直すべきである。 安倍内閣の危機管理の危うさも浮き彫りになった。危機管理の基本は、最悪の事態を想定した素早い対応、国民の命と健康を第一に考える冷静な判断、国民の安心を保つための情報公開などと言われている。
   
しかし、どれをとってみても政府の対応は良くない。最前線で活動する医療関係者にマスクなどの供給すらできない状況はあまりにも情けない。「国民1人当たり10万円」の給付についても、政策が二転三転し「スピード感」は全くない。休業要請と補償をセットにした対策も不十分であった。「場当たり的」な対応と批判されても仕方がない。
   
こうした事態を招いた原因は、地方自治体、医療現場、国民が抱える危機感を政府が共有できていないからである。7月に入り、「第2波」と見られる感染拡大が進んでいるが、「感染対策と経済の両立」のなかで有効な対策がとられていない。政府と国民の間に大きな「溝」が生まれてしまった感もある。
   
危機管理においては、対応策を迅速・的確に決め実行するという行政手腕とともに、国民感情に寄り添う姿勢が重要である。みずからの思いや決意を自分の言葉で国民に伝えることをしない安倍首相への批判は強まっている。具体的な「数値」「科学的根拠」をはっきり示さず、「抽象的」「情緒的」な言葉だけを並べても国民の心には響かない。
   
6月12日に可決成立した第2次補正予算は31兆9114億円という巨額であった。しかし、「持続化給付金」事業の再委託問題などは逆に疑惑を生み出してしまった。10兆円もの予備費を盛った当初案は立法府の議決権を放棄し政府への白紙委任を迫るものであった。私の住んでいる長野県の地方紙も、「巨額予算、疑惑の山」「説明責任果たさず執行へ」という見出しで批判した。
   
   

■ 3.緊急事態に便乗した改憲などの動き

新型コロナウイルスに対する取り組みを「戦争」に見立てて「国難」「非常事態」が叫ばれた。「デマ」拡散によって国民が右往左往し、自由や権利が抑圧されていくような風潮は不気味である。
   
国内で初めて感染者が確認されて2週間後の1月30日、「緊急事態に個人の権限をどう制限するか、憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」と自民党伊吹元衆議院議長が発言した。これに呼応した形で2月7日、安倍首相は緊急事態条項に関して「憲法にどのように位置づけるかは、極めて重く大切な課題」と述べた。緊急事態条項に照準を合わせ改憲の糸口にしようという動きである。「緊急事態宣言」と「緊急事態条項」は中身が異なる。外出自粛や休業要請にとどまる「宣言」に対し、「条項」は政府に強大な権限を与える規定(自民党改憲草案)となる。国民の不安に乗じた、「どさくさ紛れ」「火事場泥棒」のような動きである。憲法に緊急事態の条項がないことが、感染症対策を妨げているわけでは決してない。
   
しかし、安倍首相は「いま改憲の議論しているときではない」という世論も無視し、5月3日の憲法記念日には「改正への挑戦は決してたやすい道ではないが、必ずや成し遂げていく」と述べている。
   
こうしたなか、野党はと言えば残念ながら存在感を十分示せていない。政府与党と野党の対立ではなく、政府と都道府県知事の連携・調整という構図になっているからかもしれない。しかし、医療現場をはじめ国民生活の実態から出発し、具体的な政策を国民世論の力も借りて1つでも実現していくという当たり前の努力が不十分である。現在のような特殊な情勢下では、平時のような政権批判は支持されない。小さな問題であっても国民にとって切実な具体的な政策の提起・実現こそが重要である。
   
あわせて緊急事態における野党の任務は公権力に対する監視である。権力の独断専行を許さない立場で、情報開示、意思決定の過程説明、緊急措置の根拠を政府に求めていかなければならない。 すでに、新型コロナウイルスの影響は、倒産、解雇、雇い止め、失業の増大へと広がりつつある。経済格差や貧困はこの10年余で深刻さを増し、ギリギリの生活を強いられてきた非正規雇用労働者は今後さらに追い詰められていくことになる。「最後のセーフティーネット」と言われる生活保護受給者が急増する兆し(4月の申請は2万1486件、前年同月比24.8%増)が見えている。労働者層に基盤を持つ野党は、これらの問題でしっかり存在感を発揮してもらいたい。
   
感染拡大の恐怖、政府の危機管理能力不足は、社会の中に潜んでいた偏見や差別を顕在化させる。自己中心的な思いからくる他者への憎悪が拡がり、従わない者には嫌がらせ、密告なども行われる。「下からの全体主義」が作られつつあるのかもしれない。異なる意見を封じ込め、社会が一色に染まるような「同調圧力」は一方向へ走り出し制御不能となる危険性をはらんでいる。
   
   

■ 4.安倍政権の行き詰まり

第1次内閣を含めた安倍首相の通算在職日数は憲政史上最長となっている。しかし、安倍政権の実態は「八方ふさがり」であり、どの課題を見てもうまくいきそうな状況では無くなっている。新型コロナウイルス対策はもちろん、これまでの「アベノミクス」「地方創生」「一億総活躍」「働き方改革」「全世代型社会保障」など、いずれも大きな成果は上げられていない。「得意」と自負している外交もうまくいっていない。
   
安倍首相に対する批判は、具体的政策以前の政治姿勢にある。どう考えても「嘘」としか考えられない主張を押し通そうとする。「丁寧な説明」という言葉を多用しているが、国民が求めているのは「嘘」をつかず真実を明らかにすることである。「森友・加計学園」「桜を見る会」などの疑惑に国民は今もって納得していない。
   
安倍首相は、「責任」という言葉の意味をあまり理解していない。新型コロナウイルスへの対応が「後手後手だ」と批判されると、一斉休校や入国制限を突然打ち出し、「私の責任で判断した」と言うが、根拠などは一切示そうとしない。そして、次々と発生する問題への追及に対し、「責任を痛感している」と繰り返すのみである。
   
首相に近い河井克行前法相と妻案里参議院議員の公職選挙法違反事件も今後の展開が注目されている。戦後、「カネによる買収選挙」が横行した時代に逆戻りしたような悪質事件である。地元議員からは、「安倍首相からと言って現金を渡された」との証言まで報道されている。
   
安倍首相の特異さはもはや語る必要すらない。戦後の歴代政権は曲がりなりにも権力の行使について一定のルール、「不文律」のようなものを維持してきた。例えば、「タカ派」の首相であっても、みずから率先して遵守しなければならない憲法を「みっともない憲法」などとは言わなかった。最近は、国会審議に応じないという「禁じ手」までも多用している。先ほどの地方紙は、通常国会閉幕に対し「逃げの一手が政治を壊す」という見出しで批判している。
   
検察庁法改正に関しても同様であった。検察官は起訴権限を持ち、政治家の不正も捜査する。独立性を保つ観点から、「検察官の任免は国公法の影響を受けない」との法解釈を歴代政権は堅持してきた。これを覆し、内閣は黒川弘務東京高検検事長の定年延長を閣議決定した。世論の批判が高まるなか、黒川氏は「賭けマージャン」で辞職し、法案は廃案となったものの納得できる国民への説明は全くない。
   
安倍首相の国会における態度はあまりにも恥ずかしい。労働組合大会でも、執行部席に座る役員が代議員に向かってヤジを飛ばすことはしない。しかも、安倍首相のヤジは極めて品がない。相手にレッテルを貼って貶める手口は悪質なヘイトスピーチと通じるものがある。一国のリーダー、まともな政治家がとるべき態度ではない。
   
6月末の世論調査(共同通信)によると、安倍内閣の支持率は36.7%(不支持率は49.7%)にまで落ち込んでいる。さらに、河井克行前法相と妻の逮捕に関する首相の責任を問う声は75.9%であった。
   
国会は閉会したが、見逃してはならない重要な問題が残っている。イージスアショアの配備中止との関連で、「敵基地攻撃能力」の検討が始まっていることである。歴代政権が踏襲してきた「専守防衛」を大きく逸脱するだけでなく、際限のない「軍拡競争」へ踏み出す危険性をはらんでいる。 7月9日、米国務省は最新鋭ステルス戦闘機F-35(105機)を日本へ売却することを承認している。関連装備を含めた費用は2兆4600億円と言われているが、国民の知らないところで軍備拡大が着々と進められている。
   
   

■ 5.解散総選挙にむけて

当面する政治日程の焦点は解散総選挙に移った。新型コロナウイルスの感染拡大で当初の予測は変わるであろう。しかし、来年10月までという期限は決まっており、その準備を急がなくてはならない。2016年参議院選挙から始まった野党共闘(市民と野党の共闘)をさらに発展させることが何より重要である。
   
当面2つのことが求められている。1つは、共通政策協議である。衆議院選挙は政権選択の選挙であり、みずからが政権を獲得したときの具体的政策についてである。「政権構想」と言ってもいい。2つ目は、全国289の小選挙区で野党統一候補を誰にするのかという候補者選定である。
   
長野県には「信州市民アクション」(県内約40の市民団体で構成)があり、本年に入ってからは東京に出向き野党共闘の加速化を求める要請行動を行っている。さらに、中信市民連合(松本市を中心にした市民団体で構成)は、共通政策の議論を開始した。すでに、安保・外交に関する学習会を開催し、次は、経済・国民生活をテーマにする予定である。こうした取り組みを進めるなかで県内4野党を含めた討論会へとつなげていこうとしている。
   
それぞれの考え方を言い合うだけでなく、各野党を含めてどこで政策を一致させるかの議論である。「政権構想」である以上、その正しさとともに大多数の国民に受け入れられるか「実効性」が問われる。こうした粘り強い取り組みを積み重ねる以外に市民と野党の共闘をさらに深化させることはできない。全国各地からの取り組みが急務である。
   
   

■ 6.おわりに

最後に社民党が立憲民主党から呼びかけられている「合流問題」について少しだけ触れたい。私は、政党と政党が合流すること自体や、枝野代表が言う「大きな塊を作る」ことを否定するものではない。しかし、昨年12月以降の経過のなかで、社民党が真剣に検討しなければならない課題も明らかになったと思う。
   
その1つは、「社会民主主義政党」「社会民主主義的政策」とは一体何なのかという点である。日本における社民主義の歴史や経験はほとんどないために社民主義そのものの定義すら明らかではない。高負担・高福祉の政策を採っている北欧諸国や、米民主党大統領候補者選びに出馬したサンダース氏などのイメージが漠然とあるぐらいである。
   
社民党は、社会民主党宣言において4つの基本理念「平和」「自由」「平等」「共生」を掲げ、これを具体化する不断の改革運動が社民主義であるとしているが、党の力量不足により国民の間で定着しているわけではない。しかし、新型コロナウイルス感染拡大など予測不能な時代のなかで、新自由主義の対抗軸として注目されていく可能性まで失ったわけではない。
   
その上で、合流を呼びかけている立憲民主党はどういう政党なのか。この間の野党共闘のなかで社民党と共通する政策は多い。野党各党の中で最も近い政党であることも間違いない。国会内で統一会派も組んでいる。しかし、立憲民主党が社民主義政党(社民主義的な政党)かと言えばそれは違う。立憲民主党自身もそれは否定すると思う。日本における社民主義政党(勢力)を残し、どう発展させていくのかはもっと深い検証が必要である。
   
2つ目は、「市民と野党の共闘」との関連である。この共闘運動は「安倍一強」に対抗するために始まった大きな流れである。同時に、多様な人々、多様な考え方を認め合うことから出発し、人間らしい生き方をめざす現代社会の流れでもある。「多様性」がキーワードの現代社会の必然でもある。しかし、この運動は始まったばかりであり道半ばである。もっともっと運動を積み上げ発展させていかなくてはならない。この共闘運動のなかにおける社民党の存在、役割は決して小さくない。もちろん、「大きな塊」と「市民と野党の共闘」は相反するものではないが、重要な検討課題である。
   
立憲民主党と国民民主党の合流を進めようとする動きが再び出ている。すでに、両党に連合が加わった「三者協議」が始まった。報道によれば、そのなかで、「共産党とは政策協議をすべきではない」との考え方も出されているようである。今日まで進めてきた野党共闘に「排除の論理」を持ち込むことは許されない。「三者協議」の動向などを見極めていくことも必要である。
   
2月の社民党大会は、合流について単に「賛成」「反対」ではなく、「分裂だけは避けるべき」「統一と団結を守れ」との主張が多数で結論は先送りとなっている。社民党と立憲民主党の協議はその後も継続されているが、党の存続にかかわる問題は、党にとってこれ以上ない最重要案件であるだけに、十分な議論と慎重な党内手続きが不可欠である。
   
(7月15日)
   
   

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