●2020年7月号
■ 急増する経済的弱者と新型コロナ不況
立松 潔
■ はじめに
今回の新型コロナウイルス感染拡大に伴い、政府は4月7日に緊急事態宣言を発令。その後営業自粛や外出自粛によって感染者は減少し、5月25日に緊急事態宣言の全面的解除が行われた。しかし今後感染拡大の第二波に襲われる可能性も否定できず、当面は引き続き警戒が必要とされている。
しかし、長期間の「自粛」が続く中で、経済面への深刻な影響が現れており、その打撃の大きさはリーマンショック後の世界同時不況を上回ると言われている。世界的な感染拡大による輸出の縮小により製造業が打撃を受けたのに加え、外出や営業の自粛、入国規制などによって小売業や宿泊・飲食業をはじめとするサービス産業の多くが経営難に陥っている。製造業に打撃が集中したリーマンショック後の不況との大きな違いであり、今回のコロナ危機の深刻さを示している。
不況の長期化とともに懸念されるのが雇用の問題である。というのは、1990年代からのデフレ不況が長引く中で雇用の劣化とも言うべき事態が進行していたからである。企業倒産や希望退職募集によるリストラで失業者が急増し、さらに正規雇用の縮小と非正規雇用の拡大が進み、賃金低下など労働条件の悪化が進んでいた。小泉政権時の景気拡大期においても、雇用面での改善が伴わないまま世界同時不況に突入し、ワーキングプア、ホームレス、下流老人問題など経済的弱者の貧困問題がさらに深刻化したのである。
2013年以降安倍政権の下で株価は上昇し、企業利益の改善は進んだものの、労働条件の改善や貧困問題の解決は先送りされたままであった。そして今回のコロナ危機は世界的にも経済的な弱者に深刻な被害をもたらしている。本稿では雇用劣化が進んだ1990年代半ば以降の日本経済を振り返るとともに、今回のコロナ危機が非正規雇用労働者など経済的弱者に及ぼしている深刻な影響を明らかにしたい。
■ 1.正規雇用の削減と非正規雇用の増加
1990年代後半以降のデフレ不況期には非正規雇用が急激に増加した。総務省『就業構造基本調査』によれば、1997年から2017年までの20年間に正規雇用労働者は3854万人から3451万人へと403万人(10.5%)減少し、非正規雇用が1261万人から2133万人へと872万人(69.2%)も増加している。そしてその結果、雇用に占める非正規雇用の割合は97年の24.6%から17年には38.2%へと拡大した。デフレ不況という困難な状況を打開するために、多くの日本企業が新製品の開発、技術革新など前向きの手段よりも雇用面でのコスト削減を優先的に推し進めた結果である。
図表1はその非正規雇用労働者の供給源を明らかにするために、有業者を男女別に従業上の地位と雇用形態別に分類し、97年と17年を比較したものである。これを見てまず目につくのが、男子の正規雇用が349万人も減少していることである。これは、デフレ不況期に多くの企業が賃金水準の高い中高年の正規雇用労働者を希望退職募集などの方法で大量にリストラした結果にほかならない。この時期に男子の非正規雇用が331万人も増加した理由のひとつが、このようにリストラされた正社員がその後非正規での就労を余儀なくされたことによるものであった。
(図表1・クリックで拡大します)
また、最近では男女ともに高齢者が非正規雇用に占める割合も増加している。低年金・無年金状態を補うために65歳を過ぎても非正規雇用での就労を続けざるを得ないケースが少なくないからである。『労働力調査』によれば65歳以上の非正規雇用者(役員を除く男女計)は2010年には164万人だったのが、2019年には388万人へと224万人も増えているのである。非正規雇用労働者に占める65歳以上の割合も2010年には9.2%だったのが、2019年には18.0%になっている。
■ 2.規制緩和と自営業の縮小
女子の場合は正規雇用の減少は54万人と男子と比べれば少ないため、非正規雇用の供給源として最も大きいと思われるのが1997年からの20年間で233万人も減少した自営業の家族従業者である。他方で男子の場合は自営業主の減少が143万人にも及んでいる。男女ともに自営業者が廃業等で減少し、非正規雇用労働者の供給源となっているのである。
『就業構造基本調査』によれば、97年から17年までの20年間に自営業者(自営業主と家族従業者)の減少が特に大きかったのは農林水産業と「卸売・小売業、飲食店」である。この20年間の農林水産業の自営業者の減少は177万人、「卸売・小売業、飲食店」では174万人にも及んでいる。いずれもデフレ不況下の個人消費の低迷による自営業の経営難がその原因である。そして農業の場合は自由化による輸入農産物との競争激化も加わり、若者の新規就農者の減少や離農者の増加が進行している。
また小売業の場合はデフレ不況の影響に加え、1990年代に進められた規制緩和によって郊外のロードサイドなどへの大型店の大量出店が進んだことによる打撃が大きかった。2000年代に入ると地方都市の中心商店街の小売店は閉店が相次ぎ、シャッター通りが続出した。また中心商店街の衰退は中心市街地で営業する飲食店などの経営にも打撃となり、経営難に陥った小売店や飲食店の自営業主と家族従業者の多くは非正規雇用者としての就労を余儀なくされることになる。
また図表1で注目されるのは、女性の場合男性とは異なり有業者が164万人も増えていることである。この要因のひとつは、専業主婦などの無業者がデフレ不況下の世帯収入の減少を補うために非正規雇用で働き始めたことによるものである。『労働力調査』によれば15〜64歳の女性の労働力人口比率は2000年代後半以降増加を続け、2005年が60.8%、15年が66.8%、19年が72.6%となっている。
■ 3.就職氷河期・新卒フリーターの急増
日本的雇用では新規学卒者は正規雇用労働者として就職するのが当たり前であった。しかし、いわゆる就職氷河期には正規雇用の口が見つからず卒業後も非正規雇用での就業を余儀なくされる新卒フリーターが急増することになった。文科省の『学校基本統計調査』では大学卒業時点で「進学も就職もしていない者」と「一時的な仕事についた者」の人数も明らかにされている。これを新卒フリーターとして集計すると、1999年3月卒から05年3月卒までの7年間(就職超氷河期)の新卒フリーターの人数は毎年10万人を超え、7年間で94万5941人に達していた。この7年間の卒業生総数(380万9149人)のなんと24.8%を占めていたのである。バブルのピーク時にあたる89年3月〜92年3月卒の新卒フリーターの割合が6.6%に過ぎなかったことを考えると、いかに就職氷河期の就職が大変だったかが明らかである。
卒業の年が違うだけでこれだけ就職結果が違ってくるというのは、決して自己責任論によって片付けることのできない事態である。しかも日本の場合はいったんフリーター(非正規雇用)になってしまうと、その後も正規雇用として採用されるのは容易ではない。中途採用の枠が少ない上に、その採用基準が新卒採用とは異なり正社員としての職業経験や専門能力を基準に行われるため、非正規雇用の経験しかないフリーターには極めて狭き門とならざるを得ないからである。
2006年6月に成立した第一次安倍政権では、就職氷河期に就職できずフリーター生活を余儀なくされている若者に再チャレンジの機会を増やすとの謳い文句で「再チャレンジ支援政策」なるものを打ち出している。しかし、ほとんど成果を上げることはなく、リーマンショック後の不況でフリーターの状態はさらに悪化することになる。
そして今回も安倍政権は2019年6月に打ち出した経済財政運営の指針である「骨太方針」において、就職氷河期世代の正規雇用者を3年で30万人増加させる目標を掲げ、積極的な採用を企業に要請している。しかし、企業の反応ははかばかしくない。主要111社を対象とした共同通信社のアンケートによれば、就職氷河期世代を採用する予定がないとした企業は、回答を寄せた102社の約88%に当たる90社に上っていた。採用予定がないとした理由(複数回答可)については、42社が「正社員経験などキャリアを重ねた人の中途採用を優先」を挙げ、「その世代の中途採用枠を設けていない」が8社、「既存社員との処遇バランスが難しい」が2社となっている(東京新聞5月18日朝刊)。そして今回のコロナ危機で就職氷河期世代の雇用状況は更に悪化しようとしているのである。
■ 4.懸念される製造業の派遣切り
リーマンショック後の2008年11月頃から深刻化した不況では、日本の製造業において大規模な労働者派遣契約の打ち切り(派遣切り)が発生した。そのため多くの派遣労働者が宿舎からも追い出され路頭に迷うことになったのである。この時、NPOや労働組合によって日比谷公園内に生活困窮者が年を越すための避難所が設置され「年越し派遣村」と呼ばれることで、「派遣切り」が多くの国民の注目をあびることになる。
リーマンショック後の派遣切りは、主として輸出が大幅に減少した自動車産業や電機メーカーなど製造業において実施されたものである。しかしこのような事態にいたったそもそもの原因は、小泉政権時代の2004年3月にそれまで禁止されていた製造業への派遣労働が解禁されたことである。
労働基準法(第六条)では中間搾取の排除(ピンハネの禁止)が規定されており、戦後の長い間労働者派遣は認められていなかった。しかし1980年代の新自由主義的イデオロギーの拡大浸透とともに、1985年制定(施行は86年)の労働者派遣法によってその規制が緩和され、13の専門業務に限り例外的措置として派遣が認められることになる。そしてその後派遣労働の規制緩和はさらに進み、1999年には例外的措置だったはずの労働者派遣が原則自由にされてしまう。そしてこの時はまだ派遣禁止業種であった製造業への労働者派遣も、先述したように2004年に認められることになる。そしてこの規制緩和によってたちまち製造業は派遣労働者の最も多い分野になった。2007年の『就業構造基本調査』によれば、全国で160.8万人いる派遣労働者が最も多く働いていた業種が製造業であり、全体の36.1%(58.1万人)を占めていたのである。
そしてリーマンショック後のリストラではこの派遣労働者が最大の標的になった。総務省「労働力調査」によれば2008年から09年にかけて正規雇用の減少が15万人(減少率0.4%)だったのに対し、非正規雇用は38万人も減少(減少率2.2%)している。そして非正規雇用のうち減少幅が最大だったのが派遣労働者だった。非正規雇用で最も多数を占めるパートタイマーは824万人から817万人へ7万人(0.8%)の減少だったのに対し、派遣労働者は140万人から108万人へと32万人(22.9%)も減少したのである。派遣労働者が企業にとって解雇しやすい「雇用の調節弁」として活用されていたことがわかる。
リーマンショック後減少した派遣労働者は、その後の景気回復によって再び増加し、『労働力調査』によれば、2012年4〜6月期の81万人から19年10〜12月期には144万人へとリーマンショック前の水準にまで回復している。しかも派遣労働者を活用する業種のトップは相変わらず製造業である。そして製造業は今回のコロナ危機でも大きな打撃を受けており、再び大量の派遣切りの実施が懸念されている。多くの企業では派遣社員の契約を4月から始め、四半期決算にあわせて3カ月ごとに更新するのが主流となっているため、このまま不況が続けば6月末で雇止めされる派遣労働者が多数にのぼる可能性が高いのである。
■ 5.弱者を追い詰めるコロナ不況
帝国データバンクによれば、新型コロナウイルス関連倒産は、6月8日現在で全国に227件となっている。業種別にみて倒産件数の上位にあるのが、インバウンド消失や国内旅行、出張の自粛でキャンセルが相次いだ宿泊業の40件、ついで緊急事態宣言で来店客の減少や臨時休業が響いた飲食業が30件となっている。また「労働力調査」によれば4月の就業者が対前年同月比で最も減少したのが「宿泊業、飲食サービス業」の46万人減、次が「卸売業・小売業」の33万人減、次いで製造業の17万人減となっている。
さらに深刻なのは、営業自粛や操業短縮などの影響で、雇用者のうち休業中の者が2月の164万人、3月の213万人から4月には516万人と急増し、全雇用者の8.7%に及んでいることである。そして4月休業者のうち非正規雇用労働者は300万人に達している。非正規雇用労働者全体の14.9%が休業下におかれているのである。すでに4月段階で非正規雇用労働者は対前年同月比で97万人も減少しており、今後不況の長期化によって休業者から失業者に転化するものがさらに増えることが心配されている。
また、6月2日の「朝日新聞」によれば、「特定警戒都道府県」の主な自治体で、4月の生活保護申請件数が前年と比べて約3割増え、東京23区に限ると増加率は約4割に達しているという。そして5月、6月にはそのような生活困窮者がさらに急増する気配である。
以上のように、コロナ危機による雇用の悪化は経済的弱者を痛めつけ、貧困問題を深刻化させている。政府の対策も後手に回り十分な効果を上げているとは言えない状況である。
しかし他方で、安倍政権の支持基盤である大企業や金融ファンド、富裕層などにとっての大きな関心事である株価対策は、抜かりなく進められているようである。2020年1月(終値)に2万3205円だった日経平均株価はコロナ危機で3月には一時1万6553円(19日終値)になっている。28.7%もの暴落である。しかし日本銀行が3月16日に上場投資信託(ETF)買い入れ目標額の上限を従来の年間約6兆円から約12兆円に引き上げることを決定したことでその後株価は上昇に転じ、6月8日の終値は2万3178円とコロナ危機前の2万3000円台の水準にまで回復している。リーマンショック後の不況では暴落後の株価が4年以上にわたって低迷したが、その時とは大きな違いである。このように安倍政権は当初から大企業や金融投資家を利する政策を巧みに進めてきたものの、その恩恵が社会の底辺層には一向に及んでいないことは今回のコロナ危機でますますはっきりしたと言えるであろう。
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