■ サイト内検索


AND OR
 
 
 月刊『社会主義』
 過去の特集テーマは
こちら
■ 2018年
■ 2017年
■ 2016年
■ 2015年
■ 2014年
■ 2013年
■ 2012年
■ 2011年
■ 2010年
■ 2009年
■ 2008年
■ 2007年
■ 2006年
■ 2005年
■ 2004年
■ 2003年
■ 2002年
■ 2001年
■ 2000年
■ 1999年
■ 1998年


 


●2018年12月号
■ 安倍第4次内閣の経済政策
     伊藤 修

   

■ ご都合主義経済論の構造

自民党総裁選をへて改造された第4次安倍内閣の経済政策を展望する。これが小論の任務であるが、先立ってまず確認しておきたいことがある。
   
第1。最近の春闘をふりかえってみると、1つのパターンがあることに気づくはずだ。
   
たとえば今春、経団連は「円高で経営環境が厳しくなる懸念があるので賃上げはできない」と強調、パターンセッターである自動車、特にトヨタ労使がそれで合意して、全体が低く抑えられた。春闘前になると経営側が何か「懸念材料」をもちだす。労働側が抑えられる。
   
あとからみれば、まったくおかしい。悪材料とされた円高は、春闘前2〜4月に一瞬みられただけで、すぐ円安にもどった。経営側は知らん顔、おそらくニヤッと笑ってさっさと忘れてしまっただろう。そして、低い賃上げで終わったという現実だけが、ポツンとあとに残る。
   
この連続で、日本では、当然あるべき賃上げもなされない。2014年の消費税3%上げで実質目減りした分をとりもどす最低限必要な賃上げ“要求”さえ(!)なされなかった。世界の、また経済の常識からみてありえない、こんな不可解なことが日本ではおきている。
   
こんにちむしろ大手労組が関与しないパート・アルバイト時給の方が、人手不足のさいの理論どおりに上がっている。組合は労働者抑え役だ。
   
このようにして日本の労働分配率は下がってきた。企業が利益をかかえ込み過ぎ、労働者家計の所得は削られた。当然、消費支出が委縮しつづける。
   
市場の委縮は、大手をふくむすべての企業にとって売上げ減少、つまり自分の首を絞めることになり、ふたたび内向してコスト削減を競争する。
   
そういう行ったり来たりの構造をしていて、その過程で日本経済全体が委縮・停滞してきたのである。
   
資本家は自分で発した波の返しに翻弄され、労働者にしわ寄せすることしか知らない。大たわけというほかないが、これが、利潤追求を生存原理にするキャピタル=イズムの、現代日本でのリアルな姿である。
   
話をもどすと、今春闘の「円高」の場合、それが一時的な波乱にすぎず、基調は逆に円安でしかありえないのは、もう社会常識の範囲だろう。
   
2008年のリーマン・ショック、世界金融危機のために、先行していた日本につづき米・欧も異常な貨幣のばらまき=超金融緩和を始め、先進国圏はゼロ金利で並んだ。
   
その後まずアメリカがゼロ金利から脱出、金利が上がり始めた(脱出のことを「出口戦略」とか「テーパリング」と呼ぶ)。欧州も、まだ本格実施はできないが脱却を表明している。一方、日本はゼロ金利が長引く。
   
すなわち日本の低金利が突出する。
   
そうであれば、世界規模でもうけを追求する投資資金は、金利ほぼゼロで全然もうからない日本から、もうかるアメリカ等へ移動する。そのため円を売って、ドルに替える。
   
為替レートは売り買いで決まる。あらゆる商品と同じく、売られるものの値(交換比率)は下がり、買われるものは高くなる。だから当面のところ円安が基調なのは当然である。
   
「円高で賃上げできない」などと、子どもをだますような詐欺の口上のでたらめは明白。本来なら一蹴だ。こんなものが通用するとは何をやっているのか。
   
資本側にとっていちばん好都合なのは、春闘前には「厳しい情勢で賃上げできない」という口実を何か選んで脅す(一九春闘に向けては、私なら「トランプ発の貿易戦争の被害が意外に大きくて賃上げ不可」という手でも使うと思う)。そして選挙前になれば「大戦果があがっている」と宣伝する。――こういう段取りで回すことだ。
   
われわれの側としては、ウソがばれない短期戦で区切ってペースを握る相手の戦術を読み切り、短期の動きに左右されないこと。少し長い目で経過を追い、結果を追及して、ごまかしを粉砕する説明をわかりやすく、広く訴えることが肝要である。
   
   

■「やってる感」演出戦術

第2の確認点。安倍政権は「やってる感」が生命線だという。実際に何をしているかではなく、がんばって何かやっている「感じ」を与えつづけるのが大事だ、と。なるほどそのようだ。
   
第2次以後の安倍内閣は次のような戦術をとっている。本当にやりたいのは改憲を柱とする右翼・排外政策で戦後のレジームをねじり戻すことだが、これでは人気がないので、経済と外交を前面に出し、そこで点をかせいで選挙に勝つ。選挙後は数の力でごり押しする。
   
外交はたしかに支持の要因になっているようだ。じつはよくみるとヘタな手を打ちつづけているのだが、その被害がわかるのは先のこと。当面、なんとなく堂々と世界の首脳とわたりあっている画像、印象、雰囲気――「やってる感」で点をかせいでいるだろう。
   
経済政策でも「やってる感」がポイントになっている。
   
かつて「アベノミクス」と囃された政策(形勢不利なためか最近は聞かなくなった)の柱は3つあった。
   
第1が「異次元金融緩和」=貨幣ばらまき。
第2が自民伝統の財政ばらまきの復活。
第3は右の2つ(財政と金融)以外のすべてで、産業の体力強化を図るもの。
   
この第3の柱では、「日本再生本部」「産業競争力会議」「地方創生」「女性活躍(最初は女性活用といっていた)」「一億総活躍」「人生百年時代」、最近では「外国人材活用」……等々、戦時中の戦意発揚標語のようなセンスだが、机上の官僚作文による政策プランが次から次へと打ち上げられてきた。おぼえておられるだろうか。
   
安倍首相本人はもとより首相官邸をはじめとする政府部内でも、何が何だかわからなくなったようで、「○△会議が乱立して重複も多く、やりにくい」との声が強まり、今回、「経済財政諮問会議」と「未来投資会議」の2つだけに集約された(首相官邸ホームページ)。つまり、ほとんどは意味がなく、無視していい駄文だったことを認めたのである。
   
「経済財政諮問会議」の方は主に財政や金融のかじ取りの領域(柱の第1と第2)、「未来投資会議」の方が将来に向けた経済・社会の構造問題(第3)を扱うという切り分けになる。
   
   

■ 安倍経済政策のこれまでの成績

実績をみてみよう。まずこれまでの主力であった「異次元金融緩和」の現状はどうか。
   
当初のねらいは、従来の常識外の規模の買いオペ(日銀が市中銀行から国債などを買うこと)で貨幣を出し、意表をついて人々の心理を上向きに変えることにより、2%物価上昇を2年間で実現する、にあった。
   
2013年から2年が公約だったが、もう6年近くたつのに物価上昇率は1%以下。よって明確にねらいは失敗、完全な公約破りとなった。
   
円安になり、株価が上がったことは安倍の功績だ、という意見もある。これは間違っている。
   
円安は安倍と関係なく、主に海外の事情による。
   
世界金融危機のあと、欧州ではギリシャはじめ南欧やアイスランドの信用不安、米国では議会混迷で財政の借入れ不能化の危機があり、消去法で日本の円が相対的に安心(これは誤解だが)とされて、円が買われ、円高になっていた。これが2012年前半まで。
   
やがて米・欧ともまあ大丈夫かとなり、もうからない日本円を売って(→円安)、資金は離れていった。これが安倍復帰前後の事情で、円安はたまたまのタイミングだった。
   
次に株価上昇は、

  1. 円安は輸出企業にプラスだから株価も上がるという投資家の反応、
  2. 企業利潤が高水準をつづけている実体的条件、
  3. 日米欧とも貨幣がジャブジャブに出ていて資産が買われやすい環境にあること、

による。
   
1.の円安は海外事情だった。2.の利益増は資本側の取り過ぎであり、経済を委縮させている元凶だ。3.も副作用があるので正常化へ動きつつある(日本は正常化できず苦しんでいる)。――「功績」など、どこにあるか?
   
なお最近、アメリカ発で株価の暴落、乱高下がおき、日本にも及んでいるが、これも3.に関わっている。
   
アメリカは金利が上がりつつあるので、株価は下がる。金利がゼロというふうに低いと、さすがに株あるいは株を組み込んだ投資信託でも買おうかという動きが出て、株価は上がる。金利が上がれば、逆に資金運用先を株から利息ものに移そうとなって、株価は下がる。
   
アメリカの株価が下がると、それで損が出た投資家や金融機関は、日本など他国の株を売って利益を出して穴埋めするため、日本株も下がることになりやすい。
   
こうみると、米株価は下がる基調がある。日本の株価は、右の連動の要素と、日本はまだ低金利から脱けないという面とがあるので、必ずいっしょに下がるとはいえない。
   
このほか、人手不足状態になったことは安倍経済政策の大手柄だ、という主張も相当つよい。これも誤りだ。
   
ふつうの場合、人手不足になるのは、経済が好調で雇用(求人)がふえているときである。しかし今の日本は異なる。求人がふえたのではなく、求職が減っていることによる。少子化、人口減が労働人口、求職者の減少として顕在化する段階に至ったのだ。
   
もう1つは、介護・看護などのように、条件が悪すぎて人が来ない、定着しないという理由である。
   
ちなみに日本の人口は2008年に1億2808万人のピーク、今年10月1日現在(概算)1億2644万人と、この10年ですでに164万人減った。今後、減少ペースはさらに上がって10年に約1000万人(!)ずつ減ると予測される。
   
子供を生み育てることを妨害する社会条件のために、社会の維持ができなくなっている。大げさでなく、社会が壊されつつある。原因は職場(経営)とならんで政治である。それが「大手柄」とは、どうかしている。
   
   

■ 必ずくる「副作用」の脅威

アベ・クロダ緩和は空振りだったと述べた。だがそれだけですまない。大規模経済混乱がほぼ確実なリスクを積み上げてもいる。われわれが6年前の自民総裁選のときから指摘してきたことが明白になり、マスコミでも緩和の「副作用」という言葉を使うようになった。
   
おおよそこういうことだ。金利のいわば卸売価格は国債の売買市場で決まる。ゼロ金利、マイナス金利とは、元利収益(利子と、満期の元本償還との合計)と同じかそれ以上の価格で、国債が売買されていることをさす。元利収益が9900円なのに価格(すなわち必要投資額)が1万円なら、収益は−100円、金利=収益率は−1%だ。国債の異常高である。
   
金利が上がるとは、国債の値が下がること。右の例で価格が9000円に下がると収益900円、金利は10%になる。
   
ゼロ金利は永遠にはつづかず、金利は必ず上がる。国債価格は必ず下がる。そのとき、国債800兆円強のうち470兆円を買い入れて保有している日銀を中心に(次はゆうちょ銀)、巨額の値下がり損失を出す。破綻の危機に直面するところが出る。これが破局発生という第1のリスク。
   
第2のリスク。右の金利上昇になったとたんに、膨大な国債への利払いが急増し、財政運営困難におちいる。大増税あるいは社会保障などの支出の大幅カットを迫られることになる。金融が限界なので安倍内閣は財政ばらまきを強めるとみられており、さらに悪材料である。
   
第3は、将来でなく現在すでに進行中のものだ。ほぼゼロ金利下、金融機関は運用でかせぎようがなく、赤字体質、経営破綻のリスクが広がりつつある(事実だが不安を煽るのは本意でない。冷静な対処を望む)。
   
「副作用」は生やさしくない。劇薬である。安倍首相は今次組閣時の会見で「私の任期中に出口戦略に道をつけたい」旨を、いつもどおり軽々しく述べた。右のリスクの道筋の恐怖をわかっているのか。……袋小路で苦しむ黒田さんの舌打ちが聞こえてくるようだ。
   
金融の危機がこのように迫っており、財政破綻の危機も、常識で考えれば明々白々、間近である。それなのに日本にはなぜか危機感がない。
   
日本のバブルのときも、アメリカの不動産バブルでも、もうじき崩壊して大変な被害になる可能性を、頭ではわかっていた。原発の危険もそうだ。しかし人は「今日まで大丈夫だったから明日も大丈夫だろう」「もし現実になったら地獄絵だ。まさかそんなことはないだろう」「本気で考えたらノイローゼになってしまう」と忘れていようとする。見たくないことは考えないこの癖を、心理学で「正常性バイアス(normalcy bias)」というそうだ。そして対策を打たず、忙しさに日々を過ごしていきがちだ。
   
転換が必要である。それは何か、もうわかるはずだ。
   
   

■ 次は「勤労動員」

以上の経過から、安倍内閣は今後、次のような手を打つほかないと思われる。
   
第1。金融はまずい状況だから触れない。日銀に丸投げしておいて、いざとなれば責任転嫁すればいい。
   
第2。財政でばらまきをする。加えて、さすがに今回(来年10月予定)は消費税2%上げを延期しにくいので、前回(14年)の大きな景気悪化に鑑み、ばらまきを追加する。財政破綻は、私の任期後どうなっても関係なし。
   
ただ、そうはいっても、財務省は手をこまねいているわけでなく、できるところから(つまり弱いところから)支出削減をギチギチやろうとする。
   
第3。金融がだめなので、残る主力を注げる・また注がねばならないのは構造問題、生産力強化の分野になる。ここで安倍氏の最大の問題意識、懸念になっているのは「国力」「民族の力」の低下、労働力人口の減少だろう。
   
それは常軌を逸した日本の資本主義の帰結なのだが、彼はそういうことには思い至らず、ただ何とかせねばと考える。策は「勤労動員」である。
   
この分野ではすでに「日本再生」「産業競争力強化」が挙げられてきた。政策は法人税減税くらいだった。使いきれない金余りの状態にある企業にさらに金を渡しても意味がないから、これは的外れだ。
   
「女性活躍」「働き方改革」では、長時間労働の取り締まりや保育の拡充等の実が上がることが要点であり、待機児童がいまだに減らないなど、力不足である。また財界へのプレゼントとして「高プロ」「裁量労働制」を忍び込ませるごとき、つじつまの合わない手口は許されない。
   
「地方創生」でもそうだが、安倍政権下では、いわば「コンペ方式」が多用されている。「KPI (Key Performance Indicator) : 数値指標」による「実績主義」で「競争配分」するというやり方である。
   
これは“客観的” “あいまいさを排し明確”で良さそうに見える。しかし実際は、実態と乖離した机上の政策を上から押し付けておいて競争させることになっている。「偏差値教育の弊害」と同じく「優等生」競争に堕す。この病いの蔓延は、コスト削減の追求一辺倒が元凶であり、“現場密着、現場の創意”に原則を改めるべきである。
   
   

■「人生百年」「外国人材活用」

今次内閣で強調されるのが「人生百年」「外国人材活用」である。いずれも「勤労動員」がねらいだ。
   
「人生百年」と急に言い出したのは、1つは労働力不足を高齢者で補おうということ。70歳まで働くのを普通にさせることが焦点になっている。ここでは、再雇用で大幅に賃金が下がり、同一労働同一賃金の原則に著しく反する現状があることが問題だ。女性、非正規雇用の差別の問題とあわせ、是正が前提である。
   
もう1つのねらいは年金給付の削減にある。社会保障のうち医療や介護より年金の方が削りやすいとの判断があるだろう。すでに70歳年金支給開始がめざされ、それ以上に引き上げようという声も聞こえる。
   
元気満々、顔テカテカの経営者や政治家がみずから望んで繰り下げを選ぶのなら自由だが、健康状態や老後の人生は個々に事情がちがう。そのため一律強制の力が加わるのは、人によっては大きな無理を強いられる。不可である。
   
はげしい高齢化のもとで年金財政を維持していく方法として、単純な給付額の切り下げ、拠出負担の引き上げ、給付開始年齢の引き上げは、いずれも無理が大きく、採用すべきでない。
   
唯一可能であり合理的なのは、「ミニマム保障」+「個人選択制」+「負担の応能原則」だと考える。
   
年金給付額をふくらませ、将来の制度維持を困難にしているのは、二階建て(報酬比例)部分だ。くりかえし提起してきたが、一律最低限保障、たとえば全員1人月10ないし15万円(夫婦で20ないし30万円)給付とすれば、高齢化ピーク時でも財政は維持できる計算である。それ以上ほしい者は個人選択で上乗せ拠出する。
   
これまでの二階拠出分を全部カットするのが無理なら、給付後に税徴収するなどにより、高所得者には一部放棄してもらいつつ、移行・軟着陸を図ることだろう。
   
そのこともあって、税をふくめた負担は「応能原則」、負担能力(=経済力)に応じた負担、とする以外にない。つまり所得税、法人税等の直接税中心でいく。
   
「外国人材活用」も手前勝手な「勤労動員」である。一方、右翼方面からは「移民反対」が叫ばれている。
   
人種、民族、国籍によって国境を閉ざせというのは、野蛮未開な古俗思考だと私は思う。もとをただせば日本人はみんな海外から来て混血したコスモポリタンである。排除は醜い。共生がいい。活力も出る。
   
問題は、「実習生」や「不法就労」といったかたちで半端な地位を押し付け、権利を保障しない差別的扱いから発生している。また発生する。一人の個人として権利を平等にする制度の整備が、前提条件である。
   
   

本サイトに掲載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
Copyright (c) 2018 Socialist Association All rights reserved.
社会主義協会
102-0072東京都千代田区飯田橋1-8-8 ASKビル4階
TEL 03-3221-7881
FAX 03-3221-7897