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●2018年7月号
■  安倍改憲阻止のため幅広い戦線の結集を
     宝田公治

   

■ 1.はじめに

1月22日に召集された第196通常国会の会期が延長された。今国会の焦点の1つは、昨年の解散総選挙の結果、立憲民主党が野党第一党となり、会期中民進党と希望の党の一部が国民民主党を結成した情勢下での国会における野党共闘の行方。2つは、安倍首相が今国会を「『働き方改革』国会」と位置づけたように働き方改革一括法案である。法案提出前に「裁量労働制の対象拡大」をめぐってデータの「ねつ造」が発覚し、それは一括法案から削除されたが、高度プロフェショナル制度を含む長時間労働問題、そして安倍首相が「『非正規』という言葉をなくす」と豪語する「同一労働同一賃金」の問題である。3つは、これが最大の争点だったと思うが、一昨年来続いている「森友・加計」「自衛隊南スーダン・イラク派遣」「厚労省労働時間実態調査」などをめぐる公文書の「隠ぺい・改ざん・ねつ造」問題である。4つは、安倍首相が施政方針演説で「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法だ」と述べ、憲法審査会での議論の深化と前に進めることに期待をかける「憲法改正」である。これらについて、考え方や今後の運動の方向性について述べることとする。
   
   

■ 2.公文書の「隠ぺい・改ざん・ねつ造」

・(1)問題の本質、「知る権利」の否定
森友・加計問題を例にとって問題の本質を考えてみたい。国会答弁で「なかった」と言われた文書が、後に「あった」という「隠ぺい」、さらに悪質なのはその文書が「改ざん・ねつ造」されていたということに問題の本質がある。国会が「国権の最高機関」といわれるのは、日本国憲法の三大原則の1つである国民主権からである。その国会で議論されている文書・データが隠され、改ざん・ねつ造されていては、国会の議論が成り立たない。民主主義の否定といわれるゆえんである。憲法二一条は「表現の自由はこれを保障する」とし、これから国民の「知る権利」も導き出されると考えられている。国民は正しい情報によって各々が意見を持ち、討論することによってより良い意見に収れんさせていくというのが民主主義の根本である。
   
日本の政治家・官僚は「公文書は歴史資料である」ということの認識があまりにも弱いと言われている。情報公開法(1998年)が成立しても、情報をできるだけ出そうとしないし、公文書管理法(2009年)が成立してもその管理は杜撰であり、このことが今日の問題を引き起こしている一因であろう。そして、この延長上に特定秘密保護法(2013年)が成立したのである。まさに民主主義の否定、国民の知る権利の否定である。
   
もう1つの問題は、改ざん等が森友学園では、安倍総理が昨年2月に国会で「私自身や妻の関与があれば、総理も議員も辞職する」と答弁してから始まっているという事実である。加計学園では、安倍首相は加計理事長と長年の友人で、何度も食事やゴルフを一緒にしているにもかかわらず「昨年の1月20日、内閣府が獣医学部新設を加計学園に決定して初めて知った」「理事長から頼まれたことはないし、働きかけてもいない。もし、働きかけて決めたなら責任を取る」と答弁している。そして、国会での証人喚問で関係した官僚は、首相やその直近である内閣府の関与を全面否定する。百歩譲って安倍首相が指示していないとしても、それは世論の多くが言っているように官僚の「忖度」以外に考えられない。
   
公務員の多くは、もともと国民主権への間違った理解から政治家の言動を忖度する傾向がある。さらに、人事権が内閣府人事局にあるとすれば首相や内閣府に忖度する傾向が強まるのは当然のことだ。そして、これらの問題が行政内部で「首相案件」「安倍事案」とあればなおさらだ。もし、首相やその関係者の関与がなかったとしても、安倍首相や麻生財務大臣の監督責任は免れないのも当然のことだ。改ざん・ねつ造された文書を国会に提出し、虚偽答弁を繰り返した首相や財務相の責任は重大だ。単に謝罪してすまされるものではない。立憲主義・民主主義を冒涜するものであり断じて許すことはできない。
   
   
・(2)「隠ぺい」とシビリアンコントロール
南スーダンPKO派遣問題は、2016年7月に南スーダンの首都ジュバで大規模な戦闘が発生。布施さん(シャーナリスト)が、当時の日報を情報公開請求したが、防衛省は日報を廃棄したとして開示しなかった。稲田防衛相(当時)は再調査を指示、翌17年2月に日報があったと公表。「日報が個人データだったので開示の対象ではなかった」と隠ぺいではないとしたが、その翌月に突然撤収が発表された。これは、2015年9月に成立した新安保法(戦争法)に基づく「駆けつけ警護」の新任務が初めて南スーダンPKOに付与され、これを遂行するがために「戦闘状態」を隠ぺいしたと考えられる。
   
イラク自衛隊派遣問題は、2004年から06年にかけて、小泉首相(当時)がイラク特措法に基づいて「現に戦闘がない地域が非戦闘地域」ということで派遣された。17年2月衆議院で当時の日報の存在が問われ、稲田防衛相は「なかった」と答弁。ところが3月、408日分1万4000ページの日報が見つかる。しかし、国会には報告されず、小野寺防衛相に報告されたのは今年3月。1年以上防衛省にさえ報告がなかった。そして、日報には「戦闘の拡大状態」と記されている。これも「戦闘状態」を隠ぺいしたと考えられる。
   
この2つの事件の問題の1つは、派遣された自衛官の命がかかっているということ、つまり人命が全く尊重されていないということ。2つは、時の政権の決定、それも国政を二分するような議論を経て強行した法案を初めて実施したことへの「忖度」。3つは、森友・加計問題と同じで、国会では隠ぺいされた情報で議論が繰り返されるという、国民主権、知る権利が侵されている。これは太平洋戦争における「大本営発表」と同じで国民の知る権利は無視され、ねつ造された情報の下で310万人の日本人の命がなくなった。これと同質の問題である。4つは、これが一番重要なのだが、制服組(自衛隊)が文民(防衛相)に報告をしていないということは、シビリアンコントロールができていないということであり、憲法六六条違反ということである。
   
   
・(3)報道の自由=知る権利、日米の違い
ここで少し肩の力を抜いた話になるが、最近、巨匠スティーブン・スピルバーグ監督による「ペンタゴン・ペーパーズ」というアメリカ映画が上映された。1971年ベトナム戦争が泥沼化し、その戦況からこれ以上戦争を継続することは無謀だという最高機密文書をニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストがスクープ。これに対しニクソン大統領(当時)は、地裁に差し止め訴訟を起こす。最終的に最高裁は「言論の自由」を認め、新聞社が勝利する。判決後ニクソン大統領は、部下に「それら新聞社は二度と記者会見に入れるな」と命令する。現在のトランプ大統領のメディア攻撃への風刺にもなっており、安倍政権にも言えることである。
   
一方、日本では同じ1971年佐藤内閣の下で、沖縄返還協定に際し地権者に支払う土地の現状復旧費12億円を日本政府が秘密裏に米国の肩代わりをするという極秘電文を外務省女性事務官が毎日新聞西山記者にリーク、これを元に社会党横路孝弘と楢崎弥之助が国会で追及。佐藤内閣は国家公務員法違反(守秘義務・そそのかし)で裁判に訴え、女性事務官は一審、西山記者は最高裁で有罪となった。つまり、報道の自由=知る権利には制限があるとされた。以上をみると国民の権利において日米には格段の差があるという事例だ。この体質が、政府・官僚の今国会における公文書の「隠ぺい・改ざん・ねつ造」につながっていると思えてならない。
   
   

■ 3.安倍九条改憲阻止に向けて

・(1)安倍九条改憲の内容
昨年5月3日、安倍首相は改憲派の集会にビデオメッセージで「九条一・二項を残した上で自衛隊を明記する。このことにより自衛隊違憲論議に終止符を打つ」と訴えた。これをうけ自民党憲法改正推進本部は、議論を重ねながら今年5月22日の会合で、「九条一・二項を残し、九条の二『前項の規定は、必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として自衛隊を保持する』」という案を有力な案として取りまとめた。安倍首相は、何も変わることがないと言うが、それは真逆で一切合切すべてが変わる。この問題についてはこれまで多くの識者が述べているので、ここでは詳細は述べないが、ポイントの1つは、「専守防衛」ではなく「海外で米国の戦争に加担する」ということである。それも2015年9月の戦争法で成立した集団的自衛権の「一部容認」などではなく、「すべての集団的自衛権行使」に道を開くということである。もう1つは、現在の自衛隊は九条二項の例外的存在であるが、憲法に自衛隊が明記されることによって人権制約、軍事費増大・社会保障削減、国防意識の教育など国民生活のすべてにおいて自衛隊が闊歩するようになるということなのである。つまり、自衛隊に対する立憲的コントロールが喪失するという安倍首相の「戦後レジームからの脱却」そのものなのである。
   
   
・(2)国民意識
NHKの「日本人と憲法」という調査では、「九条改正の要否」について、

  • 2002年「必要なし」52%、「必要あり」30%、
  • 2017年「必要なし」57%、「必要あり」25%

と、九条改正については、「必要なし」が「必要あり」の2倍以上、それも差が開いている。
   
一方、内閣府の「自衛隊の防衛力」という調査では、

  • 1991年「維持・増強」70%、「縮小」20%、
  • 2015年「維持・増強」89%、「縮小」5%、
    そのうち「増強」は、8%→30%と増えている(これは最近の北朝鮮・中国の問題が影響していると思われる)。

自衛隊は「災害救助」だけでなく、「専守防衛」の自衛隊が国民には受け入れられているということである。
   
本来、自衛隊は憲法九条違反(憲法学界の多数説)の存在であるが、国民意識は「九条は変えずに、しかし自衛隊は必要だ」という学説からいうと矛盾した考え方になっている。これは歴代政府の解釈が長い間「自衛隊合憲論」だったことと、ソ連・中国・北朝鮮など敵国脅威論を政府が意識的に宣伝し続けたことが大きく影響していると思われる。
   
   
・(3)安倍九条改憲阻止のために
まずは改憲発議をさせないために、現在進めている3000万人署名を成功させることである。現在の情勢は安倍退陣を求める世論が大きくなり、9月の自民党総裁選での安陪三選は不透明になってきたし(ただ米朝首脳会談により拉致問題解決のためには安倍続投を求める世論が大きくなる可能性もある)、また政権への信頼がゆらぐなかで憲法改正の発議そのものが不透明となってきた。しかし、安倍首相の九条改憲への執念、そして自民党は結党以来、党是として憲法改正を保持していることからいつ国民投票があるかもしれない。それに対し私たちは常に準備が必要である。
   
そこで私たちの闘いは、当面する闘いと中期の闘いという考えが必要である。本誌の読者の多くは「自衛隊は、そもそも憲法違反」と考えているだろう。しかし、国民の多数は「自衛隊は必要」である。ここで、自衛隊は合憲か違憲かを争うと安倍首相の思うツボである。安倍首相の自衛隊明記は「海外で米軍と一緒になって戦争する自衛隊」なのである。従って、当面は「専守防衛」の自衛隊に引きもどす、そのためには「条文を変えさせない」闘いに専念する必要がある。中期的には、外交努力によって戦争の可能性を限りなく無くし、災害救助の任務は残しつつ、国民合意のもとに「専守防衛」の自衛隊は縮小していく。そして、将来的には憲法が要請する「戦力は保持しない」としていくことである。これが情勢に適応した闘い方ではないだろうか。
   
   
・(4)南北首脳会談、米朝首脳会談がもたらすもの
今年4月28日、韓国文在寅大統領と北朝鮮金正恩労働党委員長は、板門店で南北首脳会談を行い「板門店宣言」を発表した。主な内容は、「朝鮮半島の完全な非核化に積極的に努力する。休戦状態の朝鮮戦争の終戦を年内にめざし、停戦協定を平和協定に転換する」と宣言した。
   
また、6月12日にはトランプ大統領と金正恩委員長は、シンガポールで史上初の米朝首脳会談を行い「共同声明」に署名した。会談後のトランプ大統領の記者会見を含め主な内容は「北朝鮮の安全の保障を約束。朝鮮半島の完全非核化を約束(完全な非核化には技術的に長時間かかる)。朝鮮半島において平和体制を築くために共に努力。共同声明を全面的かつ迅速に移す」。今後の行方については予断を許さないし、実現に向けては多くの困難が予想されるが、北東アジアの平和に第一歩を記したことは確実だ。この情勢に適応しながら、とりわけ社民党は「北東アジア非核平和地帯構想」を現実化するために存在感を示さねばならない。
   
それにしても、劇的なそして世界史的な動きの中で、日本・安倍政権は全く「蚊帳の外」だった。「対話のための対話は意味がない」と言っていたが、米朝会談が決まると「歓迎する」に代わり、中止が伝えられると「大統領の判断を尊重し支持する」と言い、会談復活が明らかになると「必要不可欠」とアメリカに追随した。拉致問題についても、文大統領・トランプ大統領「頼み」というなさけない状態だった。本来このような会談を実現・お膳立てするのは、平和憲法を持つ日本の役割ではなかったのか。これも自民党自身が現憲法に誇りを持たず、活かすことができていない証拠ではなかろうか。
   
   

■ 4.まとめにかえて

1つは、巨大与党に対抗し国民の期待・信頼を得るには、弱小野党がバラバラの闘いではなく、野党と労働組合・市民が共闘を組み闘う以外に方法はない。野党共闘には、社民党が埋没してしまうのではないかという危惧もあるが、それを克服するには共闘の中で精いっぱい闘うこと。とりわけもう一度労働組合と一緒に闘う基盤をつくり、その過程の中で信頼を勝ち取ることが求められている。
   
2つは、安倍九条改憲に対する闘いは、改憲発議をさせないために3000万人署名の成功。そして、国民投票にも勝てる市民と野党の共闘強化。当面自衛隊を海外で米軍と一緒になって戦争させない「専守防衛」に徹するために「九条の条文を変えさせない」闘いに集中することである。この延長上に、来年参院選での32の1人区を中心とした野党統一候補づくりである。
   
3つは、「護憲」と「活憲」は相対する概念ではなく同じベクトルの概念である。世論の多くが、とりわけ若い人には「護憲」という言葉に対し条文だけを守るものと受け止められ、こうした勢力は「革新」に対する「保守」と見られている。これを克服するには最初にも書いたが、今国会での公文書の「隠ぺい・改ざん・ねつ造」は国民主権、立憲主義、知る権利、シビリアンコントロールに対する憲法違反、だから憲法を守れと主張する。そして、同時に憲法を活かした具体的な政策(法律)を大衆とともにつくることが求められている。従って私たちの闘いは「護憲」であり「活憲」である。
   
(2018年6月20日)
   
   

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