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●2017年5月号
■ 九条改憲阻止に向けた統一戦線運動の強化を
   ――「安倍一強」政治を止める力は何か――
     善明 建一

   

■1. 憲法九条改憲に突き進む安倍政権を概観する

安倍晋三首相は、2017年3月4日、超党派の保守系議員連盟「創生『日本』」の会合で、5月に施行70年を迎える憲法について「節目のときだから改正に向かって総力を挙げて頑張ろう」と訴え、衆参両院で改憲勢力が3分の2を超える議席を確保していることを踏まえ、「やっと発議できるようになったのだから、自民党が議論をリードしていかなければならない」と述べている。
   
安倍首相は今年こそ「悲願」である憲法九条を焦点に、明文改憲へ踏み出す決意を明らかにしているのである。
   
3月に入って16日と23日の2回、憲法改正を審議する衆議院憲法審査会が開かれているが、ここでは緊急事態条項を憲法に盛り込むべきかが議論されている。
   
具体的には国政選挙の直前に大規模災害などが発生して選挙ができなくなった場合に備え、国会議員の任期延長を可能とする憲法改正が必要かどうかが争点になっている。
   
さらに憲法を改正して幼児から大学までの教育を無償化する案が、緊急事態条項の新設と並ぶ有力な改憲項目として自民党内で浮上している。その理由は多くの家庭が子どもの教育費の重い負担にあえぐ中、これを憲法条項に加えることは、野党や国民の理解を得やすいだろうと考えたものと思われる。
   
すなわち、憲法九条改憲では、国民の反対は根強くあり、まず国民が受け入れ易い条項で、改憲発議を行い国民の警戒心を薄めておこうということであろう。
   
しかし、これらを実現することと憲法改正には合理的な関連は全くなく、災害時の国会議員の任期延長では、「参議院の緊急集会」で対応できることや、教育費無償化も憲法改正でなく、現行憲法でも可能という意見もある。
   
本当の目的は九条改憲にあることは明白である。憲法審査会は、4月に入ってから、2回の開催が予定され、さらに改正事項の検討を行い、議論を継続するとされている。
   
憲法改正運動を進める運動団体「日本会議」の国会議員懇談会(平沼赳夫会長、290人)は、3月15日の総会で2017年度の運動方針を決定している。改憲の優先課題として、緊急事態条項の創設と、自衛隊の存在を明記する九条改正に取り組むことを方針として確認している。
   
その他の主要改正テーマとして、「前文」、「家族」、「改正手続き」、「統治機構」なども挙げている。また憲法改正の早期実現を求める国会議員署名とあわせて、「憲法改正原案の国会提出を求める国会議員署名」も推進していく方針を決めている。これを受けて、実質的に同会議が実質的に主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が、3月29日に開催され、ここには自民党幹部、民進党、日本維新の会などから国会議員、そして今回初めて公明党幹部も出席している。優先する改憲項目としては「緊急事態条項の新設」、「自衛隊の存在明記」を挙げている。
   
安倍政権は、1月20日に召集された第193通常国会で、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案を3月21日に閣議決定し、衆院に提出した。法案は4月6日、衆院本会議で審議入りし、6月18日の会期末をにらんで最大の対決法案になる。これは「平成の治安維持法」ともいうべき内容で、断じて成立を阻止しなければならない。
   
また通常国会では、南スーダンPKO派遣問題が取り上げられ大きな論戦となった。昨年7月に首都ジュバ市内で270人以上が死亡する大規模な戦闘が起こった。日本政府は、これを「戦闘」ではなく「衝突」だとしてきた。これに対して、昨年9月にジャーナリストから、その時期に、現地の派遣部隊が作成し、中央即応集団司令部に報告している「日報」を情報公開するように請求された。稲田朋美防衛相は文書を防衛省が「廃棄した」と答弁し、不開示の決定をした。その上で政府は、昨年10月の閣議で南スーダンの派遣を2017年の3月まで延長し、11月に安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」の新任務を初めて付与して、陸上自衛隊部隊を出発させた。
   
だが自民党の河野太郎衆議院議員は、「廃棄した」とされた「日報」の再調査を防衛省に求めた。防衛省は、範囲を広げて再調査すると、「日報」を陸上自衛隊が保存していたことが分かったとして、2017年2月7日、「日報」の一部を公表した。
   
陸上自衛隊が保存していたのに、そのことを公表しないように防衛省内で指示があったことも判明した。この文書には「戦闘」との表現が数か所に出てくるなど、防衛省は政権に都合の悪い文書を隠し、国民には「戦闘」という事実を隠蔽していたことになる。政府は「戦闘」が起きていることを認めれば、憲法やPKO参加五原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。だから「戦闘」でなく「衝突」という言葉を稲田防衛相は繰り返し使ってきたのである。
   
3月10日に安倍首相は、派遣部隊を5月末で撤収することを電撃的に発表した。その理由は「自衛隊が担当する施設整備は一定の区切りをつけることができると判断した」と述べた。菅官房長官は治安悪化と撤収の因果関係を否定し、「PKO参加五原則」との整合性についても問題ないとの認識を示した。だが実際は、南スーダンの治安の悪化を隠しようがなく、撤収に追い込まれたことは明らかである。防衛省の「日報」隠しは、自衛隊に対する文民統制が機能していないことを明白にしたもので、稲田防衛相と自衛隊幹部の責任が厳しく問われなければならない。
   
3月29日には自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」が開催され、敵のミサイル基地をたたく敵基地攻撃能力の保有について、政府に検討開始を求める提言をまとめている。これを安倍首相に提出しているが、安倍首相、菅義偉官房長官は、記者会見で「しっかり受け止めていきたい」と述べている。
   
これは北朝鮮の核・ミサイル開発に対処しようとするものであるが、これでは問題の解決にはつながらない。戦争を回避するには外交交渉に徹すべきである。日本が敵基地攻撃をすれば、憲法にもとづく専守防衛の原則を空洞化させる恐れがある。
   
集団的自衛権行使が法律で容認されたことで、自衛隊は海外での米軍と一体となった訓練を繰り返している。日米豪で市街戦の訓練、さらに日米豪印による合同訓練など、その特徴は米国への日本の軍事義務ばかりが拡大されている。自衛隊が活動する外国軍隊を支援すれば、戦闘に巻き込まれ、海外で武力行使する危険性は高まることになる。
   
安倍内閣は、3月31日に教育勅語について、民進党の衆議院議員の質問主意書に答えて、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。
   
教育勅語は、明治天皇の直々の言葉として発布され、国民は「臣民」とされた。親孝行をし、夫婦仲良くという徳目が並ぶが、その核心は「万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせという点にある。いざというときには天皇に命を捧げよというのが教育勅語の「核」にほかならない。
   
教育勅語は軍国主義教育の理念となったものである。その反省から1946年に活用が禁止され、1948年には排除、失効が衆参両院で決議されたものである。
   
「教育基本法に反しないかぎり」と言われているが、「反しない」とは何かは説明されていない。教育基本法改正は、第一次安倍内閣時の2006年12月22日に公布・施行され、安倍首相の肝いりで「道徳心」、「公共の精神」、「愛国心」の条文が盛り込まれている。そして文部科学省は、学習指導要領で2018年度から、道徳を教科化するとしているのである。教育勅語にある都合のいい一部をつまみ食いし、教育勅語そのものを実質的に復活させようとする動きは、断じて認められることではない。
   

■2. 改憲阻止の野党共闘の形成に全力を

われわれは、2015年からの安全保障関連法案反対運動で、立憲主義を否定する自民党に反対する国民的統一戦線の一歩前進を経験している。
   
2015年6月4日の衆院憲法審議会で与党側推薦の憲法学者の長谷部恭男氏などが、「安全保障関連法案は憲法違反」と発言したことをきっかけに安全保障関連法案に対する国民の関心は高まり、市民運動を中心に反対運動は、かつてなく国民各層を結集した共同闘争として、全国的な運動の広がりを見せた。
   
だが安倍政権は、安全保障関連法案に反対する国民の声を無視して、国会議席の多数を背景に、2015年9月19日未明に参議院本会議で、安全保障関連法は与党、そして次世代の党など、改憲野党三党が賛成し、成立した。
   
安全保障関連法は成立したが、今後の九条改憲阻止の闘いを展望するときに、「戦争をさせない1000人委員会」など市民団体が、安全保障法関連法案反対という一致点で広範な市民を結集して闘った意義と果たした役割は大きい。
   
安全保障関連法が施行されて一年が経つが、民進党、共産党、自由党、社民党などの四野党は「違憲法制」の白紙撤回を求めている。また、「安保法制違憲訴訟の会」が違憲訴訟を呼びかけ、「安保法は憲法違反」と訴える原告が相次ぎ計約5500人に上っている。
   
だが問題は自民党に対抗する野党の支持率は低く、この間の運動の盛り上がりのなかでもほとんど支持率は上昇していない。すなわち、野党が自民党の対抗軸になっておらず、「受け皿」の役割を果たしていないことである。
   
2016年7月の参院選挙に向けて、2015年11月19日に「学者の会」、大学生「SEALDs(シールズ)」など、市民団体は、民主党など野党五党幹部と意見交換し、2016年7月の参院選挙に向けて、統一政策を策定し、これに基づく野党共闘を実現したうえで、これを支援する市民連合を作ることで合意した。こうして参院選挙では、野党四党の共同政策と同時に32の1人区の全てに野党統一候補を擁立し戦うことになった。民主党は2016年3月27日に、維新の党と合同して新党民進党を結成した。
   
参院選結果は、自・公、これにおおさか維新を加えると改憲勢力は、16議席増、165議席を獲得し、3分の2を3議席上回ることになった。だが自民党の比例区の得票率は36%、絶対得票率では有権者の18%に過ぎない。
   
野党は32の1人区で候補を一本化することに成功し、11勝22敗(7県では40%以上の大接戦に持ち込むことができている)となり、前回の2勝29敗からは大きく前進した。野党の比例票は前回より588万票増やし、これに対し自・公は166万票増でしかない。
   
もちろん、全体として改憲反対派の力不足は否めないのは事実であるが、参議院1人区で、野党共闘が一定の成果を上げたことは、国民も高く評価をしている。
   
さて、いよいよ憲法九条明文改正の動きが本格化する情勢のなか、自民党はすでに衆参両院で憲法改正を発議できる3分の2以上の国会議席を確保し、憲法改正に必要な国民投票法も、2007年の第一次安倍内閣で成立させている。2015年6月には投票年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正法案を成立させた。
   
これで自民党はいつでも憲法明文改憲ができる条件を担保していることになる。すなわち、次期衆議院選挙で、憲法改正を国民に公約して、その信任を受けて憲法改正の国民投票の実施という手順がとられることになる。この自民党の狙いを阻止するためには、次期衆議院で改憲勢力が持っている3分の2以上の議席の維持を何としても阻止しなければならない。
   
この間の一連の安倍政権の「森友学園への政治家の関与疑惑」、「文部科学省官僚の天下り」、「原発再稼働容認」、「辺野古移転工事強行」、「南スーダンのPKO『日報』隠蔽」、「稲田防衛相の国会での教育勅語容認発言」、「共謀罪」など、批判し、追及していくことが必要である。
   
その上で改憲阻止で一致する四野党は、7月の東京都議会選挙後には、予想される衆議院解散総選挙に向けて、国民に訴える共同政策を決定し、選挙区で野党統一候補を擁立して戦う体制を早期に確立することが喫緊の課題となっている。当然、その際に社民主義を党是としている社民党は、現状を上回る議席獲得に全力を挙げなければならない。
   
広がりつつある労働者、勤労諸階層の自然発生的な抗議運動は、反貧困、反差別、民主主義擁護が柱であるが、この闘いは、反資本主義の意識を労働者、勤労諸階層に自覚させ、成長させる可能性をも含んでいる。
   
とりわけ、安倍内閣の強まる改憲策動と、経済、すなわち国民、労働者が抱える身近な生活問題を結合して、これを改善していく労働組合の日常活動、そして地域から住民運動を強化していくことである。
   
第三次安倍政権で、目玉政策としている「働き方改革」は、残業時間の上限規制と、非正社員の待遇改善を図る「同一労働同一賃金」が二本柱である。残業時間については、罰則上限規制などを盛り込んだ「働き方改革実行計画」を決定した。今秋の臨時国会で関連法の改正案を成立させ、2019年度の施行を目指すとしている。「同一労働同一賃金」では、実効性を確保する法制度とガイドライン(指針)を整備すると明記し、待遇差の理由を説明する義務を企業に課すことが盛り込まれた。
   
だがこれらの内容は、随所に抜け穴が目立ち、大企業を規制するどころか、大企業に遠慮し、大企業を利する安倍政権の性格が如実に反映されている。そのどれも安倍政権が決断すれば、ただちに実行できるもので、労働者は歯痒い思いを募らせている。ここに反自民、安倍内閣打倒の国民的運動が発展せざるを得ない潜在的根拠があるのである。
   

■3. 山川均の「統一戦線」の理論と実践に学ぶ

われわれは、政治的統一戦線構築の歴史的経験については、直近では、先の安保法制反対の国民的運動の広がり、そして戦前の山川均の「方向転換」論、および「政治的統一戦線」論、終戦直後の1945年には、民主人民戦線戦の呼びかけ、さらに1973年の「国民統一綱領」と「国民連合政府」など、長い闘いの歴史において、多くの教訓的な財産を有している。そこでここでは山川均の戦前、戦後直後の政治的統一戦線の理論と実践から学びたい。
   
堺利彦と並んで明治以来の日本マルクス主義者の首領の一人でもある山川均は、1922年(大正11年)『前衛』7、8月号合併号で、「無産階級運動の方向転換」を発表している。これがいわゆる「方向転換」論と呼ばれているもので、日本の社会主義運動史にその名を残す論文である。
   
その要旨を後に山川自らが『社会主義運動小史』(社会主義協会発行)のなかで、次のように述べている。

「(1)革命意識に成長した少数先進分子が、遅れた大衆の中に帰ること、そしていかにして大衆を動かすかを学ぶこと、(2)観念的な革命思想への自己陶酔から、大衆の現実な要求を代表した大衆的な運動に前進すること、(3)消極的な政治否定から積極的な政治的対抗へ、すなわち、無産階級運動に戦線を拡大すること」

であるとしている。
   
ここで山川が掲げたスローガンは、「大衆の中に!」ということであるが、これは無産階級運動の革命主義から改良主義への堕落を意味するものでは決してなかった。マルクスが書いているように、そしてレーニンが実践したように、「大衆の行動を離れては、革命的な行動はなく、大衆の現実の要求を離れては大衆の行動はない」のである。
   
山川は「革命主義と改良主義との岐れるところは、日常当面の運動の上で、大衆の実際の要求に譲歩するか、譲歩せぬかであるのではなくて、かような実際の運動と実際の闘争との間に、大衆の要求を高めて、最後の目標に進ませることに努力するか否かという点にある」と書いている。
   
方向転換とは、「これがためには、われわれはあれもつまらぬ、これもつまらぬという消極的、回避的懐疑的、虚無主義的の態度を棄てて、積極的、戦闘的、実践的とならねばならぬ。われわれはいやしくも資本主義の支配と権力との発露するあらゆる戦線において、無産階級の大衆の現実の生活に影響する一切の問題に対して単なる否定の態度から、積極的闘争に移らねばならぬ。これが日本の無産階級運動の、全線にわたって行わねばならぬ方向転換である」というのが山川の提起である。
   
この提起は、当時の社会状況と運動の内容から見て、この論旨はきわめて重要な意義をもっていたし、無産階級運動のなかで大きな反響を呼んだ。以降、山川の考え方は、当時の日本共産党との間で、激しい論争は伴いながらも、労働者運動に受け入れられ、浸透していくことになる。
   
「方向転換論」の論旨に貫かれていることは、言葉としては使われていないが、その後の統一戦線運動に通じる核心的な考えが示唆されている。山川はこの「方向転換論」を発展させて無産政党論の研究へと進み、5年後に共同戦線党の提唱をしていくのである。
   
これが雑誌『労農』創刊号1927年(昭和2年)12月号に掲載され発表された「政治的統一戦線へ!─無産政党合同論の根拠─」であり、ここで統一戦線という戦術が論述されている。すなわち、山川は無産政党合同論、共同戦線党を通じて統一戦線論を具体化していくのである。
   
では共同戦線党の任務と性格とは何か、山川が規定していることを要約すれば次のようになる。無産政党が共同戦線党であるということは、これを構成する内容が必ずしも純一でないことを意味している。共同戦線の特質は、最終目標の精密な一致、または根本原則の完全な一致を条件とするものではなくて、ある限定した闘争目的の一致を条件とすることにある。
   
共同戦線という言葉の本来の意味は、独立した団体と団体との間の一定期間の共同行動をさすものであって、無産政党を共同戦線党という場合には、精密な意味では、それとは違っている。けれども無産政党は、反動的・帝国主義的政治勢力との闘争という、限定された目標のもとに、最終目的と根本原理とを異にする要素をも、一つの反ブルジョア的政治勢力に結合するという意味で、共同戦線の特殊な一形態だということができると山川は説明している。
   
どういうことかと言えば、無産政党の任務は、例えば農民の地主に対する経済上の関係においては、半プロレタリアであるが、なおかつ封建的な生産形態の上に立つ、代表的な小ブルジョア下層の標本たる小作農民がいる。
   
共同戦線の一形態としての無産政党は、これらの異なった要素を持つ階層を、ブルジョア勢力に対抗して、ただ一つの単一な、強大な政治勢力を形成することを任務とする。これがプロレタリアの歴史的任務のうちに割り当てられたところの、無産政党の限定された任務とされるのである。
   
共同戦線としての単一無産政党は、社会主義を闘争目的とする党ではなく、一般的にはブルジョアジーの政治支配に対する闘争であって、この闘争に反ブルジョア的要素を持つ階層を動員することにある。
   
マルクス主義者は、この闘争のうちに、常に指導的な任務をおわなければならない。その指導はこの歴史的意義をもつ共同戦線党の任務と、その闘争の発展段階の意義とに対する明確な理解と、同時にそれがもつ限界に対する、明確な認識を持たなければならない。
   
またマルクス主義者の指導は、精神的な影響力であって、断じて機械的な支配であってはならず、その正しい見解と正しい戦術とを大衆の前にたえず実証し、大衆を自らの体験によって説得することにより、もっとも広大な大衆を、その影響力の下に獲得しなければならないと、山川は述べている。
   
山川の「政治的統一戦線」は、以上の性格と任務を明確にして呼びかけられるのであるが、これが無産政党合同として動きだすのは、当時の政権政党の憲政会の加藤高明内閣が、1925年(大正14年)3月に普通選挙法を成立させてからである。これに対応する必要から、多くの困難を乗り越えて、1926年(大正15年)3月に労働農民党(労農党)が、共同戦線的な単一無産政党として結成される。
   
だが労農党は、政府による弾圧が強化されるなかで、総同盟系の反共派と共産党系の容共派の対立が激化し、総同盟を中心とする右翼的な組合や右翼的な知識人が脱退する。これで労農党と日本労農党、社会民衆党、日本農民党の四党に分立することになるが、山川はことに前者三党の「合同論の根拠」を示し、そのため統一戦線について左翼の任務がいかにあるべきかを、克明に指摘していくのである。
   
一方で、右翼勢力が抜けた労農党は、ほとんど共産党の外郭団体みたいなものになり、組合の分裂を加速させた。これに批判を強める山川、加えて鈴木茂三郎などで雑誌「労農」を創刊し、ここに結集したグループが「労農派」と呼ばれた。これで日本におけるマルクス主義陣営は二つに分かれることになるのである。
   
ところで単一無産政党樹立の努力は、紆余屈折はありながも七党合同にまで行きつくが、軍部ファシズムが台頭するなかで、1940年10月に解散させられたのである。
   

■4. 「安倍一強」政治を揺らす統一戦線運動を

山川は終戦直後の1945年(昭和20年)12月に、『改造』で「民主人民戦線のために」を発表している。山川は1946年に民主人民連盟委員長となるが、その性格、運動をめぐって共産党、社会党などの対立で民主人民戦線は、流産してしまう。この民主人民戦線で山川が考えたことは、「戦後には共産党と社会党に分かれたというより、別々に発足したことで、これを一つの共同戦線的な党にまとめることは、事実上、できることではなかった。だから共同戦線的な党という考え方から、自主性を持った別々の党の間の協同戦線を形づくるという考え方に変わったわけです」と説明している。
   
この戦線に動員できる要素を一つの党に組織することは初めから不可能なことがわかっていたから、戦前の共同戦線的な党という考えではなく、本来の意味での共同戦線、つまり団体と団体との共同戦線をつくる方式がとられたのである。山川は、統一戦線を考える場合、その思考は極めて現実的で、現実に適応した形態を模索し、そのなかで本来の共同戦線の目的を貫徹するというものであった。
   
こうした山川の無産政党の組織論と、共同戦線の運動論、つまりその統一戦線論については、現代の情勢と照らし合わせても、大いに参考になるものである。われわれが急がなければならないことは、山川の統一戦線理論と実践を今日の情勢に柔軟に適応して、改憲阻止に向けた統一戦線の形成に全力をあげることである。
   
統一戦線の形態は、山川に学べば、運動を通じて最も現実的で可能性のあるものを考えだしていけばよいのである。
   
そこでわれわれの「社会主義協会提言」で、統一戦線の必然性をどのように規定しているか見ておきたい。

「わが国の経済と政治を支配するものは、独占資本である。それは、いっさいの勤労国民大衆の労働搾取のうえにたっているばかりでなく、中小資本家階級の搾取した労働を、横取りする。国家権力は、独占資本の委員会、その憲兵として、勤労国民大衆の搾取、収奪、抑圧の機関となっている。いまや独占資本は、広範な国民大衆、いいかえると労働者階級、農民、知識人はいうまでもなく、中小零細資本家とすら対立する。ここに広範な独占資本に反対する統一戦線成立の必然性がある」

とされている。
   
ここに反独占、民主主義擁護、反帝国主義戦争の統一戦線成立の根拠を示し、この統一戦線の中心的勢力は、労働者階級であること、そしてこの政治的統一戦線の結成は、憲法改悪阻止の統一戦線運動を通じて具体化されることになることを明らかにしているのである。
   
山川が指摘したように、統一戦線に消極的、懐疑的になっては、今日と将来の情勢を切り開いていくことは極めて困難である。この政治的統一戦線を樹立することを抜きにしては、社会主義への平和的移行を展望することはできないのである。
 

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