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●2015年9月号
■ 安倍談話について思う
   小島 恒久

   

■ 主語のない歴史記述

8月14日安倍内閣は、戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定し発表した。この安倍談話は、これまでの戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に比してきわめて長文である。この安倍談話は、19世紀の列強による植民地支配、帝国主義の動きに強烈な危機感をもった日本が、アジアで最初の立憲制度にもとづく近代化をすすめた。そしてその日露戦争の勝利は、植民地支配のもとにあったアジアやアフリカの人々を勇気づけたという歴史的叙述から始まっている。ここには日本をアジアの中心におく歴史意識が横たわっている。
   
しかしその後、世界経済のブロック化の流れの中で、満州事変を引き起し、国際連盟から脱退するなど、「新しい国際秩序」への「挑戦者」となって、進むべき行路も誤り、戦争への道を歩み、先の敗戦になった、という歴史的記述がつづいている。
   
こうした長い前文をうけて、「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」という4つのキーワードが出てくるのだが、それは前文とちがってすこぶる具体性を欠く、抽象的な表現になっている。たとえば「侵略」や「植民地」について、村山・小泉談話では、「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、その地域を明確にうたっているのに対して、安倍談話ではどこを「侵略」したのか、「植民地支配」したのかは明記されず、きわめて抽象的な表現になっている。
   
すなわち、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と、きわめて抽象的な記述になっている。これではどこを「侵略」したのか「植民地支配」したのか、さっぱりわからない。こうした「侵略」や「植民地支配」の記述をうけて、「痛切な反省」と「おわびの気持ち」の表現も、きわめて抽象的である。すなわち、「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表現してきました。……こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」という。つまり歴代内閣の方針を引用した間接的な表現であって、首相自らの歴史認識は見えにくい。
   
これまでの村山・小泉談話が「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にしているのに対して安倍談話では、「我が国は」「私たち」という主語が目立ち、安倍首相が個人として、侵略や植民地支配を認めているか、「痛切な反省」と「おわびの気持ち」としているか不明である。村山談話では「私は」が主語だが、安倍談話では「我が国」を主語としていて、「私は」という主語は一度もない。ここに首相の混迷があらわれているといってよい。
   

■ 性格の不明確な談話

安倍首相はもともと村山談話に批判的であり、「村山談話を見直す必要がある」と明言していた。第一次安倍政権以来のブレーンを務める八木秀次教授(麗澤大学)は「一次政権では6年かけて村山談話の見直しから憲法改正まで取り組む計画だった」とのべている。こうした路線に沿って第二次政権では、昨年集団的自衛権の憲法解釈を閣議決定で変更した。そして安保法案を採決すべく国会でその審議をすすめた。だが、その審議は難航した。6月には衆院憲法審査会で、憲法学者3人が法案を「違憲」と発言した。自民党が推挙した憲法学者まで違憲と発言した。しかし、こうした異論の続出にもかかわらず、安倍政権は安保法案を衆院で強行採択した。
   
だが、この暴挙の結果、安倍内閣の支持率が急落した。また自民党若手勉強会で、報道機関を威圧するような言辞が出て、物議をかもした。こうした中で、参院の採決をひかえて、これ以上マイナス材料を抱えこむわけにはいかないという危機感が政権内でひろがった。8月7日公明党の山口代表との会議で、安倍が「おわび」に言及しない談話の素案を示したのに対し、山口氏は「歴代内閣の談話を継承した意味が、国内外に伝わるものにしてほしい」と要望した。首相はその後電話で山口氏に素案を変更すると伝え、引用の形で「おわび」を盛りこんだ。
   
また首相の私的諮問機関として設置された有識者会議「21世紀構想懇談会」は8月6日安倍首相に報告書を提出したが、この中では先の大戦における侵略と植民地支配の事実を認め、指導者の責任にも言及した。また、平和主義を貫いた戦後の歩みに一定の評価を与えていた。こうした国内の声だけでなく、村山談話の継承を求める中国や韓国にも気を配る必要があった。首相は9月の訪中、習近平国家主席との会談を模索している。
   
こうした中で首相は現実路線へカジを切らざるを得なくなった。政権を取り巻く環境変化から安倍カラーを抑制した表現にせざるをえなくなった。ある自民党議員は、「首相にとって最重要課題は安保法案の成立である。公明党や中韓を刺激する過激な談話になれば、審議に影響が出かねず、首相は妥協したのだろう。政権はそこまで追いこまれつつあるということなのだろう」と語っている。
   
しかしこうした結果として、安倍談話は、誰に向かって、何を目指して出されたのか、その性格が不明確なものになった。歴代内閣の取り組みを引用しての「半身の言葉」では、そのメッセージ力は乏しい。「歴史修正主義者」との批判がある首相だが、間接的なキーワードを盛り込むことによって、自身の歴史認識を中和した。持論を抑制し、練りに練った苦肉の談話という印象がうかがえる。
   
村山談話を発表した村山富市元首相は、安倍談話に対して、「美辞麗句を並べたが、焦点がぼやけて何を言いたいのかさっぱり分からない」と不満をあらわにしている。そして自身の談話が継承されたと考えるかという質問に対しては、「ない」と言い切っている。
   
このように安倍談話は全体として、誰に向かって、何を目指して出されたのか、その性格が不明確なものになっているが、その中で安倍カラーが出ているのは「謝罪外交」についてのべている個所である。談話では「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とのべ、「謝罪外交」に終止符を打ちたいと表明している。この部分について、「国の名誉を守る政治」を目指す日本会議などは15日、「日本が謝罪の歴史に終止符を打ち未来志向に立つことを世界に対して発信したことを高く評価したい」との声明を出した。また15日、靖国神社で日本会議などが戦没者追悼集会を開催した時、大勢の参加者が見守る中、あいさつに立った自民党の稲田朋美政調会長が、「大変意義のある談話だった。未来永劫、謝り続けるのは違うのではないか」と訴えて、大きな拍手が起ったという。また英フィナンシャル・タイムズ紙は、「国家が永遠に謝罪を続けるつもりはないということを自らの支持基盤である右派に暗示した」と報道している。
   
また慰安婦問題にも触れているが、その文章は「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」という、きわめて抽象的世界史的な表現になっていて、日本の戦時中の問題として具体的に述べてはいない。慰安婦という言葉も使っていず、きわめて姑息な表現になっている。
   

以上、安倍談話についてのべてきたが、村山・小泉両談話に比して、2倍以上の長文でありながら、その内容は戦後70年の歴史総括としては、きわめて不十分である。安倍首相の歴史認識はぼやかされている。「侵略」「植民地支配」は主語がぼかされており、「反省」「おわび」は歴代内閣が表明したとして間接的に触れられているにすぎない。アジアに損害を与えたことを明確に示した村山談話とは対照的で、村山談話からの後退は明らかである。誰に向けて、何を目指して出されたか、その性格は不明確である。解釈改憲による集団的自衛権の導入や、自衛隊を世界のどこにも派遣する安保法案を重ねあわせると、この談話はきれいごとすぎる。安保法案撤回の決断があってはじめて、この談話は完結する。
   
朝日新聞は、この安倍談話についての「社説」でこう指摘している。「出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで、解決が急がれる問題は足踏みが続く。いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。その責めは、首相自身が負わねばならない」。
   
   

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