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●2015年4月号
■ 向坂逸郎の思想に学ぶ
   マルクス主義とは何か?(1)
     ――『人間の回復』(1967年 文藝春秋)――
   向坂逸郎

   

■ 第1講 理諭の武器をみがく

・1
労働者が生活を確保するために資本家に対して要求を出す。それはなかなかききいれられない。ついにストライキという闘争方法にうったえる。そのころの毎日の新聞を読むとこれに対する非難が出ている。その数も決して少くない。そのうちの1つをとって見よう。

「……季節の変り目、年2回のボーナス当込みなど、賃上げ闘争の絶えまがない。われわれ第三者はウンザリする。組織労働者は強大な組織力により、ろくに話合いに誠意を見せず、実力行使に訴える傾向が強い。ストのためのスト、委員の顔をたてるための闘争といったものがあるそうだが、組織をもたぬ中小商工業者、あるいはさらに忘れられた(女中、家庭手工業内職者など)階層などはいつもどれほどそのために迷惑していることだろう。
   
1つがストで賃上げをとれば他もやらねばならず、また資本家はおとなしく引込んでいるはずもなくこうかつな方法でたちまちのうちに一せいに物価をつり上げていく手ひどいそばづえをくらうのは、この第三者層なのだ。
   
物資が生産過剰ですらあるこんにち、いまだに物価のヒドイ値上りを見るのは、社会情勢のせいにあるにしても、あくどいストによるところも大きいと思う。組織をもたぬ弱い階層がどれほどみじめな待遇に甘んじているかを考え、ここらで1つ闘争のあり方をジックリ考えてみてほしい(K生=福岡市、39歳、商店員)」(『西日本新聞』32年3月27日号)。

春闘のさなかで、今日もこの旧い記事と同じような言葉で、われわれの闘いが非難されている。
   
   
・2
ここにはつねに「春闘」についてなされる非難のほとんどすべてが含まれているから、このままここにかかげておく。大新聞の論説だって、この投書の域を出てはいない。そしてこの1つの投書によって代表されている非難はことごとく間違っているといってよい。
   
賃上闘争の絶えまがない、ということは、労働者が悪いから起るのだろうか。
   
労働者はろくに話合もせず、すぐストのためのストに訴えるだろうか。
   
労働者が強大な組織力をもっていること、これをつくり上げたことは、悪いことだろうか。大企業の労働者の組織力は人類の歴史、その文化の発達にどんな意味をもっているだろうか。 中小商工業者やそこで働く労働者、女中さん、家庭手工業内職者などは、なぜなかなか組織されないのだろうか。なぜこの人々は自分たちの生活が悪くなっても、これに対する抵抗が弱いのだろうか。その抵抗力を強めるためには、誰の側に立ち、誰と共に闘わなければならないのか。
   
いやそもそも、今日の社会では働く人間はなぜつねに貧乏しているのだろうか。働く人々の貧乏を克服し、この人人(それは日本の人口の圧倒的多数を占めている)が中心となって新しい社会をつくり、この人々を中心とした高い文化の花が咲きみだれ、今日の社会の「悪の華」がなくなるには、われわれ働く人間は、何をしたらいいのか。
   
労働者、ことに大企業の労働者が賃上げをやれば、今日の社会では必ず物価はあがるものなのか。もしあがるとすれば、何のせいなのか、賃上げのせいなのか、独占資本のあくことなき独占利潤追求のせいなのか。「物資生産過剰」の場合にすら、物価はなぜ働く人間の購買力で充分買入れられる程度に低落しないのか。例えば、「デフレ」時代でも物価は、はなはだしくは低落しない。このようなことは、一体大企業の労働者の賃上げやストのためなのであろうか。
   
物価を引き上げて「第三者層」に「手ひどいそばづえ」をくわせるのは、労働者の賃上げやそのストなのであろうか。そもそも、今日の社会に「第三者層」などというものがあるのだろうか。かりにあっても、それが新聞のいうようにまた世間の人がそう思いこんでいるように、国民の多数を占めているものであろうか。よく政府の委員会やなにかに「学識経験者」というのがある。これだって「第三者」なのだろうか。
   
この投書家はさいごに「組織をもたぬ弱い階層がどれほどみじめな待遇に甘んじているかを考え、ここらで1つの闘争のあり方をジックリ考えてみてほしい」とのべている。
   
たしかに組織をもたぬ階層は弱くみじめである。なぜだろうか。それは大企業の組織労働者の闘争のせいだろうか。組織をもたぬ階層をみじめな境遇においやるのは誰だろうか。大きな組織労働者さえも、その生活の不安をなくすために、どうしてあんなにはげしく闘わなければならないのだろうか。どういう世の中の仕組のせいだろうか。今日の世の中では大企業の大組織をもっている労働者の境遇すら大変によくはなっていない。それはなぜだろうか。一体いまの世の中はどういう機構で動いているのか。
   
この投書家の投書を読んでいると、われわれは、今日の社会の仕組がどうなっているのか、という根本的な問題にぶつかる。この根本的な問題がはっきりつかまれていないから、それから派生したいろいろの問題がわからなくなり、正しいことが間違ったことに思われ、間違ったことが正しいことに思われるのである。したがってまた、いろいろの問題がおきた時、これに対して明確な態度がとれず、正しい行動ができないのである。
   
   
・3
この今日の根本的な問題を解明するのがマルクスの理論である。だからこの理論は、今日の世の中をもっと高い文化の社会にもって行くための武器である。なぜ武器というか、働く人間がみじめな生活をして、高い生活と文化から引きはなされている今日の社会の方が、自分たちにとってはいい、と考えている階級がある。彼等は――意識しないでか、多くは意識して――今日の社会を働く人々を中心とした社会に変革しようという人々の努力を、権力その他の方法で妨げる。
   
この支配階級の妨害をはねのけて、働く人々の社会をつくるにはいろいろの形の闘いが必要なのである。われわれが欲すると否とにかかわらず、妨害する階級と闘わなければならない。平和のためにすら、今日の社会では闘わなければならない。平和のための努力を妨げるものがいるからである。そのためにもマルクス主義の理論の武器が必要である。
   
この理論は、世の中をよくするために必要な、働く人間の行動の基準を示すことができる闘いの武器である。
   
この闘いの武器は、世の中の仕組を正しく示さなければならない。そうでなかったら、人間の正しい行動の基準は生れないからである。
   
また、社会の支配階級は、その支配を確固不動のものにするために権力をもっているだけでなく、彼等の地位が当然のものでこれを変革することはいけないことだし、不可能なことである、という理論をもっており、このために大小の思想家、学者という「坊主」を沢山やしなっている。彼等に、日ごろ支配階級防衛のための理論の武器をみがかせている。
   
われわれが、新しい社会をつくるためには彼等のこの理論とも闘わなければならない。彼等は新聞、雑誌、ラジオその他一切の教育宣伝機関で、永年にわたってその思想や学問や文芸をつちかって、働く人間の頭の中にしみこませている。この考え方から脱することは、大変困難なことである。だから、先の投書家のように自ら額に汗して働いている人でも、何の疑問もなく、あのようなことをのべるのである。
   
むかし、人々は太陽が地球のまわりをまわっていると思いこんでいた。それが極めて永い間の伝来の思想であって、地球が動くなどというものは、神の信仰に反するものであった。コペルニクスは、太陽が地球をめぐっているのでなく、地球が太陽をめぐっているという真理を発見し、明らかにした。このようにして太陽を中心とした宇宙体系が理論づけられた。
   
われわれもまた、今日これに似て、思想のコペルニクス的転回を行わなければならない。それは世の中が資本と資本家を中心にしてでなく、一切の物質的富を生産し、文化の土台と文化そのものを額に汗して生産する階級を中心にしてまわっており、これを中心にした世界体系ができるのが当然であるという思想の転回である。そしてこの思想の「コペルニクス的転回」は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによってなしとげられた。それがどんなものであるかを、これから勉強しようというのである。
   
   
・4
カール・マルクスは、1818年5月5日に、ドイツのライン州トゥリールに生れた。大学では法律学を勉強するつもりであったが、哲学、ことにヘーゲル哲学を勉強し、ヘーゲル左派に属した。この派は、むろん、ヘーゲルの観念論をとったが、マルクスは、この立場から、意識の改造によって世界を改革しようとした。彼はその自由主義的思想のために大学教授になることができず、『ライン新聞』の編集長になった。ここでは政治や経済の諸問題を追究しなければならなくなった。彼は、これら社会の一切の問題の解決が、根本的には経済の研究によらなければならないことに気づいた。
   
パリに行って社会主義者たちに接触し、経済学の勉強に没頭して、1845年末頃には、史的唯物論に達した。これと同時に経済学の研究を重ね、1848年、9年のドイツ革命では、『共産党宣言』をもって、マルクス・エンゲルスの新に獲得した世界観を、「宣言」すると同時に、ドイツ革命におけるドイツ・プロレタリアートの歴史的使命を指示した。革命の実践活動の指導機関紙として『新ライン新聞』を発行し、民主主義左派を支持し、げきれいし、労働者階級の運動を指導した。『共産党宜言』は、マルクス・エンゲルスが人類史上に打ちたてた社会的進歩の記念塔である。
   
反動がヨーロッパの天地を蔽うとともに、ロンドンにのがれた。ここに生涯を送った。マルクスは、その世界観の土台を形づくる経済学の完成をめざして、辛苦の思索をつづけると同時に、世界の社会主義運動の中心にあって、指導を怠らなかった。『哲学の貧困』『賃労働と資本』は、マルクスの経済学研究の進展の大きな一里塚である。
   
1859年に現われた『経済学批判』は、マルクス経済学体系の大成をうかがうことはできるが、この著書そのものは未完に了っている。1864年には、第一インタナショナルが創立され、マルクス・エンゲルスは、その中心的指導部にあって、国際的社会主義的労働者の団結と統一をつくり上げ、自分たちの思想の浸透に努力した。
   
マルクスは、この繁忙をきわめた活動の間に、1867年ついに『資本論』第1巻を公にした。ここで、マルクシズムは、はじめてその理論体系の礎石を完成したことになる。『資本論』の理論がマルクシズムを不動のものにし、社会主義の科学性を全きものにした。『資本論』は、資本主義発展の中に、社会主義の必然性を証明したものであるからである。
   
1870、71年フランス・プロイセンの戦争では、マルクスとエンゲルスは、民族問題と戦争に対する態度を明らかにした。1871年の「パリ・コムミューン」では、マルクスははじめパリだけで労働者階級が蜂起することに反対であったが、労働者が政権をとるや、全力をあげてこれを支援し、適当な指導を与えることを忘れなかった。
   
この闘争の中から生れたマルクスの著書『フランスの内乱』では、彼の天才が、最後に不滅の光芒を放っている。小規模ではあるが、労働者の力で初めて生れた社会主義社会が、どういう政治、経済の体制であるかを、「コムミューン」のあの混とんたる廃墟の中から、分析し、構成している。さらに、「コムミューン」の失敗がどこにあったか、政権をとってブロレタリアートは社会主義社会をどう作り上げて行くべきであったかを教えている。
   
マルクスは、闘いと研究の生涯を、1883年3月14日にとじた。彼のように、資本家階級を憎み、その打倒のために勇敢に闘った者はいない。しかし、彼のように個人的な敵をもたなかった者もいない。彼の誠実な性格は、どんな人間の心もつかまずにはいなかった。「人間的なことで私の心をとらえぬものはない」というのが、彼の最も愛好した言葉であった。したがってまた、彼のように芸術を心から愛した人間もいなかった。マルクスの生涯を貫ぬいた永遠の若さは、この心の泉からこんこんと湧き出ていた。
   

■ 第2講 史的唯物論

・1 空想的社会主義から科学的社会主義へ
額に汗して働くという人間の活動がなかったら、人間の歴史はない。つまり、社会は存続しないし発展しない。八幡製鉄所で、5万の人間が働くことをやめたら1グラムの鉄もできない。三池炭鉱で1万数千人の労働者が働くことをやめたら、一かけらの石炭もでない。社会の発展を考えるには、このことをよく頭にいれておくことが大事である。ところが、この一ばん大事なことが、働く人間その人によってすら、分ったのは、ずっと新しいことであるといっていいかも知れない。
   
私が、かつて交通通信関係の労働者がストライキをやっただけで、日本の政治と経済はマヒしてしまう、と書いたら、当時首相だった岸信介は、こんな不都合なことをいう人間がいるから、決して社会党に投票してはいかん、という意味の演説をした、と新聞紙に出ていた。
   
しかし、このことは不都合なことであろうか。私は、交通通信関係労働者に、ゼネストをすすめたわけではない。また、その頃これらの組合はその力をもってはいなかった。またどんな時でもゼネストをやれ、といったわけでもない。ただ、交通通信関係のゼネストがあれば、そうなる、といっただけである。これはうそではあるまい。池田首相が歩きまわっていたのでは、政治も経済もあるまい。芭蕉があるきまわると、『奥の細道』という永久にのこる大文学が生れるが。
   
私が、先の文句でいいたかったのは、人間の必要とする生産物をつくり出すのは、額に汗して働く労働者である、ということであった。労働なしに、人間の生活も文化もないということであった。したがって、日本列島の上に花咲いた人間の生活と文化の土台をつくり出したのは、いく千年来汗して働く人間であるということであった。したがってまた、この人間たちが、日本列島の当然の主人公である、ということであった。その主人公たちは、何故奴隷の生活をしなければならぬだろうか、ということであった。
   
独占資本とその代弁者たちは、このような不動の事実の前に目をつぶる。労働者たちがこのことを自覚すると大変なことになるからである。
   
しかし、イギリスでは、資本家でこの事実を告白した人がいる。ロバート・オウエン(1771年5月生)である。彼は、これをはっきり考えはじめた。彼は、青年のとき商店員になった。大変有能な人であったのでだんだんお金を儲けて、当時の中心産業である紡績工場主になった。20歳のときは、マンチェスターの最も大きな紡績工場の支配人になり、世界最初の細糸紡績業者として有名になった。
   
彼は、深く考え、正しいと思ったことは実行しないではいられないという人であった。彼は、ついにニューラナーク紡績工場の工場主になった。彼がこの工場を手に入れたときの労働者の状態はひどいものであった。労働時間は長く賃金は低くかった。したがって労働者は、教養もなく「その大多数が怠惰で、のんだくれで、嘘つきで、誠がなく……」という有様におかれていた。オウエンは、勉強と思索の結果、人間の性格は、境遇、ことに幼時の境遇によってきまると考えた。彼のニューラナーク工場は、オウエンの手で2,500人位の労働者を雇用する大工場に発展していたが、ここで彼は労働時間を短縮した。当時イギリスの工場では14時間労働であったが、ニューラナークでは10時間半になった。幼稚園もつくった。工場施設をよくし、賃金をできるだけ引上げた。恐慌中の4カ月は操業をやめたが、賃金は全額支払いつづけた。
   
それでも、彼の儲けは大きかった。彼は考えた。彼のふところにはいってくるこの富は一体誰がつくるのか? 彼は彼の工場の労働者が働かなくなったら、1インチの綿糸もできない。彼の儲けはすべてこの綿糸から生れる。この富が社会のほんの一部の人の手にはいり、人口の圧倒的多数を占めている勤労者の手に分配されないのは、非合理的である。だからすべての人が働き、生産手段は共有にならなければならぬと考えた。この思想を実行しようとした。その時から彼は社会主義者となったわけである。彼が社会主義者になった瞬間から、それまで彼の事業をほめたたえていた国王や貴族や資本家は、彼に背をむけてしまった。
   
彼は、当時のイギリスの労働者の状態、その性格、教養から、この労働者の中にこそ未来を背負う力がひそんでいると考えることはできなかった。彼は、自分の社会主義の思想を実現するには、国王や貴族や資本家などの教養ある階級の理性にうったえる外ない、と考えた。ところが、この国王や貴族や資本家の階級は、みなオウエンの「危険」な思想に背を向け、オウエンを仲間はずれにしてしまった。それでもオウエンは、力のかぎり彼の社会主義の思想を、小さな模範社会をつくったり、色々な方法で宣伝しつづけた。彼の厖大な富はそのためにつかい果された。それでも彼は工場立法や労働組合運動や協同組合運動のために誠実な協力をおしまなかった。貧乏のどん底で1858年、88年の誠実で活動的な生涯をとじた。しかし、こんな資本家がいたる所にいると思ったら間違いである。これは19世紀の資本主義でも唯一の例外にぞくした。
   
ロバート・オウエンの考えに、1つ根本的に足りないところがあった。彼が、彼の富のすべてを労働者がつくり出すと考えたことに間違いはなかった。しかし、彼はこの労働者階級こそ彼の社会主義の思想を実現する力であることを発見することができなかった。彼は社会主義の思想を、資本家階級の理性に訴えて実現しようとした。これは、資本主義を維持し存続させようという階級に、これを変革して、資本家階級の支配を除くことを求める矛盾をおかしていることになる。
   
富をつくり出す働く階級、人口の圧倒的多数を占めている勤労者階級を中心に、厖大な生産力でつくり上げられた富を分配するにはこの働く階級自身がその気になり、これを実行するようにならなければならぬ。オウエン時代の労働者は、まだこのことを自覚しうる所まで成長していなかったこともあったが、彼の後に出て彼の思想を受けついだカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスはこの労働者階級こそ、社会主義を実現する力であることを発見し、証明した。
   
このように、社会主義社会を実現する力(労働者階級)を、資本主義社会の中に見出し、しかもその力は、資本主義の発展によって必然的に成長してくることが立証されて、はじめて社会主義が単なる希望でなくて、実現できるものであることを証明することになる。こうしてはじめて、社会主義が科学になった。オウエンが考えたように、働く人間の全体が社会の中心となって、生産手段を共有(社会有、国有、といってもよい)にして人類全体の幸福を増進するという考えそのものは、間違いではなかった。だが、彼は、資本主義の中に、これを実現する力を発見できなかったのである。だから、彼の社会主義思想は、まだ「空想」のいきを脱しなかったのである。
   
   
・2 自然の支配
福岡で講義をしていた時代には、私のいた家の附近に南公園というのがあって、私はその中の動物園をときどき訪れた。いろいろの動物をぼんやり見るのが大変たのしい。私は子供の時から犬が好きで、うちに犬がいなかったことは余りない。別にいい種の犬でなければならぬことは少しもない。どんな雑種でも可愛い。流行種の高価な犬など別にほしくない。しば犬をもらって飼っていたが、それは死んでしまった。いまは私が多忙で、運動をさせる暇がないものだから、飼っていない。
   
私の文集『社会主義と自由』の中に、やはり犬好きの話をかき、荒畑寒村さんがまた無類の犬好きで、荒畑さんと犬の話をするのがこの上もなくたのしい、と書いた。
   
この文集を読んだある未知の読者からこんな投書がきた。私は、あなたの文集『マルクス主義者は人間である』の中にある犬好きの話を、ある友達に見せたら、彼は、犬を可愛がるのは人間の支配欲の表われであるのだから社会主義者が犬を飼うのは矛盾である、といいました。私はこれに対して返答につまりました。これはどう考えたらいいのでしょうか? というのである。
   
今日の世の中では、たしかに人が人を支配している。資本を所有する人間が、領に汗して働く人間を支配しているのである。われわれは、どうして人間が人間を支配しているのか、いまは触れない。それは後で論ずることにしよう。今日の社会の矛盾(人が人を支配すること)が進むにしたがって、支配されている人々は、この支配をなんとかして改めたいと思うようになったのだから、人間による人間の支配は悪いことと考えるようになった。しかし、どうしたら一体人間による人間の支配を取除くことができるか十分に覚っていない。しかし、とにかく人間による人間の支配は悪いと感じている。この感じ方は科学的に現実を分析して、人間による人間の支配を排除する方法を発見していない(これを発見したのはマルクス主義だけである)から、まだ一般におよそ「支配」と名がつけば悪いと考えてしまうのである。
   
むろん動物や植物を虐待することは悪いことである。人間の社会のためでなく、自分だけのほしいままの意志で動物を殺したり、植物をふみにじったり、酔っぱらって桜の枝を折ったりするのは悪いことである。これは、人間が人間を支配し、人間が人間を虐待することに平気な精神をつくることを手伝うからである。
   
しかし、われわれは、同じく「支配」と名づけさえすれば、すべて悪いと考えなければならぬのであろうか。例えば、われわれの科学の発達は飛行機をつくり、ロンドンまで最も早くとべば1日たらずで行けるようになった。ハバロフスクからモスクワまで9000キロを8時間でとぶことができる。われわれが重力の法則を知り、空気の抵抗の法則を知り、軽金属を知り、その他航空に必要な自然法則を十分に知る。これらの自然に関する知識を自然法則にしたがって合理的に結合した。このようにしてわれわれは、自然に生れたままの人間でできなかったことを成しとげたのである。このかぎりにおいて自然を「支配」しているのである。
   
われわれは米を食って生きている。米の自然的性質をわきまえ、肥料に関する知識を得、肥料を人工的につくりだしこのようにして、自然のままにはとうてい出来ないほど多量の米をつくりうるようになった。これもまた自然の「支配」でなくてなんであろうか。それだけでなく、われわれは、小鳥を食うことを知っている。雞を飼養して卵を生ませ、これを食い、雞そのものを食う。そのためにこれを人工的に繁殖させる。人間は、牛のような大動物すら飼育し、その乳を飲み、その肉を食う。これは自然の「支配」でなくてなんであろうか。人間は、地中の石炭を掘り、その性質をわきまえて、これから人間の必要とするものを無尽蔵につくり出している。石油についてもそうである。鉄についてもそうである。ついに原子力までも人間の日常生活の必要のために利用しうる所まで、自然を「支配」するようになった。
   
犬も、鳥や馬や牛や石炭や鉄と同じように自然物である。鳥や馬や石炭や鉄を支配するのはいいが、犬だけは「支配」していけないのであろうか。そんなことはない。大古の人間は、犬を手なずけ、これを「支配」して狩猟につかったり、自分たちの村を守らせたりした。犬という動物の性質を知り、これを利用してこれを「支配」している。犬を「支配」して実験用にし、人間の病気をなおす注射やその他薬品の効果をためすこともしっている。バブロフの「条件反射」という学説も人間が犬を「支配」し、実験することができたことによって発見を容易にされた。
   
人間の社会が存続し、発達するのは、その土台に人間が自然を「支配」するということがあるからである。人間の必要とする物質は全部自然からえている。これはすべて自然の「支配」である。自然を「支配」することができるようになるほど、人間の生活はよくなり、文化は発達する。人間が人間を支配するのが悪いのであって、人間には自然を「支配」する外に、生存し、発展する方法はない。人間による自然の「支配」は、今日の程度では、まだまだほんのちょっぴりである。人間は協力一致して、自然との闘いにおもむかなければならない。
   
自然を、つまり、動植物その他一切の自然を支配することによって、社会は発達してきたし、これからも発達しなければならない。人間の人間に対する支配も、この生産力の発達によってもたらされ、このような社会的矛盾を克服することも、やはり自然の支配力、即ち、生産力の発展によって可能になった。
   
<次号に続く>
   
   

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