■ サイト内検索


AND OR
 
 
 月刊『社会主義』
 過去の特集テーマは
こちら
■ 2024年
■ 2023年
■ 2022年
■ 2021年
■ 2020年
■ 2019年
■ 2018年
■ 2017年
■ 2016年
■ 2015年
■ 2014年
■ 2013年
■ 2012年
■ 2011年
■ 2010年
■ 2009年
■ 2008年
■ 2007年
■ 2006年
■ 2005年
■ 2004年
■ 2003年
■ 2002年
■ 2001年
■ 2000年
■ 1999年
■ 1998年


 


●2014年11月号
■ 軍事力で平和は守れない
   平和運動研究会 奥 統馬

   

従来国民にとって何の関心もなく、その中身もほとんど分からない集団的自衛権を行使できるように、安倍政権は強引に閣議決定した。国会論議もほとんどおこなわれず、一カ月半という短期間に与党による密室協議で国是ともいうべき政策が変更されたのである。与党たる公明党も批判的であった同行使に、なぜ安倍首相は固執し、強硬な姿勢をとりつづけているのだろうか。それを解明することで、安倍政権の反動性、侵略性がうきぼりになり、多くの国民を集団的自衛権行使に反対するたたかいに結集していけるだろう。
   
とはいえ、集団的自衛権についての理解を深めるのはかなりの努力も必要である。その詳細はQ&Aで解説しているので、本稿は同行使をめぐる背景、狙いなどを中心に述べてみたい。
   
   

■ 日本型防衛政策の継承

日本の防衛政策は他国には見られない特異な戦略体系を維持してきた。それは専守防衛戦略ともいわれ、海外派兵が恒常化している現在も否定されてはいない。多くの国家では自国軍の名称を国防軍としているが、欧米などの先進国は対外戦争用の装備、部隊、訓練を保持している。しかし日本の場合、いまなお自衛隊の名称にふさわしい態勢を維持しており、他国領土を破壊できる長距離ミサイル、大型爆撃機、空母、あるいは核兵器も保有していない。
   
このような日本特有の軍事組織が形成されているのは、いうまでもなく憲法第九条の存在である。自衛隊は同条に違反して維持されているものの、憲法をまったく無視することはできず、拘束されてもいるのである。歴代政権は、自衛隊は「防衛専用」組織であるとして憲法との“つり合い”をはかってきたのである(ちなみに、現在も公式的には自衛隊は軍隊としては認められていない)。
   
第二次大戦後日本は米軍を主体とする連合国軍に占領されるが、約5年間日本自体は憲法第九条の規定通り非武装国家であった。しかし朝鮮戦争を契機として現行憲法を“おしつけた”米国政府が、今度は日本の再軍備をおしつけてきたのである。とはいっても、日本を再び軍事ライバルにさせないというのがアメリカの占領目的でもあり、また日本国民の反感も考慮して、警察予備隊の名称で発足させた。当時日本全土が朝鮮戦争の攻撃拠点化しており、日本国民の反戦運動、反米・反政府闘争を弾圧することが、戦争遂行に不可欠な事態となっていたのである。このため、警察予備隊は国内治安維持を中心とする任務に従事することになる。その後も1970年ごろまでは自衛隊は「間接侵略」に対処するとの名目で、治安対策が主任務になっていた。
   
しかし、高度経済成長にともなって財政規模がふくらみ、防衛予算も年々増大していき、最新装備も購入されるようになる。日本の領海、領空をこえて行動できる護衛艦、戦闘機が配置されるのである。それにもかかわらず専守防衛態勢は維持されており、「普通の国」とは異なった軍事方針を保持している。
   
   

■ 専守防衛戦略の存立条件

日本の防衛戦略は専守防衛とされてきたが、今年度の防衛白書でも防衛の基本政策として、専守防衛、軍事大国にならないこと、非核三原則が提示されている。昨今の海外派兵という実情とはちぐはぐな感は否めないが、それらは今なお否定しえないのである。
   
歴代内閣も専守防衛の堅持を明言してきた。

「専守防衛ないしは専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛をおこなうということでございまして、これはわが国防衛の基本方針であり、この考え方を変えるということは全くありません」(田中首相、衆院本会議、1972年10月31日)。

専守防衛には左右両方からの批判が加えられていたし、いまもそうである。というのも軍事戦略としては致命的な欠陥をかかえているからである。本来防御は相手側への攻撃を否定しては成立しない。攻撃側の発進・作戦基地を無視して“もっぱら守る”ことに徹していれば、相手の“やりたい放題”を許すことになり、防御は不可能になってしまうからである。このため、右派からは敵基地攻撃論がくりかえし主張されているし、かつて旧社会党などからも軍事技術の発達によって同戦略は有効性を喪失しているのだから外交を優先させるべきだと批判されていた。
   
これらの批判に必ずしも有効な回答を提出していないにもかかわらず、専守防衛は建前としてではあれ、基本政策として存続されている。その最大の理由は、軍事戦略としては脆弱ではあっても、政治戦略としては有効であるからであろう。いいかえれば、いわゆる軍拡のジレンマに陥ることを避けることができるからである。ある一国の軍拡は周辺諸国の軍拡をひきおこすことになり、双方がエスカレートしていくようになりやすい。専守防衛は、そのような軍拡競争にまきこまれない方途ではある。
   
このような専守防衛の利点は、現在かなり発揮されていると見ることができるだろう。近年中国、北朝鮮、あるいは韓国など周辺諸国は軍拡を推進しているが、どの国家も日本を主たる対象にはしていない。中国、北朝鮮の軍事方針・態勢はもっぱら米軍向けである。いまのところ、専守防衛という政治メッセージは周辺諸国にはそれなりに受け止められているのである。
   
   

■ “敵を増やす”政権

安倍内閣ほど周辺諸国との関係を悪化させている政権は、これまで存在していなかった。中国、韓国とは両国首脳の就任以来、一回も会談は開催されていない。というよりも、安倍首相の政治姿勢に反発した両国から拒否されているのが実情である。そして北朝鮮を敵視し、またロシアとも決して友好的関係にはない。少なくとも先進諸国では、このような「四面楚歌」にある国家は存在していない。
   
それは、靖国神社参拝、歴史認識に表明されている安倍首相の反動的立場に起因していることはいうまでもないだろう。また領土問題でも、過去のいきさつをまったく無視して自己の主張を押し通していることも、諸国との関係悪化に拍車をかけている。それにもかかわらず、反省するどころか、敵対的態度をいっそう露骨に示すようにさえなっている。
   
毎年防衛白書が発刊され、防衛政策の詳細な説明とともに、その基本的立場を明らかにしている。昨今はもっぱら中国軍を対象としており、反中国白書とさえいえる内容になっている。さらに中国軍にとどまらず、北朝鮮、ロシアの軍事分析もおこない、3カ国を「防衛対象」にしている。
   
これは驚くべき方針である。どのような国家であれ、敵を多くしないようにして、できるだけ1国に限定するのが軍事常識である。世界史上でも、二正面作戦といわれている2カ国を相手にするような戦争を回避することに力が注がれた例は多い。ところが、現在の日本では三正面戦略を採用しているのである。正気の沙汰とは思えないのである。
   
現実に自衛隊はそのような戦略に対応できる装備、人員を保持していない。いうまでもなく中国、ロシアは核兵器を保有しており、北朝鮮も核開発を推進している。もちろん非核保有国である日本に対して、どのような国家であれ核攻撃を加えるというようなことは想定できない。しかし防衛政策としてはそれに対処することが求められるのであるが、そのようなことは不可能である。核防衛政策としてはアメリカの「核の傘」に依存することが基本的立場であるが、もっぱらそれは「破れ傘」と指摘されている。何故なら、米本土への核攻撃を覚悟して日本防衛を優先させる、というありえない対処が前提になっているからである。
   
敵を少なくし、味方を増やすのが政治の常道である。安倍政権はそのような常識さえわきまえていないようである。韓国もふくめて各国との対立点は領土問題にもあるが、「固有の領土」論は当該国では通用するものの、他国では相手にされない代物である。このような「詭弁」ともとられかねない主張によって周辺諸国との対立を激化させており、このままでは日本の孤立化がいっそう進みかねない。
   
   

■ 今日の先進国戦争

過去2回の世界大戦は、資本主義大国、いわゆる帝国主義国家の対立から発生した。資本主義体制が続く限り、帝国主義間戦争は不可避ともいわれていた。しかし今日、先進諸国の戦争は大きな変貌をとげている。
   
第一に、先進諸国間の戦争が消滅していることである。
   
2回にわたる世界大戦の主戦場であったヨーロッパは、いまでは多くの国々がEU(欧州連合)の一員になり、通貨は統一され、国境もフリーパスになっている。国家間の対立を戦争で解決するには、あまりにも多大の犠牲が生じることを2回の大戦で身にしみたのである。ヨーロッパ、アメリカ、日本など先進国間で戦争によってしか解決できない問題も存在しなくなっている。
   
第二に、先進諸国の戦争が勝てなくなっていることである。
   
第二次大戦後、戦中に失った植民地を再支配するべくヨーロッパの旧宗主国はいっせいに侵攻したが、すべて敗退してしまった。そしていま、史上最強とも称されている米軍がイラク、アフガニスタンで敗北をこうむっている。いずれの相手も、国力ではまったく劣り、正式の軍隊も保有していなかったところも多かったのであるが、全国民的な抵抗の意志をくじけなかったのである。
   
第三に、戦争は儲からなくなっていることである。
   
かつての戦争では軍需ブームがおこり、軍事企業だけでなく全産業にわたって膨大な利益がもたらされた。植民地を獲得することにより一国でその市場を独占して、いわゆる超過利潤をえることができたのである。しかしいまや、そのようなことはまったく望みえない。戦争によって植民地をえるというようなことは論外になっているし、どこの国も一国で他国市場を独占することも不可能になっている。グローバル経済化によって、ヒト、モノ、カネが瞬時に国境をこえていく時代になり、軍事力によって他国を囲い込むというような手法は通用しないのである。
   
要するに、戦争は儲からなくなっているのである。それどころか、戦争は自国の人的、財政的負担を増すばかりになっている。その好例が、アメリカのイラク、アフガニスタン戦争である。両戦争で米兵士の死者は約6000名、負傷者は数十万人にのぼり、約300兆円もの戦費を支出しながら、何の成果もなかったのである。それどころか、中東をはじめ世界各国での反米感情をいっそうつよめる結果となっている。途上国を支配し、収奪するという、いわゆる帝国主義戦争の目的を達成できる条件は消失しているのである。
   
それにもかわらず先進大国による戦争は依然として絶えそうもない。しかしそれは、かつてのような自国の権益のみを追求するためではなく、欧米日が主導する現存世界秩序を維持していくことに主眼がおかれるようになっている。そして個々の国家がバラバラに戦うのではなく、国際的な結束が求められるようにもなっている。集団的自衛権行使は、そのような「責務」をはたすことを視野に入れているのである。
   
   

■ 住民を巻き添えにする離島作戦

いま安倍政権下でもっとも力点がおかれている軍事作戦は離島対策である。日本の離島数は約7000とされており、その大部分は名前もないのだが、いま焦点が合わされているのはもっぱら尖閣諸島をふくむ南西諸島である。いうまでもなく、対中最前線としての態勢づくりを推進しているのである。
   
民主党政権当時に北澤防衛相が「中国を刺激する」として中止した与那国島への部隊配置も決定されており、奄美大島、宮古島、石垣島などへの陸自配備も準備されている。一般的に離島作戦は防衛か奪還かのどちらかを選択するのであるが、防衛省は両方を想定している。

「事前に兆候を得た場合には、敵に先んじて攻撃が予想される地域に陸・海・空自が一体となった統合運用により、部隊を機動的に展開し、敵の侵攻を阻止・排除する。事前に兆候が得られず万一島嶼を占領された場合には、航空機や艦艇による対地攻撃により敵を制圧した後、陸自部隊を着上陸させるなど島嶼を奪回するための作戦を行う」
(2014年版「防衛白書」)。

こうした作戦を担当するため、米海兵隊をモデルにした水陸機動団(仮称)の創設を計画している。そして、水陸両用車、大型輸送機オスプレイ、大型輸送艦の配備もすすめようとしている。また、日米合同演習をひんぱんに実施し、陸海空自衛隊の統合演習も強化している。
   
だが、離島作戦は戦闘方式の中でもっとも犠牲者が多く、熾烈な形態である。それは、日米戦争中のサイパン島、硫黄島などでの戦闘が明らかにしており、また沖縄本島における凄惨な死闘も如実に示している。このため世界最強を誇る米海兵隊の司令官が、南西諸島での上陸作戦は実施できないと米議会で言明しているほどである。
   
現在南西諸島には約20万人が住んでおり、離島作戦が実施されれば、これら全住民の生活、生命に影響をもたらすことになる。防衛作戦の場合、住民の避難が必要であるが、これだけ多くの人々を短時間に他地域に運ぶことは不可能であろうし、受け入れ先を見つけることもできないだろう。そもそも、全住民を避難させてまで戦争を遂行することへの批判がまきおこるだろう。戦争反対の世論がつよまっている中で、自衛隊はまともな行動は至難になるだろう。一方奪還作戦の場合、陸海空自衛隊による射撃、砲撃、ミサイル・爆弾投下によって、島全体が破壊され、住民の死傷者も続出することになる。
   
このように離島作戦は全住民の生活、生命を危険にさらすことは必至なのであるが、防衛白書をはじめ政府見解ではその点をまったくふれていない。そして戦線は南西諸島に限定されており、それが沖縄本島、さらには日本本土に及ぶ危険性についても無視されている。
   
一方、軍事作戦面でも離島作戦は拙劣な手法である。離れたいくつもの島々に部隊を分割して配置するため全体の連携に欠け、各個撃破の格好の対象になるからである。万一中国と戦争状態に陥れば、中国軍は南西付近に進出してこなくても安全な中国本土おいてミサイルの照準を合わせることも可能である。
   
安倍政権は、集団的自衛権行使によって米側にいわば「貸し」をつくり、離島作戦での米軍の協力でその「借り」を返させようとも意図しているのであるが、その思惑通りになりそうもない。アメリカの対中作戦は、自国の国益に基づき、自国のペースで遂行されるのであるから、日本への配慮は二の次である。
   
   

■ 語られないリスク

集団的自衛権をめぐる論議のなかで、政府側がそのリスクについてはまったくふれていないことも見逃すことはできないだろう。新たな政治的、あるいは軍事的選択をおこなう場合、必ず新たなリスクをともなう。それも含めて総合的な判断によって新方針が決定されるべきなのであるが、「結論ありき」というのが実態である。当面重視されるべきリスクのうち、ふたつの事態についてふれてみる。
   
そのひとつは朝鮮有事である。
   
政府提案の想定事例でも、その中心は朝鮮半島での戦時における行動を示している。そもそも現在の北朝鮮軍は戦争遂行能力に欠けているというのが、多くの国家、あるいは軍事専門家の見方である。装備は古く、燃料不足のため戦闘機や戦車を充分稼働できないし、満足な食料も提供されないので兵士の訓練も怠りがちであることは周知の事実である。かつての朝鮮戦争では中国軍の参戦によって北朝鮮はピンチをしのいだのだが、いまでは中国がそのような支援を与えることは想定しえないだろう。
   
それにもかかわらず依然として朝鮮有事論が横行しているのは、アメリカの北朝鮮侵攻計画が存在しているからである。核開発阻止というような名目で発動されることになるのだろうが、その場合北朝鮮側は自衛戦争として応戦することになる。同事例のように自衛隊が米艦護衛というような行動に出れば、日本は参戦国と見なされるし、北朝鮮の自衛権を否定することにもなる。以前であれば北朝鮮は半島以外での戦闘は不可能であったが、現在では日本本土に到達できるミサイルを保有しており、日本は攻撃側の一員として反撃を受ける危険性を自ら招くことになる。
   
いまや、日本本土を「聖域」として朝鮮有事に対処するというようなことはありえなくなっているのだが、“朝鮮では戦争、日本では平和”との虚構に基づいて集団的自衛権が行使されようとしているのである。
   
もうひとつは、自衛隊員の生命の危険性である。
   
すでに自衛隊は何回も海外派遣に従事しているものの、幸いにして1名の死者も出していない。奇跡的ともいえる実状であるが、憲法によって行動が制約され、交戦にも参加しなかったことが基本的要因である。皮肉な現象ではあるが、まさに憲法が自衛隊員の命を守っているのである。とはいえ、戦地における活動は強度のストレスをかかえることになり、帰国後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)などのためイラク派遣隊員の内陸自で20名、空自で8名もの自殺者を出している。
   
ところがある著名な作家は、「イラクではどことの戦いもなかったはずだが、それでも帰国後自殺をするというのは、厳しいイラクの生活にたった6カ月でも耐えられなかった惰弱な若者が増えていたということだ」(曽野綾子、「産経新聞」2014年7月27日付)と切り捨て、さらに、「軍というものは、いざという時には人を殺すことも、自分が死ぬことも前提に入れている人が就く仕事だ」(同上)とものべている。自衛隊は人を殺したり、殺されたりするのが「仕事」だというわけである。
   
この見方は安倍首相にも共有されている。「いうまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です」(安倍晋三「この国を守る決意」)と明言しており、集団的自衛権行使によって“殺し、殺される”世界に自衛隊員を引きずり込もうとしているのである。それにもかかわらず、このような危険性を国会で追及されても明確な答弁をおこなわず、“逃げ”の姿勢に終始している。本音、あるいは本当の狙いを隠したままでしか、同行使に対する国民の支持をえられないことを知っているからであろう。
   
   

■ 軍事力で平和は守れない

安倍政権は何かに追われているかのように急いで集団的自衛権行使容認の閣議決定をおこなった。日本をめぐる安全保障環境が急変しているというのが、その理由であった。ところが、この10月に開会された臨時国会には同関連の法律案が1本も提案されなかった。いうまでもなく10本以上と見られている関連法が改定されなければ閣議決定は実効性を欠くことになる。閣議決定以前と、その後では政府の態度が急変しているのである。本来であれば、関連法改定案をめぐって国会論議を交わし、同行使への国民的理解を深めることに着手せねばならないはずである。このような「休戦」提案とも受け取れる安倍政権の態度に、同行使に対する国民的な批判、反対論に真正面から対抗できなくなっていることが如実に示されているといえるだろう。
   
一方、集団的自衛権に対する国民的な批判、反対論が日々ひろがっている。これまで政治的立場を明らかにしていなかった宗教団体などが反対論を掲げるようになっているし、地方議会での反対決議も増大している。地方紙の90%以上は反対の立場であるし、(山中・松阪)市長らによる同行使は違憲とする訴訟も準備されている。
   
このような広汎な層から集団的自衛権行使への批判が巻き起こっているのは、それ自体が危険であることともに、そもそも軍事力によって日本の、あるいは世界の平和は守ることはできないとの認識が深まっているからでもあろう。軍事技術が日々向上している今日、戦争になれば日本のような小さな島国が生存できる可能性は乏しい。
   
平和を守るためには、いまや日本はいくつもの選択肢をもっているわけではないだろう。少なくとも中国、韓国、北朝鮮、ロシアという近隣諸国との友好関係を確立することは最優先されねばならない。そして、それらの諸国とも連携しつつ、世界中の紛争、対立を国連の場で解決していく方途を追求していくことも、日本の責務になっている。
   
いま世界は、軍事技術はどんどん発達しながらも、軍事力の効用性はますます低下しているというパラドックスに満ちている。どのような高度の兵器も、一時的にはともかく、結局人間の意志を屈服させることはできないという現実を無視することはできなくなっている。戦争では物事を解決できなくなっているのである。その結果、軍事力で平和は守れない、という“ありふれた”常識に立ち戻らざるをえなくなっているのである。
   
   

本サイトに掲載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
Copyright (c) 2024 Socialist Association All rights reserved.
社会主義協会
101-0051東京都千代田区神田神保町2-20-32 アイエムビル301
TEL 03-3221-7881
FAX 03-3221-7897