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●2014年3月号
■ 福島で地域の健康を守るということ
   きらり健康生協 福地庸之

   
   

■ はじめに

「神は死んだ」ニーチェの言葉です。
   
この言葉には2つの意味があります。1つはキリスト教的道徳観の否定と、もう1つは、絶対善や真理の否定です。人間の存在意義や本質的な価値を否定するニヒリズム(虚無主義)を主張したいわけではありません。でも原発事故後の福島で暮らし続ける中、たまにどうしようもない虚無感や孤独感、喪失感に襲われます。「はたして福島で住み続けることは正しいのか」と。誰も答えを出してくれません。
   
私の職場は「医療生活協同組合」(以下、医療生協)で、地域住民が出資を募り、保健・医療・福祉の一体化を目指し、保健活動や事業活動を住民と協同で行っている組織です。福島県民の大多数が、悩みながらもこの地で住み続けることを選択し、わが組織はその人々との協同で日々成り立っています。これまでの活動を振り返り、原発事故後の福島で、地域の健康を守ることを考えてみたいと思います。
   
   

■ わが組織の概要

「1口1000円」の出資金で組合員になれます。事業では診療所を4つ(併設歯科を含む)と17の介護事業所を運営しており、福島市で活動をしています。組合員になれば、ひとつ屋根の下に暮らす同居者は、同じ組合員となります。組合員は出資者であり、運営者であり、利用者です。非営利組織なので、出資配当や割戻金は法律で禁止されています。現在、毎月、約6500名の通院者にご利用いただき、毎月、約540件のケアプランを作成しています。
   
生協運動では、地域住民との協同による健康づくり活動やサークル活動を行っています。また高齢者の「閉じこもり防止対策」として茶話会の活動なども行っていて、誰もが住み慣れた地域で、自分らしく暮らし続けていくための支援に力を入れています。
   
   

■ 全国の医療生協からの支援

福島市は東日本大震災(以下、大震災)により、震度六弱の揺れで、すべてのライフラインの寸断とガソリン・灯油の供給停止に陥りました。また3月14日より、福島第一原発が次々と水素爆発(3号機は水蒸気爆発かもしれない)を起こして、最悪のシビアアクシデントの事態となりました。医療生協は全国に111カ所ありますが、原発事故直後に、過去に大地震を経験した新潟や兵庫の医療生協・静岡の医療生協から、救援物資を届けていただくなど、多くの医療生協から支援をいただきました。届けられた大量の水や生活必需品を見て、大混乱の中でも、未曾有の大災害に立ち向かうための「生きる希望」をいただいたことを、心より感謝しております。
   
   

■ 食品放射線測定器の購入

大震災後、私は法人の地震対策本部の責任者となり、ほぼ2カ月にわたり対応策に追われる日々が続きました。当時は、放射線に関する情報がまったくなく、線量計すらありませんでした。生活防衛のためいろいろと調べるなか、チェルノブイリ原発事故の経験から、放射線に汚染された食品からの内部被ばくを防ぐことが大切であることがわかりました。先が見えない状況ではかなり早い決断でしたが、2011年6月に食品放射線測定器(ドイツ製285万円)を発注し、同年11月には納品され、12月から組合員向けの無料測定を開始しました。測定のための専任職員を雇い、測定希望者には、測定してほしい食品を細かく刻んで、約500グラム持参いただき、その場で測定しすぐに結果をお返しします。現在までに、家庭菜園など自家製の作物を中心に、組合員向へ約5000検体の検査を行ってきました。約20分の測定の間に「つぶやき帳」を自由に記入していただいています。記載された内容を一部紹介します。

「つぶやき帳」より
今年は干し柿は全然ダメなのはわかっていたのですが、たくさん実をつけたので作りました。友達が食べたいというので計ってもらいに来ましたが、やはり高いそうであげられません。農家なので、これからもいろんな面でだめ出しになるのかと思うとこわいです。

多くの市民が、家庭菜園などささやかな楽しみを家族と共有して暮らしてきました。原発事故に起因する放射線による土壌汚染は、容赦なくその楽しみを奪い、食卓に上がる食品は「若い人には県外産」といった、家庭内でも分断された食生活を余儀なくされています。
   
現在、福島県の米は「全量全袋検査」を行い、検査機700台、検査員1700名、作業員等2000人という規模で実施しています。本来であれば、国(農林水産省)が土壌汚染状況を把握するための精緻な調査を行い、そのデータに基づいて、農地の体系化した放射性物質検査指針の策定とアクションを起こすべきです。
   
   

■ 子どもの甲状腺検査

「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」。これは、原発事故当時の枝野幸男官房長官(当時)の発言です。この言葉に象徴されるように、国は原発事故に伴う放射性物質拡散に対する適切な対策をとらなかった結果、放射性ヨウ素による、甲状腺被ばく線量の評価ができていません。当時は正しい情報がなく、断水のため子どもも含めた多くの住民が屋外で給水に並んでいました。そのために本来であれば、防げたはずの「無用の被ばく」をしてしまい、福島県民は「甲状腺がん」に対する大きな不安に苛まれています。今後長きにわたり私たちを苦しめます。これは人権に係る問題であり、国が国民の健康を守ることに対して、どれほど責任を果たそうとしているかが問われます。多くの福島県民は国の対応に失望しています。せめて原発事故後の放射性ヨウ素対策として、不要な外出を避けるなどの手立てを講じていれば、放射線による健康被害のリスクを低減できたはずです。
   
2014年2月11日現在、公表されている調査結果は、昨年の12月末までに、甲状腺検査実施対象者中、約26万9000人(80.8%)が受診、うち75人が悪性ないし悪性疑いと診断されました。この結果と被ばくの因果関係に関しては、様々な意見が出されています。福島県で行っている高性能な超音波診断装置(ミリ単位での診断が可能)での大規模甲状腺検査は世界でも例がなく、現時点で正しく比較できる過去のデータがありません。一方で原発事故がなければこれだけの人数の子ども達が、「甲状腺がん、疑い」と診断されることはなかったという事実にも、国はきちんと向き合わなければなりません。
   
この間、甲状腺検査は、福島県立医科大学が中心となり、全国の甲状腺専門医の協力のもと検査を実施してきました。今春からは、専門研修を受けて認定試験に合格した医師が勤務する医療機関でも甲状腺検査を受診できるよう、福島県や福島県医師会が準備を進めています。わが組織も医師1名、臨床検査技師3名が認定試験に合格しました。今後とも、個人情報保護や人権保護などに十分に配慮して、子どもや母親の気持ちに寄り添い、県民の健康を守る活動を進めていくとともに、国が責任を持って対策を講じていくことを求めていきます。
   
   

■ 福島市の除染の現状

福島市の除染は「福島市ふるさと除染実施計画」(平成23年9月策定)に基づき、小中学校・公園及び公共施設や地域のホットスポットを優先に行われてきました。目標として、左記の3つを掲げています。

  1. 平成23年10月から2年間で、市内全域の空間放射線量を毎時1ミリシーベルト以下にすること
  2. 現在、空間放射線量が毎時1ミリシーベルト以下のところでは、平成23年10月から2年間で空間放射線量を60%低減させる。
  3. 将来は推定年間追加被ばく線量を年間1ミリシーベルト(毎時0.23ミリシーベルト)以下にすることを目指す。

環境省「除染情報サイト」によれば、福島市の住宅の除染は計画数4万3624戸のうち、2013年11月現在実績数は2万3299戸(53.4%)。住宅地の除染は掲げた3つの目標にはほど遠いのが現状です。これでは、県外避難をした人々が戻って来られる状況ではありません。この事実がますます健康不安を募らせる一因にもなっています。
   
   

■ 被ばく無料健康相談

原発事故以来続いている健康不安に少しでも応えていくために、2011年12月から毎月1回、振津かつみ医師のボランティアによる被ばく無料健康相談会をスタートしました。「1人1時間枠」で設定していますが、個別相談なので、ほぼそのぐらいの時間となります。県外に避難するための相談もありました。当初は多数の相談者がありましたが、最近は減ってきています。不安感が高く、避難できる条件がある人は、すでに県外避難をしているため、相談者が減ったと推測します。除染や健診などが進み、多くの地域住民が安心して暮らせるようになることを願うばかりです。
   
   

■ 子ども保養サマーキャンプ

原発事故以来、毎年、全国の医療生協の協力のもと「子どもサマーキャンプ」を実施しています。県内医療生協の企画で、3年間で約300名の親子に県外保養でリフレッシュしていただきました。ベラルーシでは、チェルノブイリ事故により、一定の被ばくを受けた地域に住む子ども(3歳から18歳まで)に対して、無料で年に2回(24日以上)サナトリウムなどの保養地でのリフレッシュを受ける権利があります。ベラルーシでは、今でも年間4万5000人以上の子ども達の保養を国家補償で行っています。本来であれば、日本でも国策で「子ども保養」を行うべきですが、福島市は除染すら思うように進んでいません。「子ども・被災者支援法」は何だったのかと思わざるを得ません。
   
   

■ 福島市民の健康状態

医師からの情報によれば、今の福島市民で問題を抱えている方の健康状態は、主に3つのケースとなります。
   
1つは、福島に残った方。原発事故で、一時外出を控えていた人が多かったのですが、運動を再開してきている人も増える一方、まったく運動をやめてしまった人や食事への過度な不安が強く、偏った食事になっている人もいます。
   
2つは、家族がばらばらになった方。夫のみ残して、妻子が県外避難をしている人、老夫婦2人だけ残って生きがいを失っている人、一家ごと県外に避難したけれども、周りになじめず「うつ状態」の悪化や血圧の変動があった方など、原発事故がなければ、起こらなかった災難です。
   
3つは、福島第一原発近隣の8町村から避難し、福島市の避難所で暮らしている方です。仕事を始められず、ギャンブルやアルコールで1日を過ごし、一種の無気力状態となっている方もいます。福島市在住の子ども一家と暮らし始めたが、折り合いが合わずに、再び別居して新しい暮らしを始めた方。全体として、精神的なことへの影響と運動不足が続いています。とくに高齢者は自らの放射線への不安というよりも、家族環境・社会環境の変化による精神的な影響が強いという状態です。
   
   

■ 過小評価との戦い

福島で健康を守るというときに、「甲状腺がん」だけに焦点があてられていますが、チェルノブイリ事故の被災地では、小児甲状腺がんの増加だけではなく、子ども達の健康状態が事故後しばらくの間、全体的に悪化した、と現地の医師らは報告しています。ベラルーシと福島の大きな相違点は、放射線に汚染された食品の流通の阻止と除染をするかどうか(ベラルーシでは除染はせずに移住をした)ということです。日本においては、前者は政府の食品基準の規制よりも、生産者と消費者の涙ぐましい努力により、汚染食品の流通がとどまっています。しかし後者の除染は遅々として進んでいません。
   
福島市内では、学校や公共施設等は土を剥ぎ取り、放射性物質が低減していますが、除染されていない市内住宅地では、事故当時の汚染された土壌との暮らしを強いられています。土壌からのセシウムの吸い込みに注意していくことが大切です。原発事故の1年目は、多くの住民が外出時にマスクを着用していましたが、3年目となる現在では、風の強い日でも多くの人がマスクをしている状況にはありません。セシウムの粒子の大きさからすれば、マスクでは完全防御はできませんが、やらない場合との内部被ばくのリスクは違ってきます。月日が経ち、被ばくへのリスク感覚が鈍くなっていることに注意を払い、あらためて放射線からの生活防衛を見直していかなければと感じています。
   
「甲状腺がん」だけに矮小化させず、あらゆる疾患に注意を払っていかなければなりません。チェルノブイリ事故の経験からわかるように、放射線汚染による健康被害を証明することは容易ではありません。国の責任を明らかにし、健康診断等の実施や健康手帳の交付を求めていくことは地域の健康を守る上で、運動の中心に据えるべき課題です。
   
   

■「震災関連死」

大震災に起因する「震災関連死」は、被災3県でも福島県が突出しており、1600名を数え、大震災での直接死を超えてしまいました。生活手段を奪われ、故郷を追われた避難者は、いまだに14万人を数え、全国各地に散らばっています。残念ながら、同じ福島県民でも中通りの課題と避難者の課題は全くと言っていいほど違っており、そのことが県民の心や気持ちを分断する一因にもなっています。
   
しかし、明確に一致していることは、「国や東京電力に対して原発事故の責任追及と賠償を求めていく」ことであり、今後とも私たちの人権を守る活動を継続していきます。
   
   

■ 原発事故後の福島で、地域の健康を守るということ

まず大切なのは、未来への想像力ということだと思います。低線量被ばくというリスクと闘いながらも、美しいふるさとを取り戻すための想像力は絶対に必要です。そのためには心のケアや、子どもたちの教育など、大人たちにはたくさんの課題があります。まもなく原発事故後丸3年を迎えます。同じ県内でも大きく環境が違う浜・中・会津(浜通り・中通り・会津)でも、共通となるキーワードはやはり「健康を守っていくこと」だと思います。
   
2つ目は、助け合う地域社会の追求です。大震災を受け、心からそう感じましたが、人間は1人では生きられない動物です。しかし地域社会では「個」が重視され、人と人とのつながりや地域共同体が破壊されています。経済効率が優先された資本主義社会は限界にきています。今こそ最澄が説いた「自利利他」、つまり自らを生かし他者を生かす社会を実現すべきです。過剰生産で物が余り、過度に利便性を追求してきた社会を見直さなければ、次世代にそのツケを回すことになります。私たちの「文明の質」が問われ、価値観の変革が求められています。
   
3つ目は、生活習慣の見直しです。私は父親を肺がんで亡くしたことが、「強い動機付け」となり、約10年前に喫煙をやめました。1日に40本は吸っていたたばこを、以来1本も吸っていません。
   
これは1つのたとえですが、福島県民は、原発事故による放射線汚染という逆境に立たされました。そのことは許すことはできませんが、この地で暮らしていくためには、主体的に健康習慣を見直していくことが必要です。健康リスクを跳ね返すためにも、大人たちは健康な生活習慣を身に着け、次世代へ引き継ぎ、元気で暮らしていくことが、福島の未来を創っていくことに繋がっていきます。
   
最後に、反原発・脱原発運動の強化です。
   
原発事故が、多くの県民の人生を変えてしまいました。全国には30年以上経過した老朽化した原発が、福島以外に13基もあります。老朽化した原発の格納容器は、長年にわたる放射線照射により「中性子照射脆化」を起こしています。もしも老朽化した原発が再稼働した場合、「地震国日本」では、いつ福島と同じ状況に陥るかわかりません。
   
多くの福島県民は、「私たちと同じ思いはさせたくない」と思っています。核と人間は共存できないのです。
   
わが組織は、反原発・脱原発運動を法人の中心課題と位置付けています。世界から核が無くなる日を目指して、平和を愛し、地域で健康を守り続けていくために、様々な団体と連携していきます。
   
   

■ おわりに

老若男女問わず、高線量地域に住む県民の多くが、原発事故後の福島で「健やかに暮らしていけるだろうか」という不安を抱えながら生きています。また、その不安は払拭できないけれども、福島を愛し、家族で支え合いながら、この地で暮らし続けていくという県民が多数を占めます。一方で、安倍首相は原発推進を明言し、他国への輸出のトップセールスまで行っています。
福島の原発事故は、「風化」に晒され、反原発・脱原発の運動は正念場を迎えています。一寸先は闇ですが、私たちの組織は地域住民との協同を深めて、不安を抱えながら暮らす住民に寄り添い、この地で「いのちを輝かせて生きられる社会の実現」を目指していきます。最後に、私たちの現状を的確に示唆している言葉を記して筆を置きます。

「少数派の抵抗運動は、これから多数派になる視点を象徴的に先取りする。いのちや生活において頂点同調主義ほど無力なものはない」
『神は細部に宿りたまう』久野収著
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