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●2011年9月号
■ 原発が子どもの未来、教職員の生活を破壊
   福島県教職員組合 角田 政志
 

3月11日の東日本大震災と福島原発の大事故は、かつて経験したことのない恐怖と不安、そして多くの混乱を引き起こした。緊急の避難指示を受け避難している人たちは、現在も見通しの立たない不安と困難な生活を強いられている。このような極めて困難な中でも、子どもたちの安全と教育活動の充実を念頭に対処するのは、教育者として当然といえる。教育労働者が困難な中でも生活基盤を安定させ、安心して働ける労働条件、環境を整えることが、教育行政として早急に対応しなければならないことである。しかし、被災者である教職員は支援を受けるどころか、逆に厳しい労働を押し付けられた。教育行政当局は、日頃から教職員をどれだけ大切にしてきたか、その実態が様々な形ででてきた。
 

■ 非常時の職場に現れた2つの側面

大地震・大津波のとき教職員は、子どもたちの安全を確保し、そのまま学校で一夜を過ごした人も多くいた。避難所となった学校の教職員は、泊まり込んでの支援活動を行っていた。避難所以外の学校では、子どもたちの安否を確認した後、教職員も帰宅した。道路が崩れ危険な場所も多く、やっとの思いで帰宅した人も多く、その後、ガソリンもなく交通の遮断された中で通勤困難な人も多くいた。会津地方など一部地域を除く県内のほとんどの学校は臨時休校となり、教職員も自宅待機となっていた。
 
自宅待機中、小さい子どもを抱えた人や家族を守っていた人もいたし、避難所での支援活動をする人、学校に出動して仕事をする人など様々だった。このような中で、同僚の中からも、理由に関わらず、学校や避難所に来ない人(こられない人)に対する非難がささやかれてきた。県教組は日教組と連携し、文科省及び県教委から「通えない状況にあるときは、交通遮断による特別休暇や職専免等で当面対応し、弾力的に対策を講じることが必要だ」との確認を取っていた。しかし一部には、「休んだ期間は年休を出せ」「みんながんばっているときに、自宅を離れ避難したなどとんでもない」と怒鳴る校長も出てきた。日頃から、多忙化、管理強化によって教職員同士が競争させられていた職場では、表面的にまとまっているように見える職場でもこのような大混乱の中で、周りの人のことなど考える余裕がなくなっている現実が同僚への反目として出てきた。そして、1人1人の良さを引き出すことさえできない、資質にかける校長が多いことも明らかになった。
 
一方、教職員が互いに連絡を取りながらそれぞれの状況を理解し、支え合ってきた職場もあった。そういった職場は、日頃から組合を中心に職場づくりを進めているところが多いようだった。管理職の一方的な強制もはねのけ、みんなで話し合って困難な状況を乗り越えていた。管理職の中にも、教職員を気遣い、困難な中でも生き生きと仕事ができるような配慮をしている人もいた。このような管理職のいる職場は、職員も明るくイキイキとしていた。
 
日常的な同僚とのコミュニケーションと職場づくりがとても重要であることを改めて感じさせられ、職場からの組合づくり、民主的な職場づくりという組合運動の原点が確認できた思いだった。反面、日常的に行われている管理強化と競争による分断が同僚性を破壊し、全てが自己責任とされる。多忙化解消を阻み、精神疾患を増やす大きな要因もここにあることを改めて感じさせられた。県教組として、管理強化と競争に歯止めをかけ、職場での同僚性を高め分断させない運動の強化が求められている。
 

■ 希望の見えない新年度のスタートの中で

原発事故は、人々の生活、子どもの生活と未来をメチャメチャにしてしまった。
 
原発事故後、地元住民に避難指示が出され、多くの人たちが避難した。小中学校の子どもだけでも1万5000人以上、1300名を越える教職員も県内外に避難を強いられた。何が起きたのか、どこに避難すればよいのか、今後どうなるのかの見通しも立たない中、とにかく避難した。その後自宅には帰れなくなった。県外には8000人(小中学生)が避難しており、小中学校約60校が臨時休業または臨時移転となっている(高校10校はサテライト校)。
 

(資料1・クリックで拡大します)
 

(資料2・クリックで拡大します)
 
3月末、避難をしている各自治体それぞれが避難先に一時的な機能移転をおこなった。そして、教育委員会も事務局を構えた。各町村教育委員会は、新学期を前に避難している教職員を招集し、とりあえず臨時の教育委員会を置く市町村で、子どものケアを中心とする仕事を命じた。しかし、教職員は避難先から勤務地まで戻ってこなければならない。岩手、宮城の被災県は教員住宅の確保について文科省に要望を出した。しかし、福島県教委は教員住宅の確保については何もしていない。被災した教職員のことを全く考えていないし、配慮すらしない。やっと住宅を探し家族で引っ越してきた人、避難所生活をする人など、勤務するにも大変な苦労があった。中には、子どもを親戚に預け単身で帰ってきた人、高齢の親を避難先に残し単身で帰ってきた人もいた。県内に避難している教職員も、家族との関係で避難先から生活の拠点を移すのに大変悩んだ。中には移動できずに遠距離通勤を強いられた人もいた。夫婦共に教職員で勤務校の市町村が違う人は、互いの勤務先が大きく離れ、通勤が不可能な上に、家族の生活基盤が崩壊する事態も心配された。ある組合員は次のように話している。
 
「私たちは早く学校で勤務したいという思いがあります。児童生徒の消息ももちろん心配です。しかしそれは、私たち自身が勤務できる環境にあることが前提です。今は目の前にいる家族を守ることが大事です。家があるならまだ安心です。原発事故で帰る家を持たない私たちにとって、家族と一緒にいることが家族を守る唯一の手段です。家を失った私たちにとっての支えは家族です。勤務したいのは当然ですが、帰る家を失った私たちから家族をも失うようなことだけはないようにお願いします。今の状態がいつまで続くのでしょうか。生活の拠点をどこにすればよいのでしょうか。自分の子どもの通う学校はどこにすればよいのでしょうか」。
 
教職員の招集と勤務の命令は、各市町村教委毎にバラバラに行われた。当然、教職員に対する配慮や勤務の条件整備は大きく異なった。県教委に何度も統一対応を要請したが、「市町村教育委員会の権限には踏み込めない」との態度を崩さず、市町村教育委毎の交渉となった。しかし、支部の組合員もバラバラになり、組織的な対応は十分にできなかった。交渉を通して一定の配慮を行った教委とそうでない教委の差が出た。ここでも、教職員を大切にしている教委と命令で押し通す教委の姿が浮き彫りになった。
 
年度末休校になっていた学校でも新年度の準備が進められていた。福島県では、4月6日県内一斉に小中学校の入学式が行われる。今年度は、震災原発事故の影響で、通学路の安全確保や校舎破損の大きいところでは安全確保も十分できず、ライフラインさえ止まったままの状態のところがあった。そして、放射能が非常に高い値となっていた。また、転入学が大変多く、新学期の準備など十分にできようがなかった。県教組及び各支部は、子どもたちの安全確保と事務整理の必要性から入学式の延期を訴えてきた。当然保護者からも延期を求める声がたくさん上がった。しかし、このような状況にもかかわらず、被害が多かった相馬郡、双葉郡と郡山市を除き、4月6日に実施された。子どもを守る、教職員の準備期間を保障することよりも、スケジュールを優先することが第一となっていた。そこには、学校教育とは別の力が働いているのではないかと疑わざるを得ない状況もあった。
 

■ 不当な「兼務」発令による生活破壊

教職員は、多くの自己犠牲を払い、新学期に向け各市町村教育委員会の指示を受けて業務を始めた。日常の生活を取り戻すべく当面の生活の根拠地を決め、子どもの転入、親の介護など、家族を含めた生活設計を立てた。しかし、見通しがない中で今後どのようになるか不安は大きかった。県教委は、明確な勤務配置をするためとして、被災し避難を強いられた教職員の苦悩をよそに4月末から「兼務」の発令を行った。「兼務」の基本方針は、「自校の子どもが転入している学校に兼務を命ずる。子どものケアを行うため、全県的視野での配置とする」というもので、学校を指定し強制的に配置を進めた。この「兼務」発令は、これまでの別居生活や遠距離通勤解消のチャンスでもあったが、逆に、やっと住居を確保したのに、また住むところを移らなければならない人、新たに夫婦で職場が大きく離れ家族がバラバラになった人や片道60〜100kmもの遠距離通勤を強いられた人がたくさん出てしまった。
 
県教委が指定した学校への配置は、校長から個別に打診された。少数ではあったが、教職員間で調整しても「遠距離通勤」「別居」「転居」を余儀なくされるケースが続出し、自分が拒めばもっとひどい人が出るからと我慢して受けた教職員もいる。校長によっては、県教委が示した一覧を教職員に渡し、「みんなで相談して埋めろ」と指示し、仕方なく受けた教員もいた。職場づくりができていた分会では、無理なものは無理だと拒否したところもあった。教職員は大変厳しい選択を、しかも短時間に決めることを迫られた。住む家がない、住む家に戻れない者がほとんどで、家族ともすでに離れ離れになっている人も多く、教職員自身もケアが必要な状況にあった。だからこそ、現在の居住地から安心して通勤できる距離の学校、今現在一緒に住んでいる家族と離れることなく通勤できる学校、そうした学校への配置を求め続けてきた。
 
県教組は、組合員の切実な声を受け止め、具体的な生活実態と要望を県教委に示し、教職員も被災者であることから、当面現在の居住地から通勤できる範囲の学校への勤務をさせるよう何度も要求し交渉を続けてきた。文科省も、「無理を強いるわけにはいかない。限度がある」との見解を示していた。各市町村教育委員会、教育事務所も教職員の苦悩を理解し弾力的な取り扱いを強く求めてきた。しかし、県教委は、この方針を「県民への説明責任」として撤回せず、不当な「兼務」が発令された。
 
その後も、止まっていた年度末人事異動の発令(8月1日付)に合わせて問題の解消をはかるべく交渉を強化した。不当な「兼務」に苦しむ組合員から県教育委員長にその実態を親書で訴えてきた。
 
「私は親戚を頼って埼玉に避難しました。3月末突然福島県に呼び戻されました。その後やっといわき市に家を借りることができ、いわき市を中心に子どものケアをしていたのですが、兼務で70km離れた学校への配属となりました。毎朝6時30分に家を出て80分高速道路通勤です。もっと近くに避難している子どもたちがたくさんいるのに、どうしてお金をかけて時間をかけて兼務しなければならないのでしょうか。私だけでなく、家にも戻れず家族からも引き離されて単身赴任となっている人もたくさんいます。住む家が見つからず遠くまで通っている人もたくさんいます。私たちも被災者です。どこまで切り捨てるつもりですか。怒りと悲しみでいっぱいです。教員が安定した心と愛を持って子どもと接しなければ、決して良い教育とはなりません。私たちの心のやすらぎは置き去りです。生活も根こそぎ変わってしまいました。どうか被災者の個々の状況を把握され安定した生活基盤を築いて働けるようにしてください。私たちが『福島県の教員で良かった』と思えるようにしなければ未来は暗黒です。」
 
多くの教職員がペンを取り、切実な実態を訴えました。また、「兼務」の在り方についてもその悩みを訴えています。
 
「兼務校の先生方からは親切にされていますが、どうしても気を使うし、肩身の狭い思いをしています。家に帰ると毎日、かつての教え子からメールや電話が来ます。6年生担任だったので、初めの内は、中学生になって制服姿の写真が添付されたメールや希望を持って頑張っている様子もありましたが、最近は、疲れもあるのでしょうが、SOSになっています。『いつになったら会えるのですか?』『学校が怖い』『できなかった卒業式をしてください』等々。毎日メールと電話に追われています。県外に避難した子どもは戻ってこないかもしれません。もちろん、地震と津波で家が壊され、原発のために帰ってくる場所もないのですが、全国各地に避難している子どもたちは置き去りにされています。避難所にいる子は、多少なりとも支援を受けていると思いますが、個別に避難している子には何もありません。子どもたちは、福島から見放されたと思っています。兼務校で必要とされているのかどうかも分からない仕事をしているよりは、そういった子どものために全国どこへでも飛んで行きたい気持ちでいっぱいです。」
 
子どもたちを愛し、家族を守り、みんな必死で耐えている。県教組は、こういった教職員の勤務労働条件を早急に改善するように個別の生活実態を県教委にあげ、連日交渉を行ってきた。これからも交渉を続けていく。しかし、県教委は方針を変えようとせず「全ての状況を改善するのは無理」と、教職員の訴えから目と耳をそらしている。これから学校が再開できないままとなっている町村で、学校再開の準備が進んでいる。見通しもない中、町村の願いだけで行われているような側面もある。学校が再開すれば、「兼務」の解除など、また新たな動きが生ずる。そのときまた、現在の生活根拠地からの遠距離通勤や単身赴任等の問題が生じかねない。人事問題は終わりのない闘いとなる。
 

■ 教職員の身分確保と採用・雇用の確保要求

県教委は、「県外に多くの子どもたちが避難している現実があり、教員が過員となっている。来年度の小中学校の新規採用を行わない。また、講師の採用も非常に厳しい」と明言し、教員採用試験を行わなかった。避難している子どもたちが県内に戻ることへの期待や準備を進める努力をせず、「切って捨てる」ような決定といわざるを得ない。
 
6月24日に示された481名の加配も、5月段階の子どもの数から出した定数に対し「過員」になっている数を加配としただけで、文科省通達による震災復興のための加配ではない。教職員の身分を守ったことについては一定の評価はするものの、現場では教職員は過員どころか足りないのが現状。小中学校の教員の採用を行わなかったことは過去になく、福島県における教職員の構成に大きな影響を与え、将来の教職員の年齢構成のアンバランスが様々な問題を引き起こす可能性がある。県教委は、5月段階の避難の状況だけで判断し、今後どのように子どもたちを福島県に戻すのかその議論がないままに次年度採用なしを決めている。福島県の教員を目指して頑張っている多くの人たちは、次年度の採用を行わないという決定を受け、途方に暮れていた。
 
文科省は、福島県の教員採用試験を行い、避難している県に配置をして将来戻すことも検討することも必要との考えを示したが、結局福島県教委は、採用なしを押し通した。この判断は正しかったのか多いに疑問が残る。
 
夏休みをはさみ、子どもたちの県外転校はとまらない。県教委は7月中旬に行った調査結果を公表した。それによると、夏休み中に県外転校を希望する小中高生は、1130人。小学生が約900人、中学生が約1500人。理由は放射能への不安がほとんど。子どもの数が減れば、教職員定数も減る。臨時採用教職員の雇用確保、採用はたいへん厳しい。また、正規の教職員の定年前退職者の増加が懸念される。定年延長の動きの中で、福島県は逆行していく。教職員の身分保障と臨採者の雇用確保は重要な課題である。
 

■ 組合員の声を基に運動を進める

県教委は、「学力向上」には力を入れるが、本当に子どもたちのことを考えて教育行政を行っているとは言えない。教職員を大切にしない教育行政は、怒りや悲しみ、不信感を抱かせた。それが、子どもたちに影響する。そのとき、県教委は指導力不足教員のレッテルを貼るのだろうか。
 
非常事態の中で、福島県の教育行政の本性が暴露された。教育行政は、これまでの流れを継続させようとしているだけで、子どもたちを守っていないし、教職員を守っていない。このような本性を見たとき、組合員は怒った。バラバラになりかけた同僚性が回復しつつある。また、管理職の中にも、教育行政に対する不満や怒りを持つ人もいることが確認された。組合員の怒りがあきらめに変わらないように、組合員の声を基に運動を進めることが県教組の運動の基調となる。
 
 
※ 子どもも教職員も休業になった60校に在籍したままなので、5月からの新たな配属先は「兼務」となる。また、「加配」の考え方の齟齬もそこからでてくる。  編集部
 

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