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●2011年8月号
■ 混迷を深める菅内閣と社民党の役割
   社会民主党副党首 又市 征治
 

■ はじめに

菅首相は就任後最初の所信表明演説において「強い経済、強い財政、強い社会保障の実現」を前面に打ち出した。経済、財政、社会保障が並列的になっているが、重点は強い経済であり、強い財政にあった。その延長線上に、消費税率のアップと法人税減税路線が出てくる。
 
この一事をとっても、菅内閣はその発足から、社民・民主・国新の三党連立政権がめざした国民生活再建路線から逸脱していたことが明らかである。
 
菅内閣は発足時の「小沢叩き」による支持率の上昇を、参議院選挙で突然「消費税率アップ」の表明によって瞬く間に失い、参議院での与野党逆転を招来した。ここから菅内閣の迷走が、はじまる。
 

■1. 国民の支持を失い漂流しはじめた菅内閣

参議院選挙終了後に民主党の代表選挙が行われた。菅内閣発足から3か月であり、国民からは常識外れに映ったであろう。菅・小沢両氏の闘いとなった。この代表選の争点は、菅首相らが進める新自由主義的政治への回帰か、それとも政権交代の原点である生活再建路線か──の対立でもあった。結果は周知のとおりだが、民主党国会議員が真っ二つとなり、この路線対立が今日も尾を引いており、菅政権と民主党のもたつきはこれと無縁ではない。
 
菅内閣の下で、初めての本格的論戦が展開されるべきだった臨時国会が秋に開催された。この臨時国会の課題は、急激な円高・株安やデフレ脱却の対策、つまり補正予算の早期成立による国民生活再建であった。
 
ところが、国会は当初から混乱・空転を繰り返した。その原因は、

  1. 中国漁船の領海侵犯事件に端を発した日中間の対立、
  2. ロシア大統領の国後島訪問に見られる外交の稚拙さ、
  3. 警察のテロ捜査情報や中国漁船衝突ビデオ流出など政府部内の規律の低下・緩み、
  4. 農林漁業などを壊滅させかねないTPP(環太平洋経済連携協定)参加表明、
  5. 小沢問題を抱えたままでの企業・団体献金の受入表明、
  6. 人事院勧告を超える公務員賃金引下げや国会議員定数削減発言、
  7. 普天間基地を米国言いなりで辺野古に移設する姿勢、

──など、菅政権と民主党のもたつきにあった。その結果、内閣支持率は当時すでに20%台に急落していた。
 
そのため臨時国会は、補正予算を除き、労働者派遣法改正案、郵政改革法案、地域主権改革関連法案、地球温暖化対策基本法案などの重要法案がまともに議論されず、史上2番目の法案成立率という体たらくであった。
 
片や自民党などの野党は、ねじれ国会を利用して政権へのイメージダウンを狙い、国民生活改善や景気対策論議そっちのけで、閣僚の問責決議案可決に固執し、国民生活のために責任を共有しようとする姿勢はまったく見られなかった。菅政権は野党の一部に盛んに秋波を送ったが、与野党協議の機運は生まれなかった。
 

■2. 菅民主党の選択肢:3分の2による再議決か大連立

臨時国会後、菅首相は国民新党亀井代表の強い勧めに応じて、社民党に党首会談を申し入れてきた。亀井氏の狙いは、一般的には社民党と組んで自らの存在感を示すことであり、具体的には結党の目的でもある郵政民営化の見直し法案を、社民党の協力を得て成立させることであった。
 
一方、自民党などは統一自治体選挙を有利に展開するため、菅内閣にダメージを与え早期退陣を迫る構えであり、また政権追及の材料には事欠かなかった。そこで政府・民主党は、この事態を回避するために社民党にすがってきたのであった。また当時、菅内閣の新自由主義路線回帰を見かね、社民党支持や民主党支持の労働組合からも「社民党は連立政権に影響力を行使できる立場にいてほしい」との声が聞かれはじめていた。
 
12月6日の社民・民主党党首会談では、

  1. 昨年の連立政権樹立の際の政策合意は、その実現を国民に公約したものであり、両党は引き続き実現に努力する。
  2. 来年度予算編成に当たり、社民党の意向を反映する協議を行う。
  3. 労働者派遣法改正案並びに郵政改革法案を次期通常国会で成立させる。
  4. 今後とも三党間の協議を行っていく

──ことで合意した。
 
この段階では、11年度政府予算案、とりわけ予算関連法案について菅内閣は社民党の協力を得て、参議院で否決されても衆議院における3分の2による再議決で成立を図ろうとの思惑があった。したがってわが党も、こうした条件を活かし09年の連立政権の政策合意の実現を図る観点から、4分類56項目の予算提言と19項目の税制要望を提出し、私を責任者として政府・民主党と精力的に協議を行った。
 
その結果、

  1. 求職者支援・新卒対策・正規化支援などの雇用対策、
  2. 基礎年金の国庫負担割合の2分の1確保、
  3. 40万介護待機者解消を目指した施策の実施と介護従事者の処遇改善、
  4. 高齢者医療制度の1割負担の継続、
  5. 地方交付税総額の昨年度を上回る額の確保、
  6. 鉄建機構の「特例業務勘定」利益剰余金の本来目的に十分留意する

――等で前進をみたが、法人税5%減税、成年扶養控除の廃止問題、普天間基地の辺野古への移転費用では一致をみなかった。したがって社民党は予算案の賛否は、通常国会での予算審議・修正協議を見極めて判断することとした。
 
しかし、年が明けて菅内閣の方針は急転し始めた。菅首相は国会冒頭の施政方針演説で、国づくりの理念として「平成の開国」「最小不幸社会の実現」を掲げつつ、

  1. 農林漁業などに壊滅的打撃を与えかねないTPP(環太平洋経済連携協定)への参加、
  2. 消費税を含む税制と社会保障の一体改革、
  3. 公務員賃金の2割削減、
  4. 日米同盟の深化、米軍普天間基地の辺野古移設堅持、「動的防衛力の強化」

――などを打ち出した。また与謝野経済財政大臣は、「経済活性化のために必要となる競争力強化等の抜本的な国内改革を進める」とも述べた。つまり政権交代の原点である「国民生活が第一」を転換し財界寄りの「経済成長が第一」へ、すなわち新自由主義回帰の姿勢を色濃く滲ませたのである。
 
このような菅政権の姿勢に対して自民・公明等は、消費税率アップの動き、子ども手当満額支給の断念等々を「マニフェスト違反」と批判し、公債特例法案に反対の立場を明確にした。特例法案は予算と異なり衆議院優位の原則は適用されず、参議院の決定を覆すには社民党などの賛成を得て衆議院で3分の2の賛成で再議決するしかなかった。
 
民主党は自民・公明に妥協して子ども手当、高校教育無償化などマニフェストで謳った事項を放棄するか、野党の攻勢の前に内閣総辞職かという岐路に立たされた。しかし野党に対する妥協は、前回の衆議院選でマニフェストを掲げ当選した議員の反対が根強くそう簡単な話ではない。他方で総辞職という選択肢は菅首相にはありえなかった。
 
反小沢グループで主要ポストをしめている現在の政府・民主党執行部としては、小沢グループを封じ込めて野党との妥協に走るというのが基本路線である。これは当時もそうであったし、大震災を経た今日も変わりはない。
 
しかし当時の情勢としては、とりあえず社民党に予算本体に賛成をしてもらい、公債特例法案等の予算関連法案の再議決を担保しておきたいという思惑があり、社民党との政策協議を年明けも続けてきたのである。しかし社民党は、資金過剰が明らかになっている大企業の法人税減税や成年扶養控除の廃止等の容認や、消費税増税・TPP参加路線をひた走る政治姿勢に同調することは社民党の基本的方針に反することであり、予算案に一定の意向反映はあるものの、予算本体には反対することを決めた。
 
3月1日、政府・与党は2011年度予算案を関連法案と切り離して衆院を通した。なお、菅首相の政権運営に批判的な民主党議員16人が採決の本会議を欠席した。これにより、憲法六〇条の規定によって予算案の年度内成立が可能となった。
 
しかし、予算と一体の関連法案を切り離す異例の手法はいっそう野党を硬化させ、公債特例法案の成立は一段と厳しくなった。これらが成立しなければ、いずれ予算執行に支障を来すことになる。成立の先送りも現在では、限界点に到達しつつある。
 
予算関連法案成立の目処も立たないなか、予算案審議は野党が多数の参院に移り、自民党などは菅内閣退陣や衆院解散へ攻勢をかけはじめた。一方、民主党内からも「首相退陣で局面打開」の声も出はじめていた。その矢先の前原外務大臣(当時)、菅首相自身の政治献金問題の発覚であった。これにより菅内閣は崩壊寸前の状態に追い込まれた。これが大震災前の菅内閣の実態であった。
 

■3. 後手に回る大震災への対応、そして首相の「辞意表明」

3月11日、前述の菅首相への政治献金問題が質疑された参議院決算委の最中に、東日本大震災が発生した。文字通り未曾有の被害にかんがみ、国会は救出・救援が最優先課題であり与野党一致して大震災に対処しようと、政治休戦がごく自然に合意された。これにより菅首相の退陣あるいは解散・総選挙は棚上げとなった。
 
これに乗じて、大震災直後の3月19日、菅首相が谷垣自民党総裁に入閣を要請し、大震災を契機に大連立を模索していることが明らかになった。自民党は政権協議抜きの政権参加はありえないとこれを断ったが、実際のところは菅首相の延命の手助けはしないということである。ただし国会では救出・救援、復旧・復興に関しては与野党が協力し合うことは一応貫かれた。
 
しかし、菅内閣は、大震災に関連し20近い組織を立ち上げたが、震災復興基本法は震災発生後3か月たってようやく成立した。これは何も野党が審議を妨害したとか反対したとかではなく、提出が遅かったためである。福島原発事故に関しては、最初の段階では情報がほとんど開示されなかった。水素爆発・メルトダウン等の可能性、事故の規模、放射線の飛散状況に関する情報などはすべて闇から闇に葬られた。ただ避難の指示だけが、その根拠を知らされることなく発出された。
 
復旧・復興の遅れを象徴的に示しているのが、がれきの撤去が一向に進んでいないことである。また被災地と政府の距離を示したのが、復興担当大臣に就任した松本議員の辞任である。
 
政府の施策が後手に回るなかで、自民・公明等が6月1日に内閣不信任案の提出に踏み切った。衆議院では民主党が圧倒的多数を占めているので、本来内閣不信任案など論外のはずであった。しかしこの間、民主党執行部は小沢グループを党・国会運営のあらゆるレベルから排除する姿勢を取り続け、衆議院選でのマニフェストを撤回する方向で自民・公明との折衝を続けてきたため、小沢グループなどが公然と賛成の意向を表明し、民主党内の対立は頂点を迎えた。仮に内閣不信任案が可決されれば民主党の分裂は決定的であった。これを回避するためには菅首相に「早期退陣」を表明させることが必要であり、そのための採決当日の衆議院本会議前の菅・鳩山会談であり、民主党の代議士会であった。
 
菅首相は震災復興等に「一定の目途がついた段階」で身を引くことを表明した。これは政治的には、震災復興基本法の成立と第二次補正予算案提出、公債特例法の成立等に目途がつくことであり、常識的には6月末または7月上旬の退陣を意味した。これによって不信任案に賛成を表明していた民主党議員の大勢は思いとどまり、不信任決議案は衆院本会議において大差で否決されたのである。
 
ところが、不信任決議案が否決された途端、菅首相は原発事故の収束も「一定の目途」だと、年明けまで居座る姿勢に出たのである。菅首相では国政が一歩も動かず、下手をすれば自公政権に逆戻りしかねないから「身を引く」ことを勧めた長年の盟友・鳩山氏も、そして国民をもペテンにかけたのである。首相の辞意表明で、いったん進みかけた与野党協議の機運も吹き飛んでしまった。
 

■4. エネルギー政策転換を出汁に延命を図る菅首相

民主・自民・公明三党間の「50日間会期延長」合意は、首相の反対で白紙に戻され、さらに自民党の浜田参議院議員の復興担当政務官登用で菅首相と民主党執行部の亀裂は決定的なものとなった。現在は、第二次補正予算案、再生可能エネルギー全量買取法案、公債特例法案の成立後に菅首相が辞任することを前提に三党による協議が進んでいる。
 
そもそも菅首相は就任直後、自らの政権下での消費税の増税、財政の健全化、法人税減税、TPP参加による企業の国際競争力強化を唱えた。参院選での敗北によって変化したのは政策ではなく、同じ政策を与野党協議、場合によっては大連立政権で実現するという点である。大震災以前はたしかに誰が政権を担おうが、国民生活や財政、そして経済の再建は待ったなしに求められていた。問われていたのはその道筋であり、09年の社民・民主・国新の政策合意は1つの回答であった。
 
他方、問題意識は同じでも菅首相の政策意図は、ま逆に近いものである。一言で言えば、大企業優遇、国際競争力強化、輸出産業振興による日本経済の底上げである。
 
しかし、甚大な被害をもたらした大震災と原発事故は、日本の政治・経済の様相を大きく変えた。通常、この変化に適用するなかで新たな政治・経済方針が提起されるのだが、菅首相は増大する退陣圧力のなかで、自らの延命にプラスかマイナスかを政策決定の基準としていると言って過言ではない。
 
浜岡原発の停止、再生可能エネルギー全量買取法案の成立、原発のストレステスト(耐性検査)等、一連の施策はそのような意図で提起されている。7月13日の会見で個人的見解として述べた「原発に依存しない社会云々」も同様の趣旨である。福島原発事故以降、世論は脱原発の方向で動きはじめている。しかしエネルギー政策という政権の基本的政策を、延命の手段として利用するという発想は国民の理解を得ることはできない。たとえば朝日新聞の世論調査(7月12日公表)では、「原発の段階的廃止」に国民の77%が賛成しているにも関わらず、菅内閣の支持率は政権交代以降最低の15%となっている。
 
政局は当面、菅内閣の辞任時期、その後の民主党の代表選挙、大連立政権の行方に関心が集まらざるを得ないだろう。しかし現実の国会では、菅首相の意向にかかわりなくすでに民主・自民・公明による政策協議の成否がそのまま法案成立の成否につながるという準大連立政権状況に陥っている。一般論として与野党協議は悪いことではない。しかしそれはすべての政党が参加することが前提である。一部大政党の思惑だけで国会が運営され、ごくわずかな批判勢力しか存在しないとなれば、国会は機能不全に陥ると言わねばならない。
 
これは何としても阻止しなければならない。そのために何をなすべきか。民主党などの心ある人々に大連立の危険性を働きかけることも一つだが、それ以上に、「政治は永田町だけで決まるのではない、国民生活の中にこそある」との確信をもって大衆運動を強めることである。
 
今日、わが国の重要政策課題は憲法理念に基づく雇用・社会保障・税財政改革そして脱原発などである。特にこの時期、「脱原発・自然エネルギーへの転換」を求める世論を大きく確かなものにする大衆運動が不可欠である。全国各地でこの運動の中核を担おう。この頑張りが、「格差是正・国民生活再建」を求めて09年の政権交代が実現したように、政治の流れを変えていくと確信する。(7月19日 記)

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