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●2010年3月号
■福祉社会と「地方主権」
  広田 貞治
     

■ はじめに

 デフレ宣言後に迎えた10年も景気低迷が続いている。新卒者の就職内定率が2月になっても高、大とも7割前後で、未だに決まらない卒業予定者は早くも絶望に直面している。雇用・賃金や国民生活はさらに悪化し、消費は一層冷え込んでいる。普天間基地移転問題で混迷し、鳩山・小沢の政治資金問題が不明朗で、鳩山首相が指導性の欠如を露呈するなど国民の不信を買い、内閣支持率は発足後5カ月で30ポイントも下がり、不支持率のほうが高い世論調査も出てきた。政治不信の増幅による社会荒廃を危惧する声も生まれている。
 
 しかし、生活保護の母子加算は復活され、子ども手当支給や高校授業料の実質無料化も決まった。七兆円規模の第二次補正予算は成立し、現在は92兆円規模の新年度予算の審議中である。鳩山政権への信頼は揺らいでいるが、雇用と社会保障の安定した福祉社会や新しい時代への国民の期待は完全に失われてはいない。自民党が現職議員の離党など混迷が続き、支持率が低迷していることに救われてもいる。 今後、青年に希望を与え、高齢者の老後に安心を与え、勤労国民に人間的な仕事と賃金・収入を与えて平和の基礎を築くという「福祉社会」を構築するためには多くの課題があるが、その大きな柱として社会民主主義的な世界観に加え、男女平等参画社会と地方自治の拡大・前進があげられる。本稿では地方自治拡大を検討する。
 

■ 「地方主権」か「地方分権」か

 総選挙では知事会などが「直轄負担金の廃止」ならびに「国と地方自治体の対等な協議の場」を強く求め「地方主権」を唱えた。経済空洞化と不況による自主財源の激減に加え「三位一体改革」による国からの財源が大きく減少したからである。
 
 各党のマニフェストはすべて地方分権を掲げていたが、民主党以外には「地方主権」という言葉はない。社民党は「地域の再建(元気で豊かな地域へ)」、国民新党は「疲弊した地域を再生」、共産党は「地方分権」、みんなの党は「地域主権型道州制」を掲げた。全体に「地方分権の一層の推進」「自主財源の拡大」「国と自治体の対等な協議機関設置」を主張しており、自公両党も大同小異である。
   連立政権は09年度第二次補正予算と10年度予算案で、失われた地方財源の回復に努めた。しかし、今回の措置だけでは足りない。さらに福祉社会を構築していくためには官僚主導を政治主導に変え、雇用の安定を進めると同時に、中央支配による画一化や縦割り行政による無駄をなくし、財源を含む地方分権をさらに大きく進める必要がある。
 
「地方主権」という言葉は20年以上前から行革国民会議の地方分権研究会などによって提唱されていた。ローカル・パーティ論も生まれた。しかし、日本の近代政治史と国家独占資本主義段階の現状を重ね合わせて考えると「地方分権の推進」さえ簡単ではなく、「地方主権」は定義にもよるが強調のレトリックにしか思えない。独占資本は国内外を通じて利潤を追求して飛び回る性格上、国や地域によって制度や法令が異なることを嫌うからである。また、過密過疎が極限まで進んだ今日では、財政力のない地方自治体が財政自主権を持ったとしても財源は確保されず、財政均てん化の問題点が解決できなければ「地方主権」は有名無実にならざるをえない。大都市本位の経済効率論で「限界集落などの過疎自治体は淘汰もやむをえず、都市に移転すればよい」との論理に屈することになる。
 
 しかし、欧米諸国ではその国民国家成立前後の歴史的経緯あるいは社民的政権が比較的早く成立して福祉社会に挑戦してきたことなどから、「地方主権」に近い「地方分権」が浸透定着しているようである。日本でも美濃部都知事時代には「地方主権」とも呼ぶべき状況が存在したことを忘れてはならない。この2点については後述する。
 
 したがって、「地方分権」か「地方主権」かを論ずるより、諸外国に学びながら日本の状況に合わせた地方自治を推進するための制度改革に力を注ぐべきであろう。民主主義(住民参加、男女平等参画)、税財政、経済や雇用、福祉、環境、国際化などの観点から、国と自治体の役割を抜本的に見直し、それに沿って許認可権限と税財源を見直すことが必要である。総務省や財務省など政府に前向きな対応を迫るためにも、研究者や各級首長・議員ならびに自治労や自治体労働者など関係者が協力して、大きな枠組みと具体的な課題での問題点を指摘し改善を迫ることが期待される。
 
 ところで昨年、千葉県野田市で公契約条例が制定された。市の契約先の労働条件の最低限を求めるこうした取組みは美濃部都政時代に近い「地方自主権」と言えよう。市長のトップダウンによるようであるから、現実的に定着するまでには多くの難題が待ち構えているであろうが、他の自治体でも議員と労組との連携協力で実現し、国制度まで持ち上げることが期待される。
 

■ 地方分権の歴史と労働運動

 明治維新後の開発独裁、戦後の経済復興、高度成長期の独占資本の国際競争力の強化にとって有効だった官僚主導の中央支配が、今日では制度疲労をきたし経済財政の停滞を招いているとして、地方分権を進める声が大きくなって来ている。
 
 明治政府は国民国家として富国強兵殖産興業を進めるために中央集権を急速に進め、江戸時代の封建的な地方主権を徹底的に破壊した。脱亜入欧しアジアの盟主になるための挙国一致の軍国主義国家に、地方機関は必要であったが地方分権は無用であった。廃藩置県後の県令(知事)は官選(中央政府の任命)であった。この時代、生まれてきた労働運動や社会運動は徹底的に弾圧された。
 
 戦後、アメリカGHQによる民主化は軍部や財閥の解体や治安維持法等反動法規の廃止、民主憲法の制定、労働運動の公認と同時に、税法、地方自治法や地方財政法を含めて地方分権をも進めた。日本が主権を回復した後も、労働運動の高揚があり、多少の揺り戻しや修正を加えながら地方自治はそれなりに定着していった。
 
 高度成長期に入って公害や高齢化に伴う福祉・医療が大問題になった。「緑と青空の東京構想」を掲げた美濃部都知事が誕生すると、老人医療の無料化や公害撲滅のための企業活動の規制などを国に先駆けて実施し、やがて国の制度にもなった。大阪、京都、神奈川、埼玉など大都市圏(北海道は時期がずれている)の知事や町田、横浜、釧路、名古屋などの市長をはじめ140になんなんとする革新首長が叢生し、国の制度を打ち破る諸制度を実現した。そして国の制度に大きな変更を求めるインパクトを持ち、「シビル・ミニマム」「ナショナル・ミニマム」という言葉が躍った。当時の法体系の枠内という限界はあるものの、ある種の「地方主権」とも呼ぶべき地方自治が存在したと言えよう。
 
 保守政権と中央官僚はこうした状況に危機感を抱き、「福祉バラマキ」「強すぎる規制は企業活動を阻害」と大宣伝し、革新自治体の中央政治への波及を阻止すると同時に、地方自治とりわけ革新自治体の破壊を図った。美濃部知事の三期目にはオイルショックと田中首相の「列島改造」による狂乱インフレ後の不況下で財政難に陥った。国に減収補填債発行の許可を求めたが福田首相はこれを拒否し「革新自治体は財政無能」を強調した。国自身が巨額の国債を発行して財源不足を補ったことには頬被りした厚顔無恥なものだったが、「バラマキ論」に乗せられた国民はこれを看破できず、社会党や総評労働運動にこれを跳ね返す力量はなかった。
 
 美濃部知事の「惨憺たる幕引き」に続き、革新自治体は「政府とのパイプを持つ」官僚出身などの保守首長に次々とその座を明け渡していった。前後して、社会党は長期低落に陥り、官公労への攻撃は次第に強まっていった。そして3K(健保、米、国鉄)赤字が喧伝され、高齢者医療無料制度が老人保健制度に改悪(一部を本人負担)された。
 
 そればかりではない。大幅賃上げの実現に対する財界の危機感もあり、政府自民党と一体で革新自治体や社会党を支えた労働運動の破壊に本腰を入れた。スト権ストと赤字経営への国民の批判を誘導し、国鉄の分割民営化が着々と進められた。中曽根内閣と土光臨調は利潤率の低下を始めた日本の国家独占資本主義を守るため、新自由主義的な手法も採り入れつつ、体系的に社会党・総評ブロックの解体と「地方行革」で革新自治体の根絶を進めた。残念ながら一億総中流意識の中で公労協や交運の闘争は社会的影響力を失い、JCを主流とする大企業労組はその流れに抗する闘いを支援する体質ではなかった。東京や企業城下町はそれなりに豊かな財政で、他の自治体以上に市民サービスを行えたこともあったし、「持ち家政策」など企業内福祉もそれなりに向上していたからである。
 
 中央官僚は地方分権が脚光を浴びるたびに中央の裁量をいかに残すかに腐心し、公共事業や補助金などを通じて、手を変え品を変えてその形骸化を重ねてきた。地方分権一括法は、地方分権を進めるため、地方公共団体の事務に関する法律のうち改正が必要な四七五本の法律の改正部分を一本の法律として2000年に改正したものである。国と自治体の事務を整理しなおし、機関委任事務の廃止を受けて必置規制をなくし、国と都道府県の間、都道府県と市町村の間で係争が起きた場合にそれを処理する機関を創設することとした。現在までその機関は設立されていない。
 
 地方財政の三位一体改革(04年)はその延長であるが、国から地方への財源は趣旨に反して減らされ(09年で7兆円)、不況や経済空洞化による自主財源の不足もあって、多くの自治体の財政は破綻寸前となり、福祉切り捨て・民営化と人件費削減・非正規労働の導入を余儀なくされた。こうして、直轄負担金廃止や国と自治体の対等な協議の場を求める自治体の叛乱はやむにやまれぬものとなったのである。
 
 こうした羊頭狗肉の地方分権を進めた自公政権は、同時に独占資本への配慮としての「労働を含む規制緩和」など「サプライサイド」とくに独占資本本位の政策を推し進めた。非正規労働者の悲惨で非人間的な労働実態や貧困と格差を生んだだけでなく、中小零細企業や農林水産業の衰退を招き、地方経済を疲弊させ、多くの自治体の財政を破綻寸前に追い込んだ。そして、ついに国民から退場を宣告され政権交代に到るのである。
 

■ 行革国民会議の提案とその後の推移

「行革国民会議」(83年に土光氏を中心に設立され行革合理化を推進してきた組織)の「地方分権研究会」が20年前に「地方主権の提唱」を発表した。ここでは「地方分権の問題とは、単に国の権限の一部を地方に移すといった権限争いの問題ではない。地方自治、住民自治を基本にすえて、今後の日本の政治・行政のシステムをいかに民主的かつ公平公正なものにしていくかという問題である。その基本となるのは、明治以来の『追いつき追い越せ』をスローガンとしてとってきた挙国一致の体制を、個人や地方ごとに多様な選択が可能な体制に改めていくことである。こうした発想で明治維新の廃藩置県にも匹敵する国内の大改革を実行しようとするものである」「中央集権、画一的政治・行政の弊害を除去し、政治改革の一環として政治を国民に近づけ、地方主権によって地元の問題は地元で解決するという大原則を打ちたて、中央政府と地方とが対等の立場になるようにすべきだ」との理念が述べられている。以下、権限の委譲、広域行政、市町村連合、都道府県連合、道州制、地方庁、連邦制、条件整備などに触れている。
 
 地方自治体の条例制定権の強化、直接請求権の対象の拡大、行政組織の独自性などを挙げて抜本改正を求めている。新たに「地方主権基本法」を制定し、

  1. 市町村に第一義的な主権を与え、
  2. 都道府県はこうした市町村の持つ主権に基礎を置いて主権を持つこととし、
  3. 政令指定都市は廃止し、
  4. 連邦制に移行する段では県を州と呼びかえ、
  5. 国籍を問わず納税する住民を「地方主権」の主人公にする、

などとも提案している。
さらに、地方交付税を廃止して、共同税(市町村民税や都道府県民税、事業税などを所得税や法人税に一元化し共同税とする)を、

  1. 不足払い的発想に立って各自治体の不足分を補填する方法か、
  2. 固定配分する方法か

で、地方と国の代表を交えて構成する行政委員会で協議することとし、地方と国の税収配分は4:6から地方重視に変えていくことも提起している。「州」が行政権、立法権に加えて司法権を持つべきかどうかも検討課題にしている。主としてドイツなどヨーロッパ諸国を模したものであるが、意欲的な面がある。
 
 こうした提起や指摘は直接独占資本の利益を代弁するものではないが、この提起を独占資本や保守政権、中央官僚が彼らに都合の良いものに換骨奪胎して各種の行財政改革を進めた結果、羊頭狗肉の地方分権一括法が生まれ、三位一体改革が行われた。そして、権限や財源の委譲以上に、財源確保や民営化による歳出削減をはじめ自治体の自己責任を強く求めるものになってしまった。道州制や地方庁の構想はまだ具体化されていないが、中央が地方を管理しやすい行政枠組みの再構築にならないよう、批判的に検討すべきであろう。

■ 福祉社会と地方分権 最大難関は財政

「福祉社会は身近な目線で進めるのが最も効率的で温かいものになる」というのは、今日では大方の識者の一致するところであるが、現実は、

  1. 国家独占資本の発展とともに一方で東京一極集中・過密と他方で限界集落など過疎が深刻になり、
  2. 少子高齢化が一層深刻化し、
  3. 国から自治体に事業責任は委譲されたが、財源委譲は減額され地方財政は破綻寸前、

などで福祉社会は危機に陥っている。その根本に、自殺や生活保護、詐欺商法の増大に見られるように、根本的には雇用・賃金や中小零細業者の経営の悪化、福祉の切捨てがあることは言うまでもない。
 
「ケインズ主義の欠陥は中央政府の財政政策・有効需要に重点が置かれ、地方自治が軽視されていることだ」との指摘がある。逆に、中央官僚には「地方は無能ですべてを任せられない」といった見方がある。実際、夕張市のように財政破綻する自治体もあるが、同時に夕張市が自治の精神にのっとって再建を進めていることも忘れてはならない。大都市自治体と過疎自治体では企業活動と雇用に大きな較差があり、それが自主財源に大きな較差をもたらす。財政力指数(基準財政収入額を基準財政需要額で割った数字)は東京都と島根県などでは6:1、同じ東京都内でも港区と足立区・墨田区では6:1という具合に大きな較差がある。その地域の経済力によって担税力が大きく異なるので、形式的な財政自主権の確立だけでは対応できないのである。そういう状況の下で無理をしたり官僚の猿知恵的財政術に乗った自治体は結局失敗したのである。
 
財政では次の4点が鍵となる。

  1. 国税と地方税の比率を6:4から当面5:5に変え、さらに税目や配分の地方シフトを順次重ねること。
  2. 東京都と過疎自治体との財政力格差を埋める財政の均てん化(平均化)を中央官僚のさじ加減なしで行うルールの改善・確立。
  3. 直轄負担金(国と自治体の間、都道府県と市町村との間)をすべて廃止。
  4. 公益法人などに対する天下りと交付金・補助金などの廃止。

(3)、(4)の2項目は政治の決断により比較的速やかにやめることができる。
 
 しかし、(2)の均てん化については自治体間の財源の水平調整といっても、現状では簡単ではない。たとえば、東京は「財源が豊富でも都民に加え首都圏から通ってくる人々の求める行政サービスを満たすには不足だ。国際競争力にも影響が出てくる。東京から財源を持っていくのは反対だ」と言い、地方は「首都東京は長期間にわたって全国民の納めた税金を使って都市基盤を整備してきたことを無視して、過疎の自治体に対する配慮をしない。自分たちだけよければいいのか」と批判し、結局、地方交付税や補助金は中央官僚の裁量に任せざるをえない状況を許している。中央官僚の「財政均てん化」の役割を通した役得をやめさせるためにも、(1)に関連して、公平で明快な共同税を含む税の創設とその分配方式を「発案」しなければならない。それが最大の難関であるが、共同税とその分配などヨーロッパ諸国の現状から学びつつ克服しなければならない。
 
 さらに言えば、環境・自然エネルギー、農業、観光などで地方経済を発展させ、地方財源を拡大することを考慮しなければなるまい。中国などの市場の拡大や賃金上昇などで日本の競争力が回復するにつれて、早めに地方製造業の再興を図ることも意識的に追求すべきだろう。いろいろな観点から大都市と農村の格差縮小を目的意識的に追求しなければならない。それがない限り「地方主権」はおろか「真の地方自治」は確立されないだろう。
 

■ 諸外国の地方自治

 諸外国はどうなっているのであろうか。一般的に欧米諸国は歴史的に「地方主権」とも呼ぶべき分権が定着しているが、いくつかの先進国の地方分権を概観してみる。
 
 スウェーデンは立憲君主国であるが、1930年代から社会民主主義政権がリードし、時々野党に政権を奪われても社会民主主義的な福祉社会を大きく解体されることがないほど定着している。その根本に「補完の法則」に基づく地方自治がある。290の基礎的自治体=コミューン(市)が高齢者・障がい者、保育、初等中等教育、生活保護、文化、住宅、域内インフラ整備など身近な仕事を、コミューン税(個人所得税の一部=市民税)が6割を占める財源で処理する。国からの交付金や補助金があっても国からの独立性は高い。
 
 都道府県にあたるのが18のランスティング、2つのレジオン(広域連合)で、健康と医療を県税(個人所得税の一部=県民税)が3分の2を占める財源で賄う。国からの交付金や補助金は2割だがひも付きではない。そして、国が外交、通商のほかに年金、疾病、障害、出産・育児、失業など経済的保障を、救貧対策というより人権保障の観点から行う。全額国庫負担の児童手当を除き、ほとんどが社会保険方式(企業負担が労働者負担よりずっと大きい)で、1位が年金、2位が保健・医療、3位が高齢者・障がい者向けである。このように、市を県が、県を国が補完していくのが「補完の法則」であり、国の交付金・補助金は国の関与というより自治体間の財政調整のシステムで行われている。国の財源は消費税(税率25%)が中心で、個人所得税、法人税(税率28%)より大きい。
 
 ドイツは面積、人口とも日本に近い連邦共和国であるが、都市国家(州)が発達した後、1871年に連邦共和国を作ったので、地方分権の歴史は長い。現在でも東京一極集中のようなベルリン集中はない。16州(ベルリンとハンブルグなど3市は都市州)、12、355(実に多い)市町村からなっている。日本で道州制が議論されるとき、しばしば連邦制のドイツが引き合いに出される。しかし、各州は地方自治体でも連邦の行政執行機関でもなく、独自の憲法を有し主権を持つ「国」である。皮相な真似事は有害無益である。
 
 06年に連邦と州の役割分担を改める戦後最大の憲法(基本法)改正が施行され、09年に財政関係の憲法改正が行われた。憲法で「連邦と州(ラント)の税の配分を連邦議会と州の参加で決める」と財政自主権を保障している。州の固有税は財産税、相続税、自動車税、ビール税などであるが財政の1割に過ぎず、9割は共同税(所得税、法人税、売上税で、徴税は州が行い、連邦、州、市町村で分配する)からの収入による。
 
 イギリスはイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドからなる連合王国であるが、「地方自治の母国」と呼ばれるほど地方自治は歴史的に定着している。イギリスの地方自治の特徴は

  1. 地方政府が、中央の事務配分という発想ではなく数多くの権能を持つこと、
  2. 地方政府は国の交付金や補助金を受けるが、自主的な課税権を持っていること、
  3. 公選議員による地方議会が立法機能と行政機能を併せ持つこと、

などである。
 
 80年代にサッチャー首相が、新自由主義的政策の貫徹のために、戦後福祉国家の基礎となっていた地方自治を徹底的に破壊した。大ロンドン都議会まで廃止したことは世界を驚愕させ、自治体業務の民営化、民間委託を強力に推進、同時に福祉も切り捨て、やがて国民の反撃にあって退陣を余儀なくされた。日本の小泉・竹中「構造改革」と自民党の野党転落に通ずるものがある。労働党政権の下で再び地方分権が見直されてきている。
 
 アメリカ合衆国ではイギリスの植民地から独立する過程や西部開発の時代を通じて地方自治は根付いており、各州(ステイツ)が独自の立法機関を設置し、独自の憲法・州法を有している。連邦法は全州にわたって効力を有するものとして上位に位置するものであるが、各州の自治が歴史的に尊重されていたこともあり、日本における自治体の条例に比べると各州法の地位はかなり高く、各州は独立国に比するような強大な自治権を認められている。合衆国憲法により、連邦法を制定することができる分野は

  1. 国家としての対外的な規律に関するものや、
  2. 州をまたぐ通商に関連する事項等

に限定されており、会社法や刑法などの一般的法律も州法で規定されている。
 
 ステイツ(州)の下にカウンティー(県)が、カウンティーの下にタウン(町)があり、それぞれ地方政府があるが、歴史的に住民参加の定着が見られる。日本ではとんでもない形で運営された「タウン・ミーティング」は、アメリカで現在も行われている町民総会のことである。このように地方自治が発達している国で福祉社会が遅れているのは、銃社会と同根で建国過程と最強国を誇ったアメリカの特殊性による。
 
 このように、全体として先進諸国の地方自治は日本より進んでおり、地方主権といっても良い状況にも見え、アメリカを除くと福祉社会は進んでいる。日本では本質的にはまだこれからで、独占資本に民主的規制を加えないと形ばかりの地方分権すら実現しにくい状況であり、福祉社会は進まない。地方分権がリコールや住民投票を含めて住民参加を得て前進・深化するにつれて福祉社会が創造できるが、そのためには労働運動とそれに支えられた社会民主主義の党の強化ならびに男女平等参画による民主主義の実現が不可欠である。参院選、自治体選に勝利することが歴史的に求められている。

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