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●2009年8月号
■総選挙闘争勝利に立ち上がろう
   ――新自由主義路線からの転換を――   小島恒久
     

■ 経済危機の足どり

 100年に1度といわれる経済危機の中で総選挙を迎えようとしている。100年に1度というのは、正確には1929年の世界恐慌以来ということであろう。1929年秋、それまで「永遠の繁栄」を謳歌していたニューヨークのウォール街で株式の大暴落がおこった。いわゆる暗黒の木曜日である。これを発端としてまずアメリカが恐慌のるつぼにたたきこまれ、やがてその波はヨーロッパ、さらに日本などにひろがって、未曾有の規模と深さをもつ世界恐慌へと発展した。
 
 むろん、恐慌そのものはこれが初めてではなく、それまでもくり返しおこった。本来、利潤めあての無政府主義的生産である資本主義社会では、需要と供給はなかなか一致せず、恐慌の可能性がつねに存在している。そして資本は、利潤めあてに生産を行なうので、その利潤をできるだけふやそうとして生産力を発展させ、生産規模を拡大する。だが、その他方で資本は、利潤の源泉である剰余価値を増大するために、労働者からの搾取を強めるので、消費は伸びず、そこに生産と消費のギャップが生じる。この資本の利潤めあての生産拡大と、資本関係それ自体によって制限された消費とのギャップが拡大して、その矛盾が爆発するのが恐慌である。このように、資本主義的再生産過程の諸矛盾が爆発して、企業の倒産や銀行の破綻などが続出する崩落、ガラあるいはパニックとして恐慌は起こるのである。
 
 こうして資本主義社会では、くりかえし恐慌がおこったが、その中でもとくに巨大な規模と深さをもって出現したのが、1929年の世界恐慌であり、今度の恐慌であった。このように1929年の世界恐慌や今度のばあいが大規模化したのは、その前の「繁栄期」がバブル的に過熱し、生産と消費のギャップが拡大して、資本主義的再生産過程の諸矛盾がかつてなく大きなものになっていたからである。 この矛盾を大きくした要因としては種々のものが考えられるが、今回のばあいの重要な要因として指摘したいのは、新自由主義的政策とそのもたらした矛盾である。1970年代、世界経済はドルショック、オイルショックと相次ぐショックをうけて、スタグフレーション(不況とインフレの同時進行)におちいった。そうした中で、従来のケインズ主義的な有効需要政策を批判しながら登場したのが、新自由主義であり、1980年代、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根らを担い手としてその政策が推進された。
 
 さらに今世紀になってこの新自由主義的政策はアメリカのブッシュ大統領の下で強力に推進された。この新自由主義的政策は元来、サプライサイド(供給側重視)の経済学を土台とするもので、市場原理を強調し、資本の自由競争による生産力の増強に力を入れた。その他方、「小さな政府」を旗印として福祉など民生関係の歳出を削減し、民営化をおしすすめた。この新自由主義的政策のもとで、生産と消費のギャップが大きく拡大し、過剰生産、過剰設備が累積して、今後の経済危機を招く素因となった。
 
 この新自由主義的政策によって生まれた資本主義的再生産過程の矛盾をさらに深め、危機を増幅したのが、信用制度、金融の暴走であった。アメリカはグリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長のもとで長らく低金利政策をとり金融を大きく緩和した。またルービン財務長官がとったドル高政策のもとで、日本や中国をはじめ世界中から多額の資金がアメリカに流入し、金余り現象を呈した。そしてその潤沢な資金をもとに、アメリカの金融機関は消費者に金を貸して消費を伸ばすというやり方をとった。こうした借金にもとづく消費ブームの上に、アメリカは好景気を持続してきた。
 
 その代表的なものがサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)であった。この右肩上がりの住宅価値の上昇を前提としたローンの上に、アメリカは住宅ブームを謳歌してきた。だが、住宅価格が下落し、2007年初め頃から住宅バブルがはじけるとともに、ローンを返せない人が続出し、多額の不良債権が発生した。こうして「サブプライムローン」の破綻が起こった。しかも、この「サブプライムローン」問題をさらに深刻にしたのは、このローンの債権が証券化して広く売られていたことであった。おまけに、その証券を売るばあいに、投資銀行(証券会社)は、リスクを分散するために、その他の債権、社債などとミックスしてパッケージにした形で販売した。そしてそのパッケージ商品を売りやすいように、いわゆる格付け会社に高い格付けをしてもらい、さらに保険会社にその安全を保証してもらった。
 
 こうした手のこんだ金融工学を駆使して「金融バブル」を謳歌した。ところが、この「金融バブル」も2008年9月には崩壊した。その崩壊を端的に示したのが、投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻であった。このリーマン・ショックに続いて大手投資銀行が次々に倒産や身売りに追いこまれた。さらに世界最大の保険会社AIGまでが窮地に追いこまれた。こうしてアメリカでまず金融危機が起こった。そして経済がグローバル化している今日の状況下では、この危機はただちにヨーロッパその他の世界に伝播した。
 
 加えてこの金融危機にともなう信用収縮は、実体経済にも深刻な打撃をあたえることになった。前にものべたようにアメリカは借金依存の消費景気であったから、銀行が貸し出しを渋ると消費が落ち込み、たとえば自動車の売れゆきが落ちて、GMをはじめとする自動車産業が窮地におちいった。そしてこのアメリカの消費や実体経済の落ち込みは、そこへの輸出に依存していた日本や中国の輸出を大きく減らし、世界に不況をひろげた。こうしてアメリカのみならず世界同時不況が進展することになった。
 
 このように1929年の世界恐慌時よりもグローバル化がはるかに進んでいる今日では、危機の伝播もかつてより早く経済危機がただちに世界を駆けめぐった。こうした深刻な危機の状況は世界恐慌といってよい内実をもつものであった。
 
 だが、今度の危機の場合は、1929年の世界恐慌とちがって、突如として、崩落、ガラが起こり、企業の破産や銀行の取りつけが続出して社会がパニック状態におちいるといった現象が比較的見られなかった。これは先の世界恐慌などの経験をへて、そうした混乱を防止する措置があらかじめ講じられており、また危機に対する対応もきわめて迅速におこなわれたからである。たとえば、取りつけ騒ぎによる銀行の倒産を防止するために、預金の支払いを保証するしくみがすでにつくられていた。また金融危機に対処するために中央銀行による金利の引き下げ、金融緩和策がただちにとられた。しかも一国だけでなく各国の中央銀行が協調してそうした対策をとった。また財政面からも巨額の公的資金を投じて危機の緩和がはかられた。これも一国だけでなく、各国、それも従来のG7だけでなく、新興諸国をふくめたG20で協調して財政出動による危機の緩和がはかられた。そしてその点では、1929年の世界恐慌当時の金本体性から、管理通貨制度に通貨制度が変わっていたということが、そうした財政、金融面からの危機緩和策をとりやすくした。
 
 ともあれ、こうした種々の対策をとることによって、恐慌が劇的に爆発し、パニック状態におちいるのを緩和し、崩落をゆるやかな曲線にすることになった。だが、これは危機の大本を除去するものではないから、危機がそれだけ長びくことになる。また巨額の財政出動の結果、財政赤字が累積し、それをいかに処理するかという難問をかかえつづけることになる。
 

■ 国民を犠牲にした新自由主義

 以上、1980年代以降のアメリカをはじめとする新自由主義の潮流が、表向きの繁栄のかげで、資本主義のもつ矛盾を深め、今日の経済危機をもたらす要因を形成してきたことをのべた。同様のことは日本についてもまた指摘できることなので、次に日本における新自由主義の流れと、それがもたらした矛盾についてのべておこうと思う。
 
 日本でも1980年代、アメリカのレーガノミックス、イギリスのサッチャー主義に呼応する形で、中曽根康弘を中心として新自由主義的政策が「行政改革」という名で推進された。その中曽根がすすめた「行財政改革」では、「小さな政府」を旗印として、福祉をはじめ国民生活に関係の深い分野で経費の削減がおこなわれた。また市場の競争原理を強調して、規制緩和がおしすすめられるとともに、民間企業の活力を活用して、経済の活性化をはかるというので民営化が推進された。その時期その焦点となったのは公共企業体であり、電電公社、専売公社、国鉄などがつぎつぎに民営化された。そしてこの民営化は、後に中曽根自身が告白したように、国労をはじめとする階級的労働運動の抑圧、体制内化をはかる、というねらいをもつものでもあった。
 
 80年代後半にはさらに金融超緩和、低金利政策がとられていわゆる金余り現象が生まれた。そしてそのだぶつく金が土地や株などの投機的買占めにまわって、バブル景気が出現した。だが、この過熱するバブル景気は、90年になるとはじけ、株価や地価が暴落して、多額の不良債権が発生した。こうしてその後「失われた十年」といわれる長い不況に苦しむことになったのである。
 
 次いで2001年4月小泉内閣が登場して、新自由主義的政策が新たな勢いで推進されることになった。小泉はアメリカのブッシュ大統領ときわめて緊密なつながりをもち、日米同盟を従来より深化させるとともに、新自由主義でも同様な路線をとった。そして大衆の心理にうまくつけこむ劇場政治的手法を駆使しながら、「聖域なき構造改革」をスローガンとして、その政策をおしすすめた。この改革をリードしたのは財界であり、竹中平蔵経済財政相がその仕切役をつとめた。この財界主導の新自由主義的改革では、市場原理が強調され、市場の自由競争を妨げている規制を解けというので「規制緩和」が強行された。なかでもそれを強く要求したのは独占資本であり、その要求にこたえて、企業とくに独占資本を縛っている縄が解かれ、市場での競争があおられた。そしてその冷酷な弱肉強食の競争のなかで、独占資本を中心に生産力が増強され、その支配が着々と強化された。その他方で中小企業や農林水産業は取り残され、企業間でも、地域でも格差が拡大することになった。
 
 こうした企業や金融などの規制緩和にもまして、働く者に大きな影響を及ぼしたのは労働面の規制緩和であった。この労働面の規制緩和の背後にも財界の要求があり、日経連はすでに1995年「新時代の日本的経営」という報告書を出し、終身雇用と年功序列賃金の見直しを求めるとともに、雇用形態を多様化する方針を打ち出していた。そしてこの労働面の規制緩和によって、労働基準法などを改悪して、労働者の保護や権利を取りのぞき、資本の利潤追求に好都合な労働力をつくりだすことがはかられた。また、労働者派遣法が改正されて、1999年には派遣労働が原則として自由化され、2004年には従来禁止されていた製造業にまで派遣が認められるようになった。この結果派遣がぐんとひろがり、人権無視の日雇派遣や違法な偽装請負などまで横行するようになった。
 
 この雇用の多様化政策は、正社員をできるだけ減らし、パートタイマー、アルバイト、派遣労働者、契約社員、嘱託などの非正規雇用を増やすものであった。その結果、雇用者中に占める非正規労働者の割合が、1995年の20%から、2007年には35%に増えた。しかもヨーロッパ諸国と違って日本では、これらの労働者に対する均等待遇制度が不備なので、非正規労働者の賃金はきわめて低く、雇用関係も不安定であり、生活保護の給付水準をも下回る「働く貧困層」が増大した。こうして労働条件の悪化がすすみ、労働分配率も2001年の3.6%から07年には57.6%と6ポイント低下した(全産業「法人企業統計調査」)。こうした低賃金労働者の利用、搾取によって企業はコストを削減し、利益を増大させた。そしてその利益をもとに設備投資を拡大していったのである。
 
 こうした労働諸条件だけでなく、小泉の新自由主義的改革では、「小さな政府」を旗印とし、自助努力をうたいながら社会保障の改悪もすすめられた。日本の社会保障費の、国内総生産に占める割合は、国際的に見てまだまだ低いのに、財政難をふりかざして、そのさらなる抑制をはかり、02年度以降年2200億円社会保障費を抑制し、総額8兆円の歳出が削減された。そして社会保障制度の抜本的な改革案は示さないまま、医療、年金などの制度改正をおこない、そのつど自己負担を引き上げ、給付を減らすという場当たり的な改悪を重ねた。とくに高齢者や母子家庭や障害者や低所得者など、社会的弱者へのしわ寄せはひどかった。こうして小泉の新自由主義的改革のもとで、国民の健康と老後を守る安全のネットワークは壊されつづけ、国民生活の将来はいよいよ不安になった。小泉は「自民党をぶっ壊す」といって改革を始めたが、改革によって壊されたのは、労働者をはじめとする国民生活の方であったのだ。
 
 以上にみたように小泉政権の新自由主義的改革は、財界主導のものであり、その弱肉強食の競争の中で格差を拡大し、労働者をはじめ中小企業、農民その他広範な犠牲を強いながら、独占支配体制の再編、強化をはかるものであった。だが、こうした欠陥の方は言わず、小泉政権はその改革の成果だけを強調し、それによって日本の景気は回復し、これまでで最も「息の長い」好景気を実現したと自画自賛した。なるほど好景気の持続期間だけ見ると、これまで最も長いといわれた「いざなぎ景気」(57カ月)をこえて、今度の2002年からの景気は69カ月に及んだ。だが、その中身を見ると、図表1を見ればわかるように自慢できるようなものではなかった。


  (図表1・クリックで拡大します)

実質経済成長率を見ると、前のいざなぎ景気は11.5%なのに、今度の好景気は2.1%にすぎない。ことに、雇用者報酬の伸び率は、いざなぎ景気が17.5%であるのに、今度は-0.1%と悪化している。これでは雇用者に好景気の実感がなかったのは当然である。輸出大企業などは空前の利益をあげ、株主の配当は約3倍、役員の報酬は2倍に増えたのに、雇用者の報酬はマイナスである。加えて社会保障も改悪されたのだから、内需は伸びない。だから今度の好景気は輸出に依存した。図表に見るように、前の「いざなぎ景気」の時に、輸出の貢献度は1割弱で、個人消費の押し上げ分が5割を超えていた。ところが今度の場合は、6割超が輸出である。このように小泉改革の結果、内需は伸びず、もっぱら輸出に依存したという所に今度の好景気の脆弱さがあった。そしてそれが今回の世界不況の打撃を日本に大きくすることになるのである。
 

■ 当面する課題

 前にのべた2008年秋のアメリカの金融危機とそれにつづく世界同時不況は、日本経済に大きな打撃をあたえた。アメリカの金融危機にともなう金融面の打撃は、日本は欧米に比べて比較的浅いと言われたが、実体経済のうけた影響は欧米にもまして大きなものがあった。内閣府が今年5月に発表した速報によると、日本の実質国内総生産(GDP)は年率換算で15.2%減という戦後最悪の落ち込みになった。ことに自動車、電機などの主要産業の生産が軒並み大きく落ち込んだ。
 
 こうした記録的なマイナス成長の第一の要因は、輸出の激減であった。アメリカの景気悪化によって、米国向けの輸出が大きく落ち込んだし、ヨーロッパ向けの輸出も減った。また日本から部品、原材料を輸入してアメリカに製品を輸出していた中国をはじめとするアジア諸国向けの輸出も減った。こうして財務省が4月に発表した速報によると、日本の2008年度の貿易収支は28年ぶりに赤字となった。こうしたアメリカをはじめとする諸国への輸出の落ち込みは、輸出に依存して経済成長を続けていた日本経済に大きな打撃をあたえ、それにつれて設備投資も落ち込んだ。
 
 新自由主義的構造改革で、大企業を中心に生産力は拡大したが、その他方、労働条件を劣化させ、社会保障を削減し、内需を抑制して、もっぱら輸出に依存してきた日本経済の脆弱さがこうした結果を生んだのだ。
 
 この不況の深化にたいして、日銀はただちに金利を0.1%に引き下げるとともに、CP(コマーシャルペーパー)まで買い入れて大量の資金を供給し、危機の緩和を図った。また政府も財政面での危機打開策として、2008年10月に第一次補正予算、12月に第二次の補正予算、さらに2009年3月に09年度予算と、事業規模で75兆円にのぼる、いわゆる「三段ロケット」の対策を打ちだした。
 
 こうした政府・日銀の対策を背景として、企業がより直接的な対策としてただちに強めたのは、リストラ、人減らしであった。「派遣切り」など非正規労働者の解雇や雇い止めをはじめとして、正社員の解雇も増大し、失業者やホームレスが急増した。厚生労働省が6月30日に発表した2009年5月の完全失業率は5.2%、完全失業者数は347万人で、前年同月より77万人増えた。この増え幅は過去最大である。有効求人倍率も0.44倍であり、過去最低である。賃金の減額、ボーナスのカットも強められている。大企業は好況時には140兆円もの内部留保をためこんでいながら、不況になると、その一部でも割いて雇用を守ろうという努力などおよそせず、容赦なく労働者のクビを切り、労働者に犠牲をしわ寄せしながら危機からの脱出をはかっているというのが実情である。
 
 ともあれ、こうした出口の見えない危機の深まりの中で、今後の総選挙はたたかわれようとしている。日本が従来追随してきたアメリカは、こうした危機の深まりの中で、共和党のブッシュ政権から民主党のオバマ政権へという大きな転換をおこなった。そしてオバマ新大統領は、地球温暖化対策を景気浮揚に結びつけて「グリーン・ニューディール」政策を打ち出した。このニューディール(新規まき直し)とはもともと、1930年代の世界恐慌の時、当時のルーズベルト大統領がとった政策であるが、オバマはそれを環境問題と結びつけて、エネルギー、医療、教育の三分野へ積極的な投資をおこない、長期的な繁栄の基礎を築き、350万人の雇用を創出するとしたのだ。
 
 このように政権を変え、思いきった政策転換をなしつつあるアメリカにたいして、日本の場合は、新自由主義的構造改革をおこなった小泉が退陣した後も、依然として自公連立政権が居すわり、国民の審判をうけることもなく、安倍、福田、麻生と世襲の総理が三代つづいている。そして先の参院選で手痛い敗北を喫した後も、破綻した新自由主義路線を基本的には変えようともせず、国民の不満がとくに強い個所だけを部分的に弥縫しながら、場当たり的なバラまき政策をとりつづけている。
 
 現に政府は、3月に2009年度予算を成立させて1カ月もたたないのに、15.4兆円という過去最大の大型補正予算を提出し、5月29日に成立させた。だが、これは総選挙目あてのバラまき予算という性格が濃く、依然として財界の要請にこたえた、企業とくに大企業優遇、大金持ち優遇策が目白押しである。環境対策を口実とするエコカー支援やエコポイント制度も、輸出が激減した自動車や電機業界支援というねらいのものである。今最も肝要な雇用創出や離職者支援策などは、きわめて場当たり的で、時限を限った弥縫的なものばかりで、雇用悪化のスピードに対応できるものには到底なっていない。小泉改革でずたずたになった社会保障制度を再構築し、国民生活を安定させるとともに、持続的な内需の拡大をはかるといった視点などおよそない。
 
 こうした補正予算を見てもわかるように、国民生活を破壊し、今日の経済危機を招いた新自由主義路線からの転換を、現在の自公民政権に求めることは到底不可能である。ここはアメリカもやったように政権交代をはかるほかない。その意味では、今度の総選挙の最大の焦点はこの政権交代にある。この政権交代によって、従来の新自由主義路線を転換して、格差を是正し、社会保障を再建し、国民生活中心の内需主導の経済に転換しなければならない。
 
 この総選挙の勝利のためには野党間の共闘が重要である。だが、そのばあいでも、社会民主党は自らの主張を明確に打ち出す必要がある。民主党の主張には、小泉流の新自由主義路線と同根のものがかなりある。また「公務員の削減」を言い、労働者派遣法の改正など労働者保護の問題でも腰がひけている。防衛問題や護憲・平和の問題でも意見を異にしている。
 
 その意味では、小泉流の新自由主義路線の対極にあるものは、すなわちわれわれが当面めざす目標は、社会民主主義的政策の実現である。このことに自信をもって総選挙をたたかい、勤労国民の側に立った真の政治変革をかちとっていく必要がある。
 

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