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●2009年4月号
■世界恐慌と労働者運動の課題
   佐藤 保
     

■ はじめに

 今度のアメリカ発の金融危機が、どのようにして起こり、それが引きがねとなって、どのように実体経済の危機を激化させ、1930年代の世界大恐慌以来の深刻な世界的経済危機、世界恐慌を発生させたかについては、すでに、本誌、他の多くの出版物でも、くわしく論述されている。それ故ここではふれない。
 
 ところで、資本主義が、初めて、過剰生産恐慌におちいったのは、1825年のイギリスにおいてであった。それ以来、資本主義経済は、ほぼ10年周期で、過剰生産恐慌に見舞われてきた。
 
 そして、いまから80年程前、1930年代に起こった世界恐慌は、第二次世界大戦という大惨事をひき起こして、ようやく終息した。しかし、第二次大戦後は、一時的な景気後退はあっても、30年代恐慌のような深刻な経済危機は起こらず、資本主義は、『業病』と思われていた恐慌を、遂に克服したかのような評論が流行し、支配的となった。
 
 ところが、その後、1974〜75年の深刻な世界不況(いわゆるスタグフレーション)のぼっ発によって、資本主義の業病は、一時的におさえ込まれていただけで、完全に克服されたのではなかったことが、白日のもとに、さらけ出された。
 
 そして、今回の、アメリカ発の金融危機に始まった本格的な世界恐慌のぼっ発によって、恐慌克服論の誤りが、はっきりと実証された。
 

■ 過剰生産恐慌は資本主義の業病

 経済危機は、資本主義以前、むろん、資本主義以後の社会、社会主義社会にも起こりうる。
 
 しかし、過剰のなかの貧困といわれるように、過剰生産、過剰資本が原因となってひき起こされる経済危機、過剰生産恐慌は、資本主義特有のものである。過剰な生産恐慌は、いわば、資本主義経済の『業病』である。
 
 このことについては、本誌1月号で小林晃氏が「国際金融危機と世界同時不況」という論文で、述べられている。しかし、重複もいとわず、マルクスとエンゲルスの著作によりながら、資本主義では、なぜ、恐慌、過剰生産恐慌が、循環的に、くり返し発生するのかを、述べておきたい。
 

■ 生産の社会的性質と取得の私的・資本主義的形態との矛盾

 資本主義は、手工業者、小農民などの小商品生産(単純な商品生産)から、生産規模の拡大、分業、機械体系の導入(機械性大工業)などによって発展したものだが、資本主義的生産を、私的な個々人の小商品生産から区別し特徴づけるものは、社会的生産、生産の社会化である。
 
 生産の社会化は、ごく単純化していえば、次の3点によって生じたといってよかろう。

  1. 生産者個人の生産手段から、集団的に使用される社会的生産手段への生産手段の転化。
  2. ばらばらの個人的生産から、社会的・集団的生産への転化。
  3. 生産者1人ひとりの個人的生産物から、生産者集団の社会的生産物への転化。
 資本主義では、以上見てきたように、生産が社会化し、資本主義以前の小商品生産時代の私的生産が社会的生産にとって代わられる。
 
 しかし、私的生産が社会的生産になっても、小商品生産の自己労働にもとづく生産物の取得形態である私的取得が、自動的に変わることはありえない。私的生産を前提とする生産物の取得形態である私的取得は、資本主義となり生産が社会化して、その前提が無くなってもそのままである。
 
 こうして、資本主義では生産の社会的性質は、私的取得というその取得形態と矛盾するようになるのである。
 
 しかし、この私的取得は、小商品生産におけるような自己労働の生産物の取得ではない。資本主義では小商品生産者は労働者と資本家に両極分解し、生産手段の独占的所有者となった資本家は、生産手段から切り離された労働者から労働力を買い入れ、生産を行わせ、その生産物を取得する。小商品生産者は自己労働の生産物を取得するが、資本家は他人の労働の生産物を取得する。だから、小商品生産の私的取得と区別される私的資本主義的取得である。
 
 以上、ごく簡単に見てきた、生産の社会的性質と取得の私的資本主義的形態との矛盾、これが、資本主義の基本的矛盾であり、この基本的矛盾の周期的な爆発が、資本主義経済に特有の過剰生産恐慌である。
 
 マルクスは、資本主義の基本的矛盾を、より具体的に、すべての恐慌の究極の原因は「あたかもただ社会の絶対的な消費能力だけが限界をなすかのように生産力を発展させようとする資本主義的生産の衝動に対比しての大衆の貧窮と消費制限とである」(『資本論』)と、述べている。
 
 これを、簡単にちぢめて言えば、資本主義の過剰生産恐慌の究極の原因は、生産と消費との矛盾になる。
 

■ 生産と消費との矛盾

 資本とは、自己増殖をとげる価値であり、資本主義的生産の目的は、社会的欲望の充足でも、資本家自身の個人的欲望の充足でもなく、価値の増殖である。「剰余価値の生産、すなわち貨殖が資本主義的生産様式の絶対法則である」(『資本論』)。
 
 そして、価値増殖は、資本の主観的欲求だけでなく、競争という社会的機構によって規定されている。個々の資本家は、他の資本家に劣らないだけの剰余価値を労働者から搾取しつづけなければ、自己の地位を維持しえない。
 
 資本の競争は、各資本家を、生産のための生産、蓄積のための蓄積へ、無制限の生産拡大へと駆り立てる。その結果として、生産は、生産された商品の実現の条件を、言いかえると市場の条件を、乗り越えてしまう。
 
 しかしながら、人間の社会生活において、生産と消費は、それぞれ、1つの総生産過程の統一された一過程である。この生産と消費の統一が破壊されれば、総生産過程は混乱し、その存続が危うくなりかねない。
 
 資本主義社会も、むろん例外ではない。
 
 ところが、さきに見たように、価値増殖を自己目的とする資本主義的生産では、資本の競争によって、無制限的な生産拡大が、おし進められる。
 
 他方、消費の方はどうか。
 
 まず1つには、無制限ともいえる生産拡大のために、個々の生産物のうち、再生産にまわされる部分がますます増加し、反対に消費は、それだけ制限されることになる。
 
 いま1つは、より重要な要因だが、資本主義に特有の「窮乏化」作用によって、国民の圧倒的多数を占める労働者階級の消費力が制限され、低くおさえられることがおこる(いわゆる「窮乏化法則」)。少しくわしく述べると、資本主義では、富の生産は、剰余価値の獲得、より大きな剰余価値の獲得を目標として行われる。剰余価値の増加は、労働者が新たにつくりだした価値のなかから、より多くをしぼり取ることによって可能となる。より多くをしぼり取るために、資本家は労働力の対価である賃金を圧迫する。
 
 こうして、労働者の賃金はおさえられ、資本主義社会の消費力の中心であり、その圧倒的部分を占める民衆の消費力が、圧迫され、制限されることになるのである。 生産と消費との矛盾である。
 

■ 生産部門間の均衡破壊

 資本主義には、生産の社会化により、多くの生産部門があるが、各部門の生産は、社会の再生産全体が均衡するように計画的に行われるのではなく、利潤率にみちびかれた資本の無政府的な利潤追求活動として、行われる。
 
 そのため、特別に高い利潤率をあげている生産部門があると、他の生産部門の資本が、争って、この生産部門に参入してくる。その結果、生産部門間の均衡が破壊される。
 
 さきに見た生産と消費との矛盾は、このような生産部門間の均衡の破壊を契機として、過剰生産として発現し、過剰生産恐慌を発生させることになるのである。

 

■ 労働者運動の当面の課題

 資本主義の基本的矛盾の発現である過剰生産恐慌は、資本主義経済の仕組みを根本的に変革することによってしか、克服できない。
 
 生産物の取得の私的資本主義的形態を、生産の社会的性格に照応する形態に変革しなければ、恐慌は克服できない。
 
 まわりくどい言い方をしたが、要するに、社会主義的変革によってしか、恐慌は克服できない、と私は考える。
 
 しかし、社会主義的変革の条件は、世界的に見ても未成熟であり、とりわけ今の日本はそうである。なによりも、変革の主体が未成熟である。労働者階級の意識も組織も、きわめて立ち遅れている。労働組合も労働者政党も、社会主義的変革どころか、労働者・勤労者の「いのちとくらし」を護ることさえ、わずかしかできていない。
 
 したがって、いちじるしく弱小となり、その社会的影響力も弱くなった労働組合と労働者政党の立て直し、再強化が急務である。
 
 敗戦後、前進を続けていた日本の労働者運動は、なぜ、大きく後退したのか。ここでは、とりあえず労働組合運動にしぼって、ごく簡単に、ふり返って見よう。
 
 第二次大戦前から劣弱であった日本の労働組合と労働者政党は、大戦中に壊滅させられたが、敗戦後は、アメリカ占領軍の政策の後押しもあって、急速に発展した。
 
「戦後日本の組合運動は、昭和20(1945)年から僅か4年の間に世界の労働史上にいまだかつて見ないほど早い速度で発展をとげた。組合員数は、零から670万人を越えるまでに激増した。これは労働者総数の約50%余が組織されたことを示すものである」(末弘嚴太郎著『日本労働組合運動史』中央公論社)。
 
 その後、日本の労働組合運動は、前進と後退をくり返しながらも、1970年代の前半までは、前進を続けた。だが、70年代の後半以後、流れが変わり、後退し始めた。
 
 たとえば、組合員数は70年代前半までは、漸増傾向にあったが、75年をピークに、漸減傾向に転じた。組織率は、1970年の35.4%から低下し続け、90年には26.3%、2001年には20.7%、2003年には2割台を切り19.8%へ低下した。労働争議にも、件数、参加人員、損失日数のすべてで、同様の傾向が見られた。
 
 この労働組合運動の後退の背景に、敗戦後「高成長」を続けていた日本経済が、70年代の半ばに、「スタグフレーション」という深刻な危機に陥り、その後は、停滞、「低成長」に転じたという客観情勢の大きな変化が、あったことは言うまでもない。
 
 そして、この経済的危機をのり切るために、資本家階級は、国家権力、マスメディアなどを総動員して、労働者運動への攻撃を強めた。労働組合に、分裂のくさびが打ち込まれ、抑圧と巻き込みが強行された。
 
 資本の側の攻撃は、政治の分野でも行われ、一連の反動立法の制定、労働法制の改悪、司法、教育の反動化、憲法の平和的・民主的条項の一層の空洞化などが、強行された。
 
 さらに、80年代に入ると、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権に始まった新保守主義、新自由主義の一大攻勢が、日本の労働者運動をも直撃した。
 
「行政改革」の名のもとに、独占資本に対する規制の緩和、国鉄など公共企業体の民営化が推進され、労働組合のおさえこみ、骨抜き、労資協調、御用組合化の攻撃がいっそう強化された。
 
 この攻撃は、大後退を強いられながらも、かろうじて踏みとどまっていた総評の中核、官公労、とりわけ、その主力であった国鉄労働組合に集中して行われた。
 
 かつて、春闘や三池・安保などの大闘争にとりくみ、日本の労働運動のけん引車であった総評は大打撃をうけ、姿を消した。こうして、労働者・勤労者の生活と権利の防波堤としての役割を殆ど果たせないところまで、日本の労働運動は、追い込まれてしまったといっても過言ではないであろう。
 

■ 貧困化を極度におし進めた恐慌

 資本の攻撃から労働者をまもる堤防の役割を果たさねばならぬ労働運動が、大後退を強いられ、いわば、どん底状態にあるときに、今次恐慌が始まった。
 
 すでに、労働運動の後退と共に、長年にわたって、日本の労働者状態は悪化し、貧困化が進行していたが、恐慌のぼっ発は、労働者、勤労者の貧困化を質的にも量的にも一段とおし進め、深刻なものにした。
 
 とりわけ、1990年代後半以後に急増した働く貧困層(国税庁によると、年収200万円以下で働く民間企業の労働者は、1995年には793万人だったが、2006年には1023万人に増加した)を直撃し、その生命と生活を激しく、おびやかした。
 
 さすがに、マスメディアも大きく報道し始め、貧困問題が、深刻な社会問題として、今までになくクローズアップされた。そして、少数の献身的な社会運動家たちによって取り組まれていた、反貧困運動が、ようやく、労働運動とその活動家たちを含めて、力強く前進しはじめた。
 
 反貧困運動の推進力として、また、日比谷の派遣村の村長として大きな役割を果たしてこられた湯浅誠氏は、こう語っている。
 
「現在の日本社会は……新自由主義的な構造改革とそれに対する反省の綱引き状態にあり、政財界のメインストリームが依然として構造改革路線を堅持し続けているのに対して、社会的・市民的レベルでは、それに対する抵抗の動きが生まれてもいます。
 
 労働分野では、連合・全労連といった労働組合のナショナルセンターが非正規労働センターを発足させて、非正規労働者の組織化を活動の大きな柱に据えるに至っています」
 
「諸々の運動をつなぐ社会的ネットワークが形成されてきたことも注目すべき点です。『反貧困ネットワーク』は、非正規・低処遇正規・障害者・病者、母子、ホームレス、生活保護受給者、多重債務者らの困難をサポートする多分野の活動家が、貧困問題を軸に集結した社会運動体ですが、それは日本社会における貧困問題の可視化・健在化に一定の役割を果たすとともに、従来の運動体に、セクト的対立を乗り越える社会運動の必要性を訴え続けており、各地の横断的ネットワークを誘発し始めています」(「貧困にどう立ち向かうか」『世界』2009年 4月増刊号)。

 

■ 総選挙を福祉社会実現の第一歩に

 本誌昨年11月号(「深刻な経済危機下の総選挙」)にも書いたが、日本国民は6割弱が、北欧のような福祉を重視した社会を望んでいるという世論調査がある。
 
 当面、社会主義社会は無理だとしても、この願望の実現は、決して無理ではない。だが、そのためには、労働組合や労働者政党、労働者・勤労者を代表する政治勢力を、北欧並みに、質的にも量的にも、強化しなければならない。
 
 さきに見たように、貧困化が急激に進むなかで、その反作用としての、反貧困の活動も、労働運動を含め次第に大きな流れとなり、活発化しつつある。
 
 反貧困の広範な勢力を結集して、この活動を、大きく力強く前進させ、政治にも反映させ、政治を変えていくなかで、福祉社会への展望が開けてくるであろう。
 
 労働運動や福祉国家を「内なる敵」として、外の敵と同列に並べて攻撃してきた新自由主義・新保守主義への批判が強まり、その社会的・政治的影響力は、急速に弱まりつつある。
 
 来るべき総選挙で、社民党など労働者、勤労者の立場に立つ政治勢力を前進させ、政治の力、国家によって福祉社会を実現する、その第一歩を踏み出そう。
 
 1930年代の世界恐慌時に、フランスでは、戦争とファシズムに反対する人民戦線が形成され、総選挙で勝利し、人民戦線政府が成立し、労働者階級は、賃金や労働時間などの経済的利益、民主的権利の拡充などで、資本の側から大きな譲歩をかち取った。
 
 いま、直面しているのは、反ファシズムではなく、反貧困だが、反貧困の広範な勢力を結集して、総選挙に勝利し、貧困化に立ち向かう政治を実現させ、福祉社会への道を切り拓こう。

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