●2008年3月号
■ 正体不明の合成物「福田ビジョン」 ――「革命的」公約も山盛り――
伊藤 修
■ 一、
経済政策についての「福田ビジョン」にあたる中期方針「日本経済の進路と戦略――開かれた国、全員参加の成長、環境との共生――」が、一月一八日に閣議決定された。
本稿はこれ(以下では「福田ビジョン」と呼ぶ)について論じようとするものであるが、一読、正直にいって戸惑う。かなり異質な要素が混然と盛り込まれたうえ、それぞれに突っ込んだ説明もなく、すこぶる曖昧である。つまり何を考えているのかがわかりにくく、どこまで本気なのかも不明な部分が多い。加えて、この内容がどういう政治的背景から書かれたのか、くわしく知ることも筆者には不可能なので、真意を推測して解説するということもできない。
そこで、ともかく文面に書かれていることを紹介したうえで、それぞれについて考察を加えることにしたい。
■二、
「福田ビジョン」は官僚作文のにおいが強くする。つまり、「Aという問題はぜひとも解決しなければならないが、Bという観点もあり、これも無視することはできまい」などと書きながら、本音はAの問題に取り組む気はまったくなく、その正反対のBの観点一点張りでいくことを意味している、といったようなものである。
小泉内閣の文書、たとえば「骨太方針」とどうしても対比するから、上のことが際立つ。小泉内閣の文書は、例のないほどストレートであった。飾りやリップサービスはなく、いいたいこと、やりたいことを真正面からぶつけてきた(ただし中身の良し悪しは別である)。その内容は、
- 外交は対米同盟一本槍で、中国・韓国に対してはけんか腰でも自己主張を貫くタカ派。
- 内政の手法も、妥協、気配り、同意獲得の根回しなどは一切なし。トップダウンで決めた方針を、国民の直接の支持をバックに強行し、反対者は国民の批判で引き倒す。
- 経済政策は市場原理主義にもとづく。金を儲けるのがいちばん偉いことであり、競争のみが活力をもたらす。できるかぎりを民間営利事業にゆだね、徹底的に「小さな政府」をめざす。弱い階層や弱い地方に金を配って取り込む田中角栄型政治を破壊する。競争で勝った者・地方はますます富むべきであり、負けた者・地方は救わない。
――というものであった。
われわれからみれば極悪であるにせよ、上のように小泉内閣の路線は明確であった。それに比べると「福田ビジョン」の方向性は正体不明といわざるをえない。
というのは、小泉路線を引き継ぐ内容の文章が(少々)ある一方、小泉路線へのアンチテーゼとしか読めない部分が(たくさん)あって、さらに、それらが本気なのかどうか不明、といったものだからである。
■三、
小泉路線や安倍路線を引き継いでいるとみられる部分は、政府として連続しているのだから、当然いくつもある(たとえば観光立国、アニメなどの文化の発信、等々)。だが大きなものはやはり「行政機能を根本から見直し、徹底した無駄の排除を行う」という点であろう。「今後とも、安易な財政出動に頼らない安定的な経済財政運営を行う」とも述べている。
とはいえ、どのくらい本気なのかは疑わしい。少なくとも強烈な「小さな政府」指向はみられない。あとでみるように、むしろ政府がしなければならないことをたくさん挙げているのである。
右の「安易な財政出動に頼らない」という部分のすぐ後にも、「景気が例外的に極めて厳しい状況となった場合には、大胆かつ柔軟な政策対応を行う」と述べている。そして、これは正しいと思う。
バブル崩壊以降の厳しい不況のもとで、自民党政府は、まったく一貫しないジグザグの財政運営をした。不況の当初には対策は小出しに過ぎ、橋本内閣では財政再建優先で引き締めたため、不況をひどくしてしまった。あわてて小渕内閣は不況対策を繰り出したが、小泉内閣になるとまた財政再建優先になった。結局、戦争で最悪の作戦とされる兵力の分散、逐次投入を絵に描いたようにやってしまい、効果は殺がれ、借金だけが累積した。
必要なときは、財政による景気対策を、断固として発動しなければならない。
ついでながら、小泉内閣の大臣だった竹中平蔵氏の回顧録『構造改革の真実』(日本経済新聞社)には、辻褄の合わない部分がある。前半では、公共事業などの財政出動は不況対策にはならない、やめるべきだと力説していながら、後半では、財政再建だけを優先する財務省やそれに同調する政治家たちと闘って、景気に配慮して必要な財政支出をおこなったと述べてある。財政政策は効き目がないのか、あるのか、一体どっちなのか。経済理論としてきわめて不整合である。
財政は不況対策として無効だという学説は「リカード=バローの定理」と呼ばれている。赤字国債を発行して、公共投資や減税をおこなったとする。これで購買力(総需要)は追加されるが、国民は、この国債を償還するためにあとで増税されると思うから、そのぶん消費支出を削減してしまい、プラス・マイナス・ゼロで景気拡大の効果はない、というものである。これだと、どんなに不況でも政府は何もせず、市場に任せておけという結論になる。筆者は、国民はそのように計算機のようには行動せず、結論も現実離れしていると考える。
■四、
これらに反して、小泉路線へのアンチテーゼとしか読めない部分の方がずっと多い。たとえばこういっている。
- 「将来の日本経済や生活に対して不透明感が漂い、積極的な前向きの動きが広がっていない」
……これはそのとおりである。
- 「過剰雇用・過剰設備・過剰債務の解消など、これまでの長時間のデフレとの戦いの中で、伸びない賃金と伸びない消費の悪循環が生じている」
……ここでいう「過剰雇用・過剰設備・過剰債務の解消」とは、「構造改革」のことにほかならない。つまり、構造改革路線のもとで賃金・消費が抑制され、経済が萎縮しているといっているのである。これもまさに正しい。
- 「人口減少が進む地域では、学校、病院など暮らしを支える施設の利用が不便になり、それによって地域の魅力が薄れ、更に人口が減るという悪循環が見られる」
- 「我が国の経済成長の原動力である中小企業の多くが、景気回復の恩恵を受けられずにいる」
……これもいま問題になっている現実である。
このように、現状とその問題点についての認識はリアルであり、またその内容は事実上、小泉構造改革路線(の結果)への激しい批判となっている。賛同できる。
■五、
ではどのような施策をおこなおうというのか。
総論としては次のようにいわれている。
- 「我が国が今後目指すのは、若者が明日に希望を持ち、お年寄りが安心できる、『希望と安心』の国である。そのためには、(1)成長力の強化、(2)地方の自立と再生、(3)安心と信頼のできる財政、社会保障、行政の構築、の3つが重要である」
- 「『自立と共生』の新たな理念で、これからの成長をとらえることが必要である。『共生』の理念とは、格差のひずみの小さな国を目指し、都市も地方も、老いも若きも、大企業も中小企業も、連携してともに成長する仕組みをつくるという『つながり』を重視する考え方である」
……これも構造改革路線へのアンチテーゼであって、経済の成長は、格差を拡大するのでなく、各層・各地方の共存共栄関係に立脚したものでなければいけないと述べている。理念としては、反対すべきものではない。問題は、それをどう実現するかである。
■六、
次に、各論で目につく項目を挙げてみよう。まずは対外関係については次のように記す。
- 「世界とともに発展するオープンな国/アジアの発展に貢献し、行ってみたい国、暮らしてみたい国になる」
- 「最大の成長センターたるアジアに位置する強みを活かす」
- 「欧米やアジア等との連携・強調を拡大し、優れた要素・仕組みなどを日本に積極的に取り込み、新しいエネルギーとする」
- 「日本をアジアの人材育成の拠点とする」
- 「ものづくりや環境・エネルギーなどの技術において、世界トップの水準を堅持する」
- 「グローバル化の中で、オンリー・ワン≠フ付加価値を追求し、世界トップの技術水準を堅持する」
- 「省エネ技術等でトップに立つ日本は、今後とも『環境力』を発揮すること」
……アジア協調の姿勢が強調されており、これも小泉外交へのアンチテーゼである。この点は本気でやるつもりのようにみえる。
また、国際競争の中で、他に真似のできない高い技術、職人技で生きていくことを掲げている。これはすでにそうなっているし、それしかないという現実でもある。環境問題も力を入れて取り上げていて、この面での日本の技術を生かすべきとしている。
■七、
- 「質の高い労働、質の高い暮らし。/生産第一の発想や大量消費型生活から脱却し、質の高い暮らし方や働き方、住まい方を実現する」
- 「消費者が成長を牽引する」
- 「正規と非正規の壁を越える。/多様で柔軟な働き方が選択でき、就労形態にかかわらず、公正な処遇が確保される社会にする」
- 「国民の希望する結婚・出産・子育てを実現できる社会とするため、『「子供と家族を応援する日本」重点戦略』並びに『仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章』及び『仕事と生活の調和促進のための行動指針』に基づき、働き方の改革による男女双方の仕事と生活の調和の実現、多様な働き方に対応した保育サービス等の子育て支援の社会的基盤の充実の2つの取組を、車の両輪として進める」
……ここで述べていることは重大である。家計の消費が成長を牽引するように、とは具体的には、労働者にもっと分配せよということを意味する。以下同様に、実現するには具体的に、正規・非正規の均等待遇(すなわち非正規の条件の抜本的引き上げ)、労働時間短縮などをつうずるゆとりのある生活、子どもを産み育てやすい条件の整備などが必要であって、財界の絶対的抵抗を打ち破る、まさに革命的なことにならざるをえない。自民党の枠をはみ出ており、もはや社会民主主義に近い。
■八、
地方間格差の是正のために、
- 「内閣に置かれた地域活性化統合本部会合を中心に、『地方再生戦略』に基づき、省庁・施策横断による総合的な支援を行う」
- 「『地方都市』、『農山漁村』、『基礎的条件の厳しい集落』の3類型に分けてとらえ」たうえで、「生活者の暮らしの確保(医療、福祉、居住、安全確保、環境保全、公共交通、情報通信基盤等)……一体的な施策展開を図る」とする。
……ここに挙げられていることは、一つひとつ、具体的には大難題であり、本当に実現しようとするなら革命的な決意が要る。これは本誌読者諸氏には自明であろう。そこまでやる気があるのなら、まず、去年までの「骨太方針」が掲げてきた政策方向――過疎地に高齢世帯が分散しているのは不効率だから、地方都市に集めてしまえ(半強制移住)といい、実際に過疎地では公共サービスが受けられない状況を進めつつあること――は破棄するのだと、はっきり言うべきである。
■九、
社会保障および税制については次のように述べる。
- 「別個に設計されている社会保障制度と税制を、関係省庁が連携し一体的・整合的に見直す」
- 〔年金〕「基礎年金国庫負担割合については……2009年度(平成21年度)までに2分の1に引き上げる。また、中長期的な年金制度の基本的な在り方については、社会保険方式と税方式の選択と組合せを含め広く国民的論議が必要となる課題である」
- 〔税制〕「消費税を含む税体系の抜本的な改革について、早期に実現を図る」
……たしかに、税制と社会保障各制度を一体的に、基本から見直す必要がある。われわれはすでに本誌でくりかえし主張しているように、基礎年金部分など社会保障の根幹には税方式をとるべきであり、しかもそれは消費税の引き上げでと決めてかかるのでなく、総合的で累進性をもつ――個々人の事情に対応して調整が可能な――直接税、すなわち所得税・法人税などの改革を中心として充てるべきだと考える。
それにしても、「一体的・整合的に見直す」「広く国民的論議が必要となる課題である」「税体系の抜本的な改革について、早期に実現を図る」などというのは、具体的でなく、他人事のような口ぶりである。「こうする」と明確に打ち出してもらいたい。
- 〔医療・介護〕「勤務医の負担軽減、病院・診療所・介護施設の役割分担の明確化とそれに応じた報酬のメリハリ付け」
- 「医療介護従事者の役割・養成システムの見直し(医師・看護士等の役割分担の見直し、総合的診療能力を持つ医師の育成)」
- 「後発医薬品の使用促進、重複検査の是正、診療報酬の包括払いの促進、レセプト・オンライン化の推進、社会保障カード(仮称)の導入」
- 「小児科や産婦人科などの医師不足の解消策や、救急患者の受入れを確実に行うためのシステム作りなど救急医療の充実」
- 「公立病院の再編・効率化」
……ここにも懸案が並んでいる。そのうちでも、たとえば地域の小児科・産婦人科などの医師不足はたしかに重大な問題になっている。
医療・介護従事者の劣悪な賃金・労働条件も深刻な問題である。そこで看護士や介護士は東南アジアの若い女性を呼ぼうという話になっているのだが、対外的にオープンにするのはいいことだとしても、安くてきつい仕事に外国人、というのは筋が違いはしないか。介護士など、きつい仕事なのに超低賃金の非正規労働者が多いのは大問題である。これらの職の条件を大幅に引き上げる、一定以上の条件を課す、ということが必要であろう。大反対があるだろうが、そこは小泉氏ばりに突破する気構えを要する。
■十、
以上みたように、なかなかいいこと――というより本気でやれば革命的なことになる――も言っている。
ここでもう一度、「福田ビジョン」が「書いてしまっている」「革命的」公約の重要なものを確認しておこう。
- 過疎地域における病院・学校などの利用の不便を放置せず、再び充実させます。
- 環境技術で世界に貢献していきます。
- 労働者への分配を増加させ、消費を活発にします。
- 非正規労働者の条件を抜本的に引き上げ、格差をなくして均等待遇にします。
- 過労状態を是正し、子供を生み育てやすい、働きやすい職場に変えます(当然ひどい企業は厳しく罰します)。保育サービスなども充実させます。
- 医療・介護労働者の劣悪な条件を抜本的に改めます。
- 安心できる社会保障とするために、税制と一体で抜本的に再検討します。
このような公約を事実上してしまっているわけだが、問題は本気でやるつもりなのかどうかである。この点はきわめて疑わしい。この点についてだけは、死んでもやるという意志を貫いた小泉流がずば抜けていた。中身は悪かったが、小泉氏の手法から学ぶべきものは多いと思う。
この「ビジョン」を読むかぎり、福田氏は、歴代首相のなかでも「これをやりたい」という態度が曖昧である。
ともあれ、われわれの仕事は首相の評価ではない。ここに述べられている積極的な政策を、かつて曖昧な文書が出たこともありましたね、というだけで終わらせず、ひとたび述べたことは具体的に実施せよと、強力に押し込んでいくことである。すでに閣議決定までした公約である。ごまかしや言い逃れは許されない。
それは、たんなる追及より、こちらの案を国民に示しながらの方がよい。
もし、言葉だけで、実行をサボっているようなら、それこそ強硬に追及すべきである。この場合も、こちらの案を国民に示しながらの方がよい。
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