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●2006年10月号
■ 小泉「改革」の5年間を概括して
               (小島恒久)
 

■ 大衆を犠牲にした不良債権の処理
 
 2001年4月に登場した小泉内閣がこの9月で退陣する。この5年間に小泉がやった「改革」とは、一体何であったのか、それを概括するのが本稿の課題である。
 
  小泉内閣が登場した当時の日本経済は、バブル景気崩壊後の「失われた10年」といわれた不況が長くつづき、閉塞感の深い時期であった。そこに「聖域なき構造改革」をスローガンとして旧弊の打破をとなえながら、颯爽と登場したので、異常な小泉フィーバーがおこった。そしてその後もマスコミ、とくにテレビを巧みに利用しながら、大衆の心理にうまくつけこむポピュリズム(大衆迎合)政治で、「改革者」というパフォーマンスを演じつづけたので、その「幻想」にひかれて人気はあまり落ちず、5年を経過した。だが、5年たつとさすがに、あらが目立ち、矛盾もあらわになってきた。ここではその虚構をはぎ、実像を明らかにしておきたいと思う。
 
 小泉改革でその推進役をつとめたのは、「経済財政諮問会議」であった。これは小泉を議長とし、関係閣僚、日銀総裁、民間の財界代表、学者から成り立っている(労働界代表は入っていない)。その審議にあたっては財界代表(とくに日本経団連会長であるトヨタの奥田碩は小泉と親密な関係にあった)が、種々の提言をおこなって会議をリードした。また学者出身の経済財政相(現総務相)の竹中平蔵がその仕切り役を担った。そしてこの諮問会議が毎年「骨太の方針」という基本指針を出し、それに基づいて小泉改革はおしすすめられた。
 
 その改革はむろん多岐にわたったが、ここではそれを大きく3つの柱に分けて見てみようと思う。
 
  まず第一の柱は「不良債権の処理」であり「骨太の方針」は最初の年からこれをかかげた。この不良債権とはもともと1980年代後半の金融超緩和政策のもとでおこなわれた銀行の野放図な貸し付けと、それを借りた企業の投機的な財テクの結果として生まれたものであった。このバブルのつけとして生まれた不良債権を、金融機関は直ちに処理しようとせず、経営者の責任逃れのために隠しごまかそうとしたので、その処理がずるずると遅れ、いつまでも禍根として残りつづけた。
 
  この不良債権に悩む金融機関の救済のため、政府がまずとったのは超低金利政策であり、公定歩合をかつての6%から0.1%という史上最低の水準まで下げた。これは銀行に貯金している一般庶民の懐から、銀行への巨額な所得移転にほかならず、その額は304兆にのぼったといわれている。こうした一般庶民の犠牲で銀行を救済しようとしたのだ。
 
  この異例な超低金利政策を背景としながら、小泉改革では不良債権の処理の加速がはかられた。そのため、金融庁が特別検査を強めて、不良債権を洗い出し、その処理を金融機関に迫った。金融機関は自らリストラを行うとともに、融資先企業から厳しく不良債権を取り立てた。その課程で、多くの経済不良の金融機関や企業が破綻をよぎなくされた。破綻しない金融機関や企業でも、厳しいリストラが強行された。こうした破綻やリストラ合理化は、そこで働く労働者に、クビ切りその他の厳しい犠牲を強いるものであった。
 
  その一方、政府は大手を中心として、98年以降12兆3000億円にのぼる公的資金を投じて銀行の救済をはかった。とともに銀行の合同・合併を促進して、その体質強化をはかった。そのなかでとくに中央では、大手銀行金融グループへの再編・集中が進展した。そしてこれら大手銀行・金融グループは、不良債権の処理を一応終え、景気回復の追い風もあって、2006年3月の決算では、過去最高の利益を計上するにいたった。こうして不良債権処理の過程をつうじて、金融面での独占体制の再編・強化が着々と進行したのである。

■ 財界主導の構造改革
 
 小泉改革の中核ともいうべき第二の柱は、経済構造改革であった。この改革の基調をなしたのは、市場原理を強調し、自由競争を謳歌する「新自由主義」であり、これによって経済を活性化するとした。そのためにはまず、市場の競争を妨げている規制を解く必要があるというので、規制緩和が推進された。なかでもそれを強く要求したのは独占資本であり、その要求にこたえて独占禁止法が改正され、たとえばこれまで禁止されていた持株会社(ホールディング・カンパニー)が認められるようになった。この結果これを利用して企業の合同・合併がさかんにおこなわれるようになった。また、商法などが改正されて、企業の分割・分社化などがどんどん進められた。このように企業、とくに独占を縛っていた縄を解き、その活動を容易にした上での自由競争となると、そこではきわめて冷酷な弱肉強食が進展し、強者が弱者を食って独占の支配が着々と拡大していくことになった。
 
  その意味では本来、規制緩和とは強者の論理であり、その歯止めのない横行が、弱者に限りないしわ寄せを生んでいくことになる。たとえば、大規模小売店法(大店法)の規制緩和で、大型店の出店規制が解かれた結果、大型店の郊外出店が大きく増え、旧来の中心市街地の商店街は「シャッター通り」といわれるように寂れてしまうことになった。またバスの規制緩和で、路線の新設・廃止が自由化された結果、不採算路線からのバスの撤退が相つぎ、過疎地がいよいよ過疎になり、地域の格差がさらに拡大した。
 
  またトラックやタクシーの規制緩和で、新規参入の自由化や台数規制の廃止がおこなわれた結果、業者の競争が激化し、そのしわ寄せが運転手に寄って、運転手の賃金切り下げや長時間労働をもたらし、ひいてはそれが事故の多発につながることになった。同じようなことは鉄道についても起こり、車両や路線の細かな基準が規制緩和でのぞかれ、鉄道会社の裁量が拡大された結果、コスト減らしのための整備の手抜きや運転手の過密労働がふえ、これがJR宝塚線の脱線事故などを生むことになった。
 
  こうしてモラルなき規制緩和は、人命の安全を脅かし、さらにはいろんな犯罪をも誘発した。耐震偽装事件がそうであった。「官から民へ」という規制緩和で、建築基準法が改正され、従来は地方自治体など行政にしかできなかった建築の確認検査が民間に開放された。だが、民間会社は儲け優先で、人材や体制に金をかけようとしないから、偽装を見抜けず、姉歯元建築士などに見るような耐震偽装事件が続発することになった。
 
  また証券取引法違反で摘発されたライブドア事件や村上ファンド事件も、規制緩和の所産であった。ライブドアがそのマネーゲームで駆使した株式の細分化や、株式交換による企業買収や投資事業組合(ファンド)の利用などは、九〇年代末からの商法などの改正による、株式取引に関する規制緩和によって可能になったものであった。これらを悪用した錬金術でホリエモンは一躍のしあげた。そしてそのホリエモンを、逮捕前までは「改革の旗手」としてもちあげ、先の総選挙では武部幹事長や竹中などの小泉政権幹部がそれを応援したのだ。
 
  村上ファンドについても、それを伸ばすべき事業として、福井日銀総裁や、規制緩和の旗振り役宮内義彦(政府の「規制改革・民間開放推進会議」の議長でオリックスの会長)らがそれに投資し、関与していたことは周知のとおりである。小泉改革は、こうしたマネーゲームという利益至上主義の「虚業」がはびこる素地をなした。その意味では、ホリエモンも村上もその「改革」が生んだ鬼子にほかならない。
 
  規制緩和は、こうした企業や金融などの分野だけでなく、労働面でも大きく推進された。その狙いは、資本にとって邪魔な労働者の保護や権利を取り除き、資本の利潤追求に極めて好都合な労働力にすることであった。このため、労働基準法を改悪して、女性労働者に対する保護が取り払われた。裁量労働制や変形労働時間の採用で労働時間を弾力化し、超勤手当の節減がはかられた。有期雇用の契約期間が従来の1年間から3年間まで認められるようになった。また労働者派遣法が改正されて、派遣労働が原則として自由化され、さらに従来禁止されていた製造業にまでひろげられることになった。
 
  こうした労働面の規制緩和の背後には、資本の側の強い要請があった。日経連はすでに1995年、「新時代の日本的経営」という報告書を出し、終身雇用と年功序列賃金の見直しを求めるとともに、雇用形態を、長期雇用の正社員と、有期雇用の専門職、および一般職の3類型に分けることを打ち出していた。この線に沿って、労働面の規制緩和、「雇用の多様化」政策が強められ、正社員をできるだけ絞り込み、パートタイマー、アルバイト、派遣労働者、契約社員、嘱託などの非正規雇用を増やす政策がおし進められた。
 
  その結果、1995年から2006年の間に正社員は439万人減り、非正規社員が662万人増えて、雇用者中に占める非正規社員の割合は20%から33%に急増した。なかでも15〜25歳の若年層ではそれが48%にも達した。しかもヨーロッパと違って日本では、これらの労働者に対する均等優遇制度が非常に遅れているので、これらの非正規労働者の賃金は極めて低く、雇用関係も不安定である。今や生活保護の給付水準さえ下回る「働く貧困層」が増えている。こうした賃金労働者の利用・搾取の上に立って、企業は儲けを増やし、業績を好転させていったのである。
 
  さらに小泉改革では、「官から民へ」を錦の御旗として民営化が推進された。その最大の目玉が郵政の民営化であったことはいうまでもない。この郵政民営化は、国民のためというものではなく、もともと銀行をはじめとする金融界やアメリカの要求に応えるものであった。銀行など金融界は、郵便局が貯金や簡易保険で膨大な資金(345兆円)を集めるのを敵視し、官業が民業を圧迫していると非難していた。そして、「郵便貯金を廃止せよ」というのが、銀行協会の持論であった。小泉の民営化論の背後には、こうした銀行などの声があったのだ。
 
  その他方、民営化の割を食うのは一般庶民と労働者である。庶民にとっては安心して預けられる所がなくなるし、採算重視の民営化では僻地などから郵便局が消えてしまう。現に日本郵政公社は全国1048局(集配局の22%)の集配業務の廃止をすでに打ち出している。こうして過疎化がいよいよすすみ、地域の格差が拡大する。また郵政労働者にとっては、それ以前からすすめられているリストラ合理化が、民営化とともにいちだんと苛酷なものになることは、国鉄民営化の前例を見るまでもなく明らかである。
 
  こう見てくると、小泉の経済構造改革は、独占資本の要求に応えて、その要求に最も沿うように経済構造を改革しようとするものであったということができる。だから、経団連を中心とする財界は献金を積極化して、小泉改革を全面的に支持したのである。

■ 庶民泣かせの財政改革
 
 小泉改革の第三の柱は財政構造改革である。その背景にあるのは財政難の深化である。バブルがはじけた90年代の初めから、政府は不況打開のため、公共事業を中心とする財政面からのテコ入れをいちだんと強めた。そしてそれをまかなうために国債を増発したので、国債残高がじりじりと増え、2006年度末には542兆円に達した(小泉政権下でも150兆円増えた)。国だけではない。地方自治体も政府の不況打開策の片棒を担わされて公共事業を増やし、借金を重ねた。こうして国と地方を合わせた長期債務残高が、2006年度末には775兆円に膨らんだ。国内総生産の実に1.5倍である。政府の野放図な財政バラまき策が、こうした借金の増大、財政難の深刻化を生んだのだ。
 
  だが、政府はこうした自らの責任は棚上げにしたまま、財政難の深刻さだけを強調して、それを打開するための財政改革の必要性を訴えた。そしてその打開策としてまず強めたのが経費削減であった。この経費削減は各方面にわたったが、なかでも重点がおかれたのは、社会保障費の節減と地方自治体へのしわ寄せであった。
 
  社会保険については、第1回の「骨太の方針」(2001年)で、その基本理念として「自助と自律」をうたい、自己負担の増大を打ち出した。日本の社会保障費の、国内総生産に含める割合は、国際的に見てまだまだ低いのに、財政難をふりかざして、そのさらなる抑制をはかったのだ。そして社会保障制度の抜本的な改革案は示さないまま、医療、年金などの制度改「正」をすすめ、その都度、自己負担を引き上げ、給付を減らすという場当たり的な改悪を重ねた。こうして小泉政権の下で、国民の健康と老後を守る安全のネットワークは細る一方であり、国民生活の将来はいよいよ不安になっている。
 
  経費削減の第2の標的は地方自治体であった。政府は自らの財政再建を優先させて、地方自治体へのしわ寄せを強め、地方交付税の削減を進めた。そして財政難の地方自治体に対して、市町村合併特例法(99年)を制定して、アメとムチの政策で合併を迫り、「平成の大合併」を推しすすめた。その狙いもまた経費削減にあった。
 
  また地方自治体の反発に対して、2003年の「骨太の方針」は「三位一体の改革」なるものを打ち出した。これは

(1)国の地方への補助金の削減、
(2)税源の地方自治体への移譲、
(3)地方交付税の見直し、

を同時に行うというものであった。だが、その方針のもとで実際に進行した2004〜06年の実態は、補助金の削減が4兆7000億円、地方への税源移譲が3兆円、地方交付税の削減が5兆1000億円であり、明らかに地方自治体のマイナスである。これではいよいよ地方財政は苦しくなる。現に北海道・夕張市の財政破綻が今問題になっているが、同じような地方自治体の財政破綻が今後続出する可能性は大きい。こうして「地方分権」とは名ばかりで、地方財政のしめつけをテコとして、さらなる中央集権体制の構築を目指しているというのが小泉改革の実情である。まさに地方の切り捨てである。
 
  さらに小泉改革の経費削減のターゲットとして、2005年の「骨太の改革」は「公務員の総人件費削減と定員の純減」を改めて打ち出した。日本の人口1000人当たりの公務員数は、先進国の中では極めて少なく、アメリカ81人、イギリス73人、フランス96人、ドイツ58人に対して、わずか35人にすぎない(総務省調べ、2001年)。これをさらに減らして、今後5年間に国家公務員で5%以上、地方公務員で4.6%の削減をするという。また賃金についても、賃下げ、地域給の導入、賃金の能力主義・業績主義化といった新たな攻撃がかけられてきている。そしてその攻撃の援護射撃として、マスメディアを通じた公務員叩きも強められている。公務員攻撃は単に経費削減ということだけでなく、なお残る抵抗組織としての公務員の組合を骨抜きにしようという狙いをもつものである。
 
  だが、こうした経費削減で現在の財政難が打開出来るという見通しはない。そこで、目指されているのが増税である。その第一着手が所得税の増税であり、まず手始めとして各種控除の廃止や縮小が進められている。たとえば、配偶者特別控除の廃止、老年者控除の廃止、年金控除の縮小などがそうであり、さらに給与所得控除や配偶者控除、扶養控除の見直しも目論まれている。また景気対策として実施されていた所得税・住民税の定率減税も06年に半減、07年には全廃される。これらはいずれも増税にほかならない。
 
  このように一般庶民が増税されているのと反対に、優遇され減額されているのが高額所得者と法人である。高額所得者の最高税率は、かつての70%から約半分に下げられた。法人税の基本税率も43.3%から30%にまで下げられた。小泉改革のもとで貧富の差が拡大していることを考えれば、低所得者の税は下げ、富裕者の税こそ上げるべきなのに、事態は全く逆である。小泉改革は金持ち優遇で弱者に冷淡な政治である。
 
  おまけに、次の増税の本命として控えているのが消費税である。消費税を1%上げると約2兆2000億円の増収になる。だからこの税率を、1、2年のうちに――選挙に影響しない時期をねらって――大幅に上げようと企んでいるのが現状である。消費税はいうまでもなく「逆進性」をもつ、大衆泣かせの大型間接税である。その大衆大増税時代がいよいよ来ようとしている。税金は――社会保障とともに――本来、不平等な所得を再配分するという機能をもつものである。ところが、その機能は喪失し、貧しい者からいよいよ搾り取ろうとしているのが、現在の税制改革の方向である。ここにも小泉改革のもつ階級的性格が極めてよく現れている。
 
  こう見てくると小泉改革の5年は、財界主導の新自由主義的構造改革であり、労働者をはじめ中小企業、農民その他広範な国民に犠牲を強いながら、矛盾を深めた資本主義の現状を打開し、独占支配体制の再編、再構築をはかるものであったといわなければならない。だが、その「改革」のもつ弊害が今や随所にあらわれ、国民の痛みもまた大きくなっている。ということを考えると、小泉退陣後の政権は、小泉路線の継承であってはならないし、またあらせてはならない。
 
  かつて80年代の新自由主義的改革の代表的存在であったアメリカのレーガノミックスやイギリスのサッチャリズムも、その矛盾があらわになり、国民の不満が高まるとともに、政権交代に追い込まれた。日本もまたそうした転換の時機に来ている。その転換をどう勝ち取っていくか、そのための態勢をどうつくりあげていくかが、当面する重要な課題となっている。

〔追記〕
  これまで小泉改革の経済面を中心にのべてきたが、小泉について指摘すべき他方の重要な特質に、政治的な保守主義がある。小泉は、アメリカの新保守主義的な大統領ブッシュときわめて緊密なつながりをもち、日米同盟を従来より深化させた。そしてブッシュに追随し、戦争が現に行われているイラクに自衛隊を派兵するというかつてないことをやった。その為、80年代のレーガン=中曽根関係よりさらに保守的である。「靖国」問題でも中曽根より強硬であり、無法な参拝をくり返して、近隣諸国との友好関係を踏みにじったことは周知の通りである。
 
  こうした政治面でもポスト小泉は、小泉路線の継承者であってはならない。だが残念ながら目下、ポスト小泉の本命といわれている安倍晋三は、小泉にまさるとも劣らない保守主義的な資質の持主である。そのもとで日本は、改憲でも教育基本法改悪でも、さらに危険な方向に進む危険性を孕んでいる。それを阻止する対抗軸の構築を急がねばならない。


(2006年9月15日)


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