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●2006年4月号
■ 特集 小泉構造改革の「成果」を検証する
小泉「改革」と株価至上主義  ―ライブドア事件―
               (経済学者 鎌倉孝夫)
 
■ はじめに・とらえなければならないこと
 
 閉塞感に満ちた今日の時代を打ち破る「時代の窮児」「旧弊で不透明な日本型慣行に風穴を開けた創造的破壊者」「改革の旗手」などともてはやされたライブドアのホリエモンこと堀江貴文は、証券取引法違反・偽計取引、風説の流布、粉飾決算等・の容疑で逮捕され、起訴された。証券取引等監視委員会は、堀江貴文ほかライブドア前役員四人を証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に告発した(06年3月13日)。告発を受け、東京証券取引所はLD株の上場廃止を決定した(同日)。上場廃止によって、「監理ポスト」に割り当てられているLD株は、「整理ポスト」に移され、1カ月後(4月14日)に上場廃止となる。株価総額世界一を目標に株式交換による企業買収(M&A)をくり返し、株価をつり上げ、一時(05年末)にはその時価総額は8300億円に高まったが、ホリエモンをはじめ幹部の退陣によって株価は大暴落し、さらに上場廃止によって株式は証券市場では売買できなくなる。
 
 ライブドア事件でとらえなければならないことは何か。まず、第一に旧弊を打破するとしてホリエモンがやったことは何だったのか、ということである。それは、金を稼ぐことだけを自己目的とし、そのためには手段を問わないという利潤至上主義を基準とする株価至上主義(注1)であった。そしてこの行動で彼は何を壊したのか。
 
 そして第二に、この株価至上主義は、新興成金LD、ホリエモンに限られたことではない。楽天、村上ファンドなど投資ファンドだけではなく、大手銀行、大企業に至るまでこの方向に走っている。実はこの株価至上主義は小泉政権の「改革」路線自体が目ざしたものなのだ、ということである。そして小泉政権幹部、とくに武部幹事長、竹中郵政改革相は、ホリエモンを持ち上げ、担いだのであったが、この癒着関係を追及しようとして民主党が不覚にもニセメールを使ってしまったことから、自民党幹部がホリエモンを担いだこと自体が消されようとしているし、ホリエモンを処罰し、証券取引法などによる規制を強めればよいということで、「改革」路線の本質を隠蔽し、“巨悪”たちが正義の味方然と振舞おうとしている中で、私たちは小泉「改革」の本質とともに、これを推進する主体である今日の金融資本の本質をはっきりと暴き出さなければならない。
 
 しかし第三に、なぜ評論家たちはいぜんとしてホリエモンを担ぐのだろうか。そして「改革」推進の下で抑圧され、虐げられている民衆、若者が、ホリエモンを目標にしたり、あるいは支持するのか。これは、マスコミ、評論家、それに影響を受けた大衆が、小泉「改革」に期待をよせるという指向がなぜ生じるのか、という問題と同じである。徹底的に人間の物化を進める、全くの反革命的「改革」に、とことん人間であることを奪われつつある大衆が、収奪し尽そうとする犯人に引きつけられてしまうのはなぜなのか。それだけ閉塞感が強烈だということなのであろうが、それを打破する「改革」の質自体が問われるのである。
 
 ということで、まとめ・展望として、私たちの「改革」の基本的中身を指摘しよう。
 
※ 注1
『株価至上主義』鎌倉孝夫著(御茶の水書房、2005年12月)を参照
 
■ 1 ライブドア・ホリエモンがやったこと
 
・ニッポン放送乗取り騒動
 
 ライブドアは、05年初め米投資銀行リーマン・ブラザーズから800億円を借り入れて、ポストネット(時間外取引)でニッポン放送株を買い、ニッポン放送株式の50%以上の保有をめざした。ホリエモンが目をつけたのは、ニッポン放送を買収すれば、それが筆頭株主になっているフジサンケイグループ全体が乗取れる、ということであった。フジテレビ側は、乗取りに対処して、フジテレビに新株予約権を発行(既発行株3286万株の上に4720万株の新株を発行し、フジテレビの持株比率を高める)すること等を打ち出した。
 
 ライブドア側は、これに対し新株発行権差し止めの仮処分を東京地裁に申請、東京地裁(さらに高裁)はこの訴えを認めた。ライブドア側がマネーゲーム目的でM&Aをやっているわけではないこと、ポストネット取引も法違反とは認められない、したがってフジテレビ側の新株予約権発行は、経営支配権の維持を目的とする著しく不公正なものだと東京地裁は認定した。この時点では、ライブドアによるニッポン放送・フジサンケイグループ乗取りは成功するかにみえた。
 
 そこにSBI(ソフトバンク・インベストメント)CEO北尾が登場し、フジグループの要請に応じてニッポン放送株の貸与を受け入れた。これによってニッポン放送のフジテレビへの議決権は消滅し、ライブドアによるフジサンケイグループ乗取りは困難になった。SBI北尾は乗取りを阻止するホワイトナイト(白馬の騎士)とされている。
 
 約2カ月余のこの買収合戦は、ライブドアによるフジグループ支配権獲得が絶望的になった時点で終末を迎えた。結局、フジテレビ側が、ライブドアが買い取ったニッポン放送株を買い取ること(総額1033億円、これによってニッポン放送はフジテレビの100%子会社となる)、その上、ライブドアに第三者割当て増資の引受けで440億円(ライブドアに対する出資比率は12.7%になる)、1株329円で引受けることを決めた。
 
 こうしてライブドア側は、ニッポン放送株売却で1033億円、増資による440億円で、1473億円を獲得した。800億円の借金を返してなお673億円の儲けを2カ月余で実現した。フジグループ側はニッポン放送を子会社化するために当初見込みより約890億円多い2590億円を費やした。和解によって、フジテレビとライブドアは、資本提携を通し、業務提携でも合意し、放送=メディアとインターネットの融合にむけ、推進委員会を設けて、具体策を協議する、とした。
 
 ライブドア・ホリエモンの逮捕・起訴によって、ライブドア株は暴落し、1株329円(一時は700円を超えた)でフジテレビが引受けた株式価格は06年3月9日時点で78円にまで下落した。フジテレビの含み損は335億7000万円に達した。フジテレビ側は、このような事態に直面し、ライブドアとの資本提携を解除し、支援を止めるとともに、ライブドアに対し損害賠償を求める訴訟を起こす方針を固めた(同3月16日)。
 
・株価至上主義・利益至上主義
「“人の心もカネで買える” “もうけることが最優先” という資本の権化まる出しのホリエモン。ITブームに乗って東証マザーズに上場して資金を獲得し、ブーム崩壊の中でも証券操作を巧妙に駆使してM&Aに成功してきたライブドア。それは、もともと株式資本のまさに“擬制”的側面――株価が安いときに買取り、ただ株価を高める目的だけでさまざまな手法を駆使し、売却益を手に入れる、というまさにマネーゲームそのもの――を事業としているのである。金儲けのほかには何の目的もない、それが株価至上主義の本質なのである。社会的には、あるいは働く人々にとっては、まったく意味のない事業であるばかりか、大衆を惹きつけ、まき込んで大衆からカネを吸上げる、これがその仕事の中味なのだ」(拙著『株価至上主義経済』前掲209ページ)。
 
 そしてこの人為的な株価つり上げのために、ライブドアは法を超えてしまった。金を儲けるという目的を絶対化し、その目的のためにはどんな手段をとってもよい――「目的は手段を神聖にする」(ヘーゲル『法の哲学』でいう「イロニー」)として法を超越してしまった。
 
 ライブドアが株価を操作して金儲けを行ったやり方は次のようだった。

1.ライブドアが事実上支配している投資事業組合を使って企業を買収する(ライブドアはEFC投資事業組合など五つの組合を設け活用した)。

2.すでにこの事業組合が現金で企業を買収していることを隠し、株式交換で企業を買収すると公表する(虚偽情報の発表)。

3.一連の企業買収と相前後してライブドア株の分割(03年11月100分割)、ライブドアマーケティング株の分割(04年11月100分割)する、そして分割した新株発行の時間 差を利用して株価を高める。

4.高騰した株式をこれら事業組合に集め、事業組合は資金の流れを複雑化し見えにくくするために海外の証券会社(香港の証券会社、タックスヘイブン=租税回避地として知られる英領バージン諸島のスイス系金融機関の関連会社=ドクターハウリAGなど)を使って、送金、株式売却を行う。

5.海外等での株式売却益をこれら事業組合を介してライブドアに還流させ、ライブドア本体の売上高に算入(売上高の水増)し、粉飾する。03年以降このやり方で6社を買収し約80億円の株式売却益を獲得した。このうち約37億円が04年9月期の連結決算で売上高の水増しに充てられた。粉飾決算の公表で、さらにライブドア株の価値をつり上げた(『日本経済新聞』06年3月13日)。
 
 00年の上場時に50億円であった株式時価総額は、このような方法によって、05年末には8300億円にまで膨張したのである。
 
 ライブドアによる株価操作、そしてそれを通した利益獲得の背景には、小泉政権が国内外の多国籍金融資本の要請に応えて推進してきた規制緩和・小泉「構造改革」がある。
 
 ライブドアが活用した株式交換による企業買収は、1999年の商法改正で導入された。子会社化する会社の買収に現金を使わずに親会社の株式を使うことができるようになった(07年からは外国資本も可能となる)。株式による企業買収を容易に進めるには、自分の企業の株価を高めることが有利となる。
 
 株式分割については、01年施行の商法改正以前には、株式分割後の額面総額が資本金の額を超えないこと、株式分割後の1株当たり純資産額が5万円以上であること、という規制があったが、改正後この規制は撤廃されるとともに、株式分割による株式数の増加を取締役会だけで決定できるようにした。
 
 投資事業組合は、出資者から集めた資金を投資し株式公開などで利益を得ようとするものであるが、04年に投資事業有限責任組合契約に関する法律(ファンド法)によって、組合員の資格制限、人数制限が撤廃され、投資組合(ファンド)への投資を目的とする組合も自由に設立できるようになった。この事業組合には、登記の必要もなく、情報開示の義務もない。
 
 こうした株式取引に関わる規制緩和の推進は、国内外の巨大資本による企業の合併・買収(M&A)を容易にし、それによる利潤獲得を図るとともに、一定の資金を持つ大衆を株式市場に誘導し金融ギャンブルの中に巻き込もうとするものであった。
 
 そして“官から民へ”ということで、社会のすべての領域に交換原理を導入し、“民”、実は私的利益追求を目的とする資本家的企業の利潤獲得の場にしようという小泉「構造改革」(とりわけ貸付け中心の金融から証券・株式投資中心の金融に転換させる金融改革・後述)の下で、ホリエモンに代表される株価至上主義そして利潤至上主義が一気に進んだのである。
 
 企業が株式を発行して資金を調達するのは、資金借入れ(返済を必ず伴う)でなく、自己資金を確保し、事業の拡張、そのための固定的投資への運用によって生産力、競争力を高めようとするところに目的がある。株式発行や高い株価は本来そのためのいわば手段というべきものである。ところが株価至上主義は、株価を高めて利益を得ることだけが目的であり、それを通してどういう事業を行うか、その事業の内容、ましてやその事業の社会的意味(有用性=使用価値的側面)は全くどうでもよいということになる。
 
 株価をつり上げて儲け目的で買収され傘下におかれた企業は、事業の内容はどうでもよく、ただ利潤を上げることが要求される。コストを徹底的に下げ、虚偽の宣伝で売上げをふやす利潤至上主義が要求される。ついに株価を高める目的が独走して粉飾決算、偽計取引など法を超える行為にまで至らしめた。ホリエモンはいみじくも「事業で稼ごうが、資本政策で稼ごうが同じこと、利益を出すことが株主利益の最大化につながる」といっている。
 
 しかし、問題は、ホリエモンの行動が法を超え、法違反を犯したことにあるのではない。いかに新しい法律、規制を強めても「その核となる株式市場と金融技術によって、企業と個人を利益への熱狂に駆り立てる仕組みを変えたわけではない。いやむしろ、企業買収や株価操作の背後で暗躍して巨額の利益をあげる、投資銀行や買収ファンドの活動は活性化している」(東谷暁氏、『毎日新聞』06年1月29日)。ホリエモンは、株式資本(それは本質的に“擬制”資本である)が本来現実資本による価値増殖(配当の支払根拠)を根拠にしており、そして価値増殖の実現は社会が必要とする財・サービスの生産・供給(その商品化)を通して行われるもの(資本主義においてもこの根拠=実体的根拠なくして資本は、もちろん株式資本も、成立しえないのだ)であることを見失い、あるいは理解せず、この根拠から遊離して価値=貨幣追求だけを自己目的化した。それは価値・価値増殖の純化徹底であり(資本の形態的純化)、使用価値(=社会的有用性の側面)の無視、あるいは解消である。ホリエモンが壊したのは資本、株式資本の存立根拠(実体的根拠)であり、そこに現存する人間、人間関係(共同・協力関係)である。自らの存立根拠を解体させるところまで暴走した株価至上主義は、結果自らを崩壊させることによってその擬制性=“虚”業たることを暴露してしまった。
 
■ 2 小泉「改革」の狙い、本質
 
・交換・市場原理の徹底

 小泉政権が「構造改革」なくして成長なしと叫んで進めた「改革」とは何か。それを小泉首相は「官から民へ」といっているが、実は「公から私へ」であった。つまり、「公」的領域・人間の社会的な生活維持にとって不可欠な分野である教育・医療・保健・福祉の分野・に市場経済的な交換関係を導入、徹底し、その上で利潤追求を目的とする「私」企業=個別資本に委せよう、というより私的資本家的企業の金儲けの場にしよう、ということである。
 
 教育・医療・福祉は、人間が人間として生きる上の基本的条件であり、権利として万人に保障されなければならない。だから個人の負担は可能な限り軽くして、社会が、現実には国が公的資金で事業を行ない、これらの分野を所得や地域などの差別なく個人にその享受を保障しなければならない。“公”が行わなければならない、のである。
 
 そこに小泉政権は「改革」のほこ先を向け交換・市場経済化を導入、徹底しつつある。教育・医療・福祉等のサービスは、商品として供給されるものとなり、この享受は金を支払って買わなければならないことになる。いまやこれら人間生活の根本的権利さえ、これに代金を支払いうるかどうかによって、差別されてしまう。所得の低い者は、教育・医療・福祉を享受しえず、人間として生き、成長する権利を奪われる。教育を受ける権利の差別は、さらに所得を得る機会や場の差別をもたらすものとなり、所得・生活格差をさらに拡大する。
 
 いまや交換・市場経済化は、「労働」自体にまで及びつつある。「労働契約法」がそれである。労働者が資本家的企業に雇われて労働を行う場合、労働者は職人や小営業者のように「労働」自体や労働の成果自体を売っているのではない。労働者が売るのは「労働力」であり、資本は労働力を買って自らの経営内で「労働」をさせる。しかも「労働」は資本家的経営内で行われても、労働者による人間としての営みであり、そこには労働者同士の(分業を行いながら同時に)協力・協業の関係がある。
 
 労働法制の改悪、労務管理の資本による専制の下で、賃金の企業に対する成績・貢献による査定など、「労働」の商品化(そして労働者間の差別分断化)が進展してきたが、「労働契約法」はこれをさらに徹底して、労働者は「労働」というモノ=商品を売る、資本家はモノとしての「労働」を買うという交換=売買関係にしてしまおうというのである。「労働」が人間の営みであり、人間が生きて働くのであって、だからモノとモノの交換契約でなく(民法、商法の適用ではなく)、労働基準法、労働組合法が必要(これらの法は労働者を人間として扱わない資本の行動に対する規制となるところに意義がある)なのであるが、「労働契約法」は「労働」が人間の営みであるということを解消して、たんなるモノの供給とみなし、商法・民法と同じ売買契約にしてしまおう、というのである。「労働」の物化、それはまさに人間自体の物化である。
 
 このような人間生活の社会的条件である教育・福祉、そして「労働」自体を交換・市場原理に解消した上で、資本がこの領域を利潤追求の場にすることが狙われている。私的利潤追求目的で行動する私的資本が、人間としての生きる権利を保障すべき領域に侵入し、これを利潤獲得の場にしよう、というのである。この下で、人間にとって、社会にとって有用な物・サービス(使用価値)の生産・供給はたんなる手段、利潤獲得のための、いわば止むをえぬ手段とされてしまう。だから可能ならば、この手段にかかるコストはトコトン切りつめる、ということになる。こうして利潤獲得に直接つながらない、労働の安全確保や公害防止に関わる要員や設備は切りつめられ、労働は強化され、賃金は抑制(本工、パート、契約労働者等労働者の階層化を伴いつつ)される。社会的に有用で不可欠な事業、仕事も、金儲けにならず、その見込みがなければ、放棄される。
 
 利潤原理の徹底の下で、教育・医療・福祉を受ける人びとは、金儲けの対象、手段とされ、人間としてではなく、モノとして扱われることになる。都立大学を解体、再編成してつくられた首都大学の理事長になった元日本郵船副社長高橋宏氏は、「大学の役割は民間の会社と同じだ」「原材料(学生)を仕入れ加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけて企業へ出す。これが産学連携だ」と公言している(『毎日新聞』06年1月19日)。まさに、大学は企業に利用される(価値増殖条件としての)モノの生産・選別、出荷の場とされる。人間形成・人権育成は、たてまえとしても投げ棄てられる。
 
 それでも、労働・生産過程という社会存立根拠を価値増殖根拠とする資本(産業資本)は、利潤追求だけを自己目的とする、暴走に対する歯止め(有用なモノ=使用価値の供給が必要という)を持っているのであるが、「改革」路線は、この歯止めとなる根拠自体を解消してしまおう、とする。
 
・小泉・竹中「金融改革」の狙い
 
 金融危機・銀行の不良債権処理をブッシュ政権の圧力の下に、強引に、権力的に進めた小泉・竹中「金融」改革とは何だったのか。詳しくは拙著『株価至上主義経済』(前掲)を参照してもらいたいが、その狙いは金融を、資金貸付け方式から、株式・証券投資の方式に大転換を図る、というところにあった。
 
 不良債権処理を図る方策として竹中「金融再生プログラム」が導入したのは、

1.割引現在価値(ディスカウント・キャッシュフロー=DCF)による企業価値の算定・それは利潤を資本還元して算出される擬制的価値であり、株式の相場価値に対応する)。

2.銀行の自己資本に参入していた繰り延べ税金資産(融資先企業に対する貸付け債権に対して支払った税金を企業倒産による損失確定により還付を受けるものとして資本に参入)の限定(中核的自己資本の10%以内)。

そして
3.貸付金回収困難、債務超過と査定した銀行に対して国有化(国家管理)し、公的資金を注入する

というものであった。

 1、2はアメリカ方式であり、制度、条件が異なることを無視してこれを強引に導入した。これによって、りそな銀行は、自己資本比率が低いことを理由に、足利銀行は、貸付先企業のDCF方式導入と貸付金回収困難・銀行の債務超過の査定を受けて、経営危機あるいは倒産を宣告され、公的資金を注入・国有化された。新自由主義の徹底といいながら、明らかに強権的な国家介入による金融再編成の強行である。
 
 そして企業に対する貸付・返済という銀行・企業との融資をテコとする結びつきは、縮小、むしろ解体化され、企業による株式・証券発行による資金調達、金融の証券化という方向が一挙に進められてた。
 
 典型的なのは、三菱FGとUFJとの統合である。これは、外資、外国銀行(例えば米シティグループなど)による株式交換による日本の銀行買収の危機を避けようと、基本的には企業の株式時価総額の引上げを意図したものとされている。総資産額は、三菱・UFJグループは188兆円と、シティグループの138兆円(2003年)を上回っているが、株式時価総額は、シティグループの25.5兆円に対し、三菱FGは6.2兆円と低い。UFJを統合し、リストラを進めて収益力を高め、株価総額を高めよう――それによって外資による株式交換を通した乗取り(07年から解禁となる)に対応するとともに、アメリカはじめ世界の大金融投資集団との世界的な金融ギャンブル合戦への態勢を確立しようというものであった。ホリエモンがめざした株価至上主義は、日本を代表する大銀行集団自身が大々的に目標としているものであった
 
 そしていま進められつつある「金融改革プログラム」は、銀行(貸付業務)と証券(株式・証券投資)そして保険等の金融諸分野を一体として営業しうる金融コングロマリット化をめざす、としている。この下で、株式・証券投資中心の金融、そして株価形成をそれ自体自立しているかのようにとらえ、しかも株価総額自体に企業の価値があるものとみなしてひたすら、そしてあらゆる手段を駆使して、株価を高めようとする株価至上主義が、金融資本集団ばかりか、産業的根拠をもつ金融資本においても一層推進されることになろう。
 
 すでに現れているように、この株価至上主義の下で、実体経済自体が、撹乱、解体化され、そしてその担い手・本来の主体としての労働者の物化、非人間化が進行しているのである。
 
■3 人間性復興・人権確立こそ
 
 ホリエモン逮捕、起訴にも拘らず、いぜん彼を担ぐ評論家がいる。「ホリエモンのような不埒なものを一切出させないという狭隘な発想は、経済の成長を妨げ、多くの若者たちの起業の志に冷や水をぶっかけることになる」(田原総一郎、『朝日新聞』06年2月4日)というのは一典型である。この評論家は、法を犯してもよいから「起業」をすすめよというまさに犯罪のススメを主張している(まさに「イロニー=ironie」皮肉・反語だ)。そこまで開き直れなくとも、ホリエモンが追求したような「極端な拝金主義をも排除しないような、自由な…寛容な市場」が必要(小林慶一郎、同06年1月31日)としてホリエモン的行動も容認すべきだ、という者もいる。「極端な拝金主義」・他人を、社会をわきまえない利己主義の徹底はおよそ「寛容」とは縁がないのに。それでもホリエモンの犯罪は認められないものだから、彼のやったことは「いつの時代、どこの国においても、活況を呈する産業には必然的におきる現象」であって、「構造改革路線や市場主義の政策哲学とは、本質的に関係ない」(小林、前掲)と、小泉「改革」路線を懸命に擁護しようとする。では小泉「改革」は「拝金主義」と関係ないのか。
 
 それにしても自民党幹部はホリエモンを担いだ。彼らはそれは党とも「改革」路線とも関係ないように隠蔽につとめているが、彼を担いだ事実は隠しようがない。犯罪行為までは分らなかったのかもしれないが、一体彼のどこを、何を担いだのかの説明責任は免れない。それを行わないのは全くの無責任、責任のがれである。
 
 しかしホリエモンに、そしてそれを担いだ小泉自民党に、そしてその「改革」路線に、多くの大衆、若者たちが引きつけられるのはなぜか。たしかに彼を担いだ評論家たちがいうように、今日の時代の「閉塞感」を打破し、日本的「旧弊」「不透明」「曖昧」な慣行に風穴を開けようとした「改革」者だという面が若者たちをひきつけた面がある。
 
 自己の確立、自立なき、もたれ合いの日本的慣行、旧弊の「改革」は必要である。しかしホリエモンがめざしたのは、そういう「改革」では全くなかった。彼は徹底した自己中心的金儲けであり、彼が壊したものは、人間社会である限り絶対に壊してはいけない社会存立根拠としての実体、実体経済であり、その主体としての人間、人間関係そのものである。いってしまえば自己存立の権限をもたない資本の、とくに擬制資本だけの形態的自立化という虚構である。実体解体の上での資本の論理の徹底、純化・これこそ“反革命”の極みである。
 
 それは、人間の自己確立、自立とは全く無縁であり、むしろこれを破壊するものなのだ。それはまた小泉「改革」の本質なのだ。それに若者たちがひきつけられるのは、閉塞をもたらしている原因、そして「改革」の中身が分からず、自ら拝金主義におちいっているからであろう。
 
 私たちは、このエセ「改革」を徹底的に批判し、人間性復興・人権確立をめざす真の改革をめざそう。
 
 ここでは指摘するだけにとどめるが、社会的実体の担い手である労働者、勤労者にとって依拠すべき根拠は、「労働」の場における人間性解体阻止、働く者の共同・連帯関係の再生、そして「生活」における差別なき人権保障の確立であり、「実体」経済の再生、確立である。

(2006年3月14日)

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