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●イラク戦争で考える (社会主義協会代表 佐藤 保・2003年8月号)
 
■ 反戦運動の世界的高揚
 
 昨年の後半から今年にかけて、米英軍のイラク侵攻に反対するデモや集会など大衆運動が数十年前のベトナム反戦運動を想起させる規模と激しさで、ヨーロッパをはじめ世界的に高揚した。イラクヘの攻撃が迫った今年2月15日には、ベルリン、パリ、ロンドン、ローマ、マドリード、バルセロナなどヨーロッパの大都市をはじめ70以上の国の都市で、第二次世界大戦後最大のデモンストレーションが行なわれた。反戦集会・デモは政府がイラク攻撃を支持した国でも行なわれたばかりか、全欧反戦統一行動日の2月15日には、ロンドンで英史上最大の100万人デモ、ローマではイタリア全土からの300万人の反戦大集会、スペインでも400万人が反戦行動に参加したと報道されている。
 
 イラク戦争の脅威が世界の世論に火をつけ、アメリカ発の新自由主義にもとづくグローバル化の激流に押し流されて、沈滞し後退し続けていた労働運動や平和運動にも衝撃をあたえて活性化させた。反戦デモはイラク侵攻後まで衰えることなく繰り返し行なわれた。
 
 この反戦大衆運動の高揚を背景に、ドイツやフランスなどの政府は、同盟国である米、英両国のイラク侵略戦争に公然と反対を表明し、その態度をつらぬき通した。昨年九月のドイツ総選挙で、社会民主党のシュレーダー首相は、アメリカがイラクを軍事攻撃しても参加しないことを表明し、さらに選挙戦の最終日にはイラク戦争反対を公約した。その結果、深刻な失業問題などで野党優勢という事前の大方の予想をくつがえし、イラク戦争反対の圧倒的な世論の力で、同首相は起死回生の勝利を手にした。
 
 ドイツ(西)では1980年代にも、NATOのミサイル配備反対の大規模な集会やデモなどの反戦平和の大衆運動が高揚した。90年代以降は、多くの平和団体や組織労働者の8割以上を結集するドイツ労働総同盟(DGB)とその傘下の労組、さらにはキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)以外のすべての政党などからなる「平和運動協同ネットワーク」を調整機関として、反戦平和の大衆運動がくりひろげられてきた。
 
 イラク戦争反対の、歴史的な大衆運動の盛り上がりは、このような長年の活動の積み重ねと経験の蓄積に負うところが大きかったと思われる。このことは、ドイツだけではなく、他の多くの国の大衆運動にも言えることである。同時に、このところ、平和運動や労働運動などから遠ざかっていた青年層、十代、二十代の若者の参加が目立って多かったことが、どこでも見られた共通の新しい現象として指摘されている。
 
 先に見た2月15日のイラク戦争反対のデモや集会は、2001年に始まった世界社会フォーラム、その枠内の欧州社会フォーラムの呼びかけで行なわれた。この社会フォーラムは、その基本憲章に「新自由主義・資本による世界支配・あらゆる形態の帝国主義に反対する」とうたっている。このことは、イラク戦争反対の大衆運動高揚の背景に、前世紀の80年代以降、劇的に推し進められた経済の新自由主義的グローバル化と、それが引き起こした労働者状態の悪化、一国内および世界的な貧困層の増大と貧富の格差拡大があることをうかがわせる。また、それらに対する民衆の不満の爆発が戦争反対と結びついて、労働者運動と反戦運動との統一的発展を促進したといえよう。1600万の労働者が参加した昨年4月のイタリアの20年ぶりの8時間ゼネスト、フランスの35時間労働制の闘いなどに、その現われを見ることができる。
 
 
■ 軍事的勝利と政治的敗北
 
 イラク戦争は、米英軍のハイテク兵器を駆使した圧倒的な軍事力によって、極短期間に終わった。といっても、この戦争は実際には十年も前から準備され、始められていた。アメリカとイギリスは、1991年の湾岸戦争後、イラク南北に飛行禁止空域を設けてイラクの制空権を奪い、また新たな武器や部品の輸入禁止などの経済制裁によって、イラクの戦力を弱める闘いをずっと続けていた。さらに98年からは、政権の中枢施設や石油精製施設、テレビ中継施設などに空爆を行ない、ブッシュ政権になった01年からは空爆の範囲を広げ頻度を高めた。そのため、3月20日の開戦日前には、イラクは「丸裸同然」と報じられたほどであった。
 
 しかも、戦闘終結宣言が出されてからも、米英軍に対するゲリラ的な抵抗が続いている。戦闘は、完全には、いまなお終わっていないし、何時終わるかもわからない。
 
 それでも、米、英の軍事的勝利は明らかである。イラク戦争は、超大国アメリカの突出したハイテク兵器、巨大な軍事的暴力は万能であり、アメリカがひとたびその行使に踏み切れば、これに抵抗し押しとどめる術はありうべくもないという無力感を、少なからぬ人々の心のなかに生み出したかのごとくである。だが、軍事的暴力は、果たして万能であろうか。反戦平和の大集会もデモンストレーションも、さらに今度は殆ど見られなかったがゼネストも、総じて民衆の組織的力は、軍事力の暴走を阻止することはできないのであろうか。かつて、日、独、伊のファシズムの暴走を打ち破ったのは、第二次世界大戦における連合軍の軍事力であったように、軍事力には軍事力で対抗するほかないのであろうか。
 
 だが、アメリカは、軍事的には勝利したとしてもそれとひきかえに、多くのものを失った。超大国アメリカの国際的威信は、かつてなく大きく深く傷ついた。米国内でも、また国際的にも、ブッシュ政権への批判の声は高まりつつある。
 
 ドイツとフランスは、アメリカの最も重要な同盟国であるが、国際法にも国連憲章にも反するイラク侵攻に、公然と強く反対した。それぞれの国内における、さらには世界的な反戦運動のかつてない高揚が、その背景にあった。大衆集会やデモなどの民衆の組織的な力が、広範な世論をうみだし、政府を動かした。大衆運動が無力でないことが証明された。
 
 イラク戦争という軍事的暴走は、米国の国際的孤立のきぎしを生み出しただけなく、第二次大戦後半世紀にわたって、ソ連等の社会主義世界体制の崩壊後も、一枚岩の結束を誇っていた欧米帝国主義同盟に、ひび割れを起こし亀裂を走らせた。
 
 ブッシュ大統領は、イラク国民をフセインの圧制から解放し民主化して、自由と平和を与えると演説した。だが、武力、軍事力によって、政治的目的を達成できる時代はとうに終わったということを、彼は忘れていた。
 
 たしかに、彼の先輩たち、ニクソンや父ブッシュは、30年前のチリ(1973年9月11日、チリの将軍ピノチェトがCIAの支援をうけて軍事クーデターを起こし、民主的な選挙で成立したアジェンデ政権を転覆した)や10年程前のパナマ(1989年末、米軍はパナマに軍事侵攻し、ノリエガ政権を打倒した)で、軍事力によって、一時的には政治的目的を実現した。だが、チリの場合は1998年に、ピノチェトが英国で逮捕され、その後アメリカ政府により秘密文書が公開されて、CIAがクーデターに関与していた事実が明らかにされた。パナマでも99年末、米軍は撤退し、パナマ運河は返還された。
 
 イラク戦争も同じ運命を辿るであろう。ブッシュの政治的敗北は疑いない。
 
 
■ 「逆・全体主義」という危険
 
 9・11以後のブッシュ大統領とネオ・コン(新保守主義)に、ヒットラーとナチスを連想するのは、私の極度のイデオロギー的過敏症のゆえかと思っていたが、長年愛読している雑誌「世界」8月号の「逆・全体主義」と題した文章を読んで、必ずしも妄想でないことを知ると同時に、日本の現状と合わせて不安が募った。編集者はこう紹介している。

「街頭から全体主義が波及したナチス政権前夜とは逆に、アメリカでは政府内部から全体主義が志向されつつある。アメリカの著名な政治学者、シェルドン・ウォーリンが、対イラク戦争のかげで進行していくアメリカの政治システムの変化に、注意を喚起した」。

 アメリカの政治システムが全体主義に近づき、デモクラシーが弱まっているという現状をウォーリンは次のように論じている。

「代表機関は、もはや投票者たちを代表していない。その代わりに、そうした機関は内部でショー卜しており、制度化された賄賂システムによって買収され続け、大企業や最も豊かなアメリカ人たちによって支えられた強力な利益集団の意に沿おうとするのである。裁判所はといえば、ますますもって企業権力の手先になりつつあるし、国防要求を絶えず尊重し続けている。選挙は、多大の資金を費やしながら、たかだか半分くらいの有権者しか参加しないのが普通という些末な事件となっており、しかも有権者が国際政治・国内政治について持つ情報は、企業が支配するメディアを通してしか得られない」。
 
 さらに、決定的に重要なこととして、政府権力の拡張、立憲主義的な制限に対する不信感の高まり、市民たちのやる気を挫き政治的無関心にするような制度的な過程の存在を、ウォーリンはつけ加えている。そして、アメリカで今生まれつつある政治システムを「逆・全体主義」と名付け、その意味をこう説明している。
 
 「なぜ逆と言うかというと、現在のシステムとそれを動かしている要因は、無制限の力への欲求と攻撃的な膨張主義という点ではナチズムと同じであるが、手段や行動は逆転しているからである。例えば、ナチスが政権をとる前、ワイマール・ドイツでは、『街頭』は全体主義的志向のあるごろつき集団によって占められており、デモクラシーがあるとしたら、それは政府の中に限られていた。しかしながら、合衆国では、デモクラシーが最もいきいきしているのは街頭であり、いよいよ暴走しつつある政府こそが最も危ないのである」。 説明はまだ続くが、長くなるので省略する。
 
 アメリカの大統領選挙や議会選挙の投票率の低さや、民主政治の後退については、私も本誌(2000年12月号)に書いたことがあるが、アメリカの政治システムをナチス的な全体主義の一変種に変容させようという試みが始まっているという指摘は、さすがにショッキングである。イラクにデモクラシーを持ち込むというその本体のデモクラシーが怪しくなってきているというのだから。むろん、この試みが成功するとは限らない。この論文も「2004年の大統領選挙は、本来の意味でのクライシス、すなわち岐路となるであろう」と結んでいる。だが、もし「逆・全体主義」への暴走がこのまま進めば、第二、第三のイラク戦争を引き起こしかねない。ことはアメリカだけの問題ではない。
 
 第二次大戦ではファシズムを倒すのに大きな役割を演じ、戦後の日本の民主化を進めた米国が、なぜ、こういうことになったのか? 答えは簡単ではないが、労働者政党の不在、労働組合運動の長期的後退(組織率は50年間で4割台から1割台へ)が重要な一因であることは間違いない。これは、けっして他人事ではない。われわれ自身の問題なのだ。

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