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●2014年7月号
■ 解釈改憲による憲法改悪阻止に全力を
   小島 恒久

   

■ 独占資本に忠実なアベノミクス

2008年のリーマン・ショック以来、世界経済の危機がなお続いています。100年に1度といわれたこの危機打開のため、各国とも財政・金融面からのテコ入れを強めましたが、それがまた新たな矛盾を引きおこし、ギリシャをはじめ各国が財政難に落ち入り、債務不履行問題に直面しています。EUだけでなく、アメリカや日本もそうです。日本の債務残高は、先進国の中でも突出した高さです。そうした中で2012年末に安倍内閣が登場しました。
   
その安倍内閣が不況の打開、デフレからの脱却をめざして打ち出した経済政策がアベノミクスでした。このアベノミクスについては、本誌5月号に立松潔氏が詳述されています(→2014年5月号立松論文)ので、それを参照してもらいたいと思いますが、簡単に言えば、これは

  1. 大胆な金融緩和、
  2. 機動的な財政出動、
  3. 成長戦略、

を三本柱としています。そしてそれらを通じて言えることは、安倍内閣がこれまでのどの内閣にもまして、独占資本の要求に忠実な内閣だということです。日本を世界で最も投資しやすい国にするというので、各種の企業減税措置を講ずるとともに、思いきった規制緩和をとくに労働面で行い、解雇の制限の緩和や非正規労働者の拡大などを行い、資本にとってごく使い勝手のよい安上りの労働力を作り出そうとしています。こうしたかつての小泉内閣の構造改革を上回るような新自由主義的政策の徹底的実施は、一方で資本の側にますます富と力を累積させ、他方、労働者の側に貧困と失業を蓄積させて、『資本論』にいう「資本主義の一般的蓄積の法則」を、いよいよ露骨に装いを新たにして出現させています。こうした独占資本の支配と搾取は、労働者をはじめとする勤労国民の抵抗がなければ、もっと苛酷なものになってゆきます。労働者をはじめ勤労国民の抵抗と闘いを強化することが緊要な課題となっています。    
   

■ 安倍政権の保守主義

こうした新自由主義的政策とともに、安倍政権について注視しなければならないのは、政治的な保守主義です。小泉元首相も、靖国神社参拝を最後まで繰り返すといった保守性をもっていましたが、その保守性は多分に心情的、一匹狼的なものでした。これに対し安倍の場合は、れっきとした靖国史観に根ざし、またそうした組織と深いつながりをもつ本格的な保守です。そしてそのルーツは祖父の岸信介に連なっています。
   
祖父の岸は商工省官僚から満州に出向し、満州国政府の最高幹部の1人として満州の経営に当たりました。そして東条英機内閣では商工大臣を務め、開戦の詔勅にサインしました。ためにA級戦犯容疑者として逮捕されました。これは結局、不起訴になりましたが、岸は東京裁判と占領に対して強い反感をもちました。その後、追放解除になり、政界に復帰して首相の座につき、日米安保条約の改定を強行しました。が、反対闘争の高揚の中で退陣をよぎなくされました。退陣後も岸は、持論である憲法改正に強い執念をもち、1969年に自主憲法制定会議が結成されると、その会長になりました。安倍はこの祖父の「薫育」を受け、そのDNAを強く受け継ぎました。
   
安倍は、父晋太郎元外相の死去をうけて、93年に衆議院議員になりましたが、強い保守的イデオロギーをもって、タカ派の道を歩きました。そして97年2月には、中学校の歴史教科書に従軍慰安婦の記述が入ったのを問題として、同志とともに「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、その初代事務局長になりました。現在官房長官をつとめている菅義偉や文科大臣の下村博文などもそのメンバーでした。この「若手議員の会」と同じ頃、八木秀次高崎経済大教授らが、「新しい歴史教科書をつくる会」を結成しましたが、この2つの会は相たずさえて歴史教科書批判を展開しました。またこの「若手議員の会」は、従軍慰安婦問題で軍の関与を認めて謝罪した「河野洋平官房長官談話」(河野談話)を槍玉にあげて繰り返し批判し、軍の関与を否定してきました。さらに安倍は、97年には拉致議員連盟にも参加しました。
   
このようにタカ派の道を歩いた安倍は、小泉内閣の後をうけて2006年9月、首相に就任しました。そして「戦後レジーム(体制)からの脱却」をスローガンとして、念願の憲法改正へ向けた動きを次第に進めていきました。その第1弾が同年12月の改正教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる改正防衛庁設置法の採決でした。安倍は憲法とともに、教育改革を自らの重要な課題としてきましたが、この改正教育基本法によって、愛国心を謳うとともに、国を教育の受託者から教育の主体へと方向転換させました。このように教育への介入を強めるとともに、安倍はNHKなどマスメディアへの介入も強めていきました。
   
また安倍は憲法改正の動きも加速し、その手始めとして、改憲の手続きを定める「国民投票法案」の審議をいそぎ、慎重な審議をつくすこともなく、2007年5月に遮二無二押し通しました。また安倍は、集団的自衛権の行使にも強い執念をもち、これまで憲法上、許されないとされてきたその行使を憲法解釈の変更で可能にしようと考えました。そのため、その問題を研究する首相の私的諮問機関として、その行使に積極的な意見をもつ有識者を並べた「懇談会」を設置しました。
   
だが、この時は同年7月の参議院選挙で自民党が大敗したために安倍の意図は頓挫しました。そして同年9月の国会で、安倍は施政方針演説をした後、突如病気を理由として辞意を表明しました。こうして第一次安倍内閣はあっけない幕切れを迎えました。
   
   

■ 憲法改正の動き

その5年後の2012年9月の自民党総裁選で、安倍が決選投票の末再び総裁に返り咲きました。そして同年12月の衆議院選挙で自民党が圧勝したので、自公連立の第二次安倍内閣が成立しました。そしてその政権下で改憲の動きが再び強まりだすことになりました。
   
自民党は同年4月にすでに「日本国憲法改正草案」を発表していました。その中では、「わが党は結党以来、自主憲法制定を党是としてきた。現在の憲法は連合国軍の占領下に押しつけられたものであり、国民の自由意志を全く反映しない欠陥商品である。だから、それを全面改正し、自主憲法を制定する」と謳い、改正すべき内容を列記していました。その内容は平和主義を根本的に改変し、人権保障を弱体化し、立憲主義を形骸化するものでした。
   
また、自民党は総選挙のマニフェストでも「憲法九条改正、国防軍の設立」を謳っていたし、安倍は11月の党首討論で、まず憲法改正規定を定めた九六条の改正を最優先すると公言しました。これは、現在の改憲発議要件が両院議員の3分の2であるのを、2分の1に改正するというものであり、これで改憲の発議を容易にして、本命である九条の改正につなげていこうというねらいをもつものでした。だが、この九六条の改正に対しては世論の反対意見が多く、この構想は断念をよぎなくされました。
   
そこで次に着手したのが、「特定秘密保護法案」と「国家安全保障会議設置法案」でした。前者の「特定秘密保護法案」は、「行政機関の長」が「安全保障」に支障があるという口実で、外交、軍事、スパイ、テロなど4分野に関連する行政情報を「特定秘密」に指定し、これに違反した者は最高10年の重罪を科すというものでした。これは国民の知る権利や表現の自由、言論の自由、取材・報道の自由を著しく制限しかねない悪法です。しかも、この「特定秘密」は政府が任意に指定することができ、その範囲は将来恣意的に拡大される可能性をもっています。その点では戦前の治安維持法が、最初は国体の変革、私有財産制の否認を目的とする結社を取締るとしていましたが、後にはその取締りの対象が次第に拡大されて、広く思想、学問、政治活動を取り締る法として濫用されたのと類似した悪法です。だから、これに対しては、学者、弁護士、報道機関など広範な市民団体の反対運動がひろがりましたが政府はこれを強行採決しました。
   
後者の「国家安全保障会議設置法」の成立をうけ「積極的平和主義」の具体化として、武器輸出を原則として禁止したこれまでの「武器輸出三原則」に代わる新原則として、「防衛装備移転三原則」を閣議決定しました。これは国連安保理が紛争当事国と認める国以外は、どこでも武器を輸出することができるとしたもので、武器輸出三原則を放棄し、武器輸出を増やして軍需産業をうるおそうとするものでした。
   
こうした地ならし的な法案を踏まえて、安倍内閣はいよいよ集団的自衛権容認に向かっての動きを急ぎはじめました。この集団的自衛権というのは、自分で自分の身を守る「個別的自衛権」とちがって、自分の国が攻撃されていなくても、自分と関係ある仲間の国が攻撃された時に反撃できるという権利です。日本の政府はこれまでこの集団的自衛権について次のような見解をとっていました。──日本も国連憲章が認めているように集団的自衛権を使う権利をもっている。だが、日本には憲法九条があるので、その下で許容される自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない──これは1981年の答弁書で政府が述べている見解であって、それ以来30年以上にわたって、政府はこの見解を引きつぎ、集団的自衛権を認めていませんでした。
   
   

■ 改憲と平和革命路線

だが、安倍は第一次安倍内閣の時から集団的自衛権の行使に執念をもち、この問題を研究する首相の私的諮問機関として、「安保法制懇」(「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」)を設置しました。これは集団的自衛権の行使に積極的な意見のメンバーを並べた懇談会でしたが、この時は安倍の辞任のために報告書を出すにいたりませんでした。今度の第二次安倍内閣でも安倍の諮問をうけてこの「安保法制懇」が審議を重ね、5月15日にその報告書を首相に提出しました。その報告書の骨子は「九条が認める『必要最小限度』の中に集団的自衛権も含まれると解釈するべきだ」というものでした。この報告書を受けて安倍首相は同日夕の記者会見で集団的自衛権を行使できるように九条の解釈を変えることを目指すと表明しました。そしてその理由として、日本を取り巻く環境の変化をあげていました。
   
北朝鮮はミサイルの発射を繰り返し、中国の船が沖縄県の尖閣諸島の海に侵入している。そんな中、日本が攻撃されれば米国に助けてもらえるのに、集団的自衛権を使えないと日本は米国を守れない。米国との関係を強めるためにも集団的自衛権を使えるようにする必要があると、安倍首相は説明しました。
   
このように安倍は、集団的自衛権の行使を憲法の解釈を変えることによって行おうとしています。つまり、国会での議論や国民の投票が必要な憲法改正を経ず、閣議決定によってその解釈を変えることによって可能にしようとしています。このようにその時々の内閣が、自らの思うように憲法解釈を変更することができるのであれば、憲法はあって無きがごときものになってしまいます。本来、憲法は国家権力を制限し、権力の濫用を防いで国民の権利を保障することを目的としています。こうした憲法に基づいて政治を行うのを立憲主義といいます。安倍のやり方は、こうした立憲主義を根底から揺るがすやり方です。日本国憲法は、

  1. 基本的人権の尊重、
  2. 国民主権、
  3. 平和主義、

という3つの譲れない原則をもっています。安倍の解釈改憲は、この三原則をおかすものであり、立憲主義を否定し、戦後民主主義を否定するものです。安倍のいう「戦後レジームからの脱却」とは、このように戦後民主主義を否定し、戦前の国家主義、国粋主義へ回帰するものにほかなりません。
   
しかも安倍は、この改憲とみずからの史観を広く国民全体にひろげるために教育とマスメディアを利用したいと思い、それへの介入を強めています。安倍は最初から改憲とともに教育改革を自らの重要な課題としてきました。安倍がその議員活動の当初から、従軍慰安婦と教科書の問題を取り上げ、みずからの史観を教育に注入しようとしたことは前にのべた通りです。それとともに、義務教育の目標に「愛国心」を明記するなど教育の内容を変え、また上から教育の管理体制を強めて、国を教育の受託者から教育の主体へと方向転換させてきました。
   
また安倍はマスメディアへの介入も強めています。NHKの人事を自らの意に沿ったものに変え、その放送内容もかつての国営放送に近づけようとしています。また民放についてもスポンサーを通じてその支配も強めようとしています。
   
このように「戦後レジーム(体制)からの脱却」がすすみ、戦後の民主主義が否定されて、戦前の国家体制に回帰するということになると、それはわれわれのめざす革命の路線にも大きな影響をもたらしてきます。戦後向坂逸郎は、山川均との合意のもとに、戦後の日本社会の変化した諸条件を検討し、その民主主義的な諸制度拡充の意義を評価して、平和革命をはじめて提唱しました。そしてこの平和革命路線が、戦後の労農派、社会主義協会の革命理論の基調となりました。もし、この戦後の民主主義制度が否定され、戦前の国家体制に回帰するということになれば、この平和革命路線にも変化が生まれてきます。こうしたわれわれが戦後護持してきた平和革命路線を守ってゆくためにも、現在の憲法の改悪を許してはならないと思います。
   
   

■ 労働者運動の階級的強化

こうした安倍の集団的自衛権行使の野望を阻止し、現在の平和憲法を守っていくためには、そうした安倍の策動に抵抗する対抗軸として、労働者運動を強化してゆかねばなりません。だが、目下の情勢で気になるのは、この労働者運動にかつての強さがないことです。たとえば、先に安倍内閣が「特定秘密保護法」を強引に強行採決した時は、各層から広範な反対の動きが起こりました。だが、その反対の動きを見ながら、いささか気になったのは、その中で労働者運動の影が薄かったことでした。これはかつての60年安保闘争の時、当時の総評が3回にわたってゼネストを打ったのに比べ寂しいことでした。このことは我々に労働者運動の階級的強化の課題をつきつけています。
   
労働者運動の強化は、労働条件の悪化を防ぎ、労働者の生活を向上させるために不可欠です。また今日独占資本の支配は、労働者だけでなく、中小企業や農民など広範な国民の生活を劣悪化させ、不安定なものにしています。だから、この独占の支配にたいして、労働者は広範な国民と連携してたたかってゆかねばなりません。こうして反独占の運動を職場や地域からまず起こし、それを労働組合や政党の階級的強化とあいまって拡充し、強固な反独占、生活向上、民主主義拡充、平和擁護の統一戦線に発展させていくのが、われわれが目指すべき目標ということができます。
   
こうした広範な統一戦線の形成にあたっても、その中核的存在として、労働者運動の強化は不可欠です。だから、社会主義協会は1951年6月、朝鮮戦争勃発後の「逆コース」といわれる反動的な社会の流れの中で発足して以来、この労働者運動の階級的強化に力を入れてきました。勿論当時と今日とでは情勢に大きな違いがあります。だがわれわれ協会は、今日の経済的、政治的な状況を科学的に分析し、それを労働者をはじめとする国民大衆に訴えて、労働者運動を階級的に強化するとともに、反独占の広範な統一戦線に筋金を入れていかねばなりません。
   
われわれはこうした課題に全力をあげて取り組むとともに、さし当っての任務としては、安倍政権が強行しようとしている解釈改憲による憲法の改悪を是が非でも阻止しなければなりません。
   
(6月17日)
   
   

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