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●2013年4月号
■ 歴史の危険な曲り角
 ――今日の世相を考える――
   小島 恒久
 

■ 右傾化した座標軸

歴史の曲り角にあるという思いが深い。昨年末の総選挙の結果、日本の政界には大きな地殻変動がおこり、座標軸が大きく右へとシフトした。政権も民主党から自公連立政権へと逆戻りした。
 
2009年の総選挙で政権交代が実現し、民主・社民・国民新党の三党連立政権が登場した時は、国民はそれに大きな期待を寄せた。「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げて、それまでの財界の要望に沿う公共事業重点の政策を転換し、国民生活の安定・向上に軸足をおいた政治に変わることを期待した。そしてある程度その方向に歩み出したことも事実である。
 
だが、鳩山、菅、さらに野田ときわめて短期に首相が交代するなかで、原点からの後退がつづき、社民党は連立政権から離脱した。とくに野田内閣では「自民党野田派」と揶揄されるような、官僚の言いなりになる逆流ぶりが目立つようになった。こうした当初の公約にそむき、民意からの乖離がひろがった情勢の中で迎えた今回の総選挙であったから、民主党の敗北は予想されたところであったが、その予想をこえて民主党は大敗し、議席を解散前の4分の1(57議席)に減らした。
 
その他方で大勝したのは自民党であり、定数480の61%にあたる294議席(解散時118)を獲得した。与党の公明党の議席(31議席)と合わせると衆議院の3分の2を上回る議席である。だが、これは国民の積極的な支持を得ての勝利というものではなく、得票数では前回よりむしろ減少しているのだから、小政党乱立下の小選挙区制度にもとづく相対的勝利といわねばならない。が、ともあれこの勝利の結果、自公連立政権が復活することになった。さらに、自民より右に位置する日本維新の会が54議席を得て第三党(比例区では第二党)に躍進し、日本の政界は全体としていちじるしく右傾化し、保守化した。
 
他方、中道より左は、民主党が前記のように大敗したし、革新の社民党や共産党も後退した。ことに社民党は5議席から2議席へと大きく減少し、危機的な状況となった。こうして日本の政界では座標軸が大きく右に傾斜し、かつてなく危険な歴史の屈折点に立たされることになった。
 
 

■ 安倍の保守的歩み

この総選挙の結果、自民党の安倍晋三総裁を首相とする自公連立政権が昨年末に3年3カ月ぶりに発足した。今日、自民党では、かつての戦争を知っている比較的穏健な護憲派が次第に姿を消し、全体として保守化がすすんでいるが、その中でも最も右に位置しているのが安倍首相である。かつての小泉首相も、靖国神社参拝を最後まで繰り返すといった保守性をもっていたが、その保守性が多分に心情的、一匹狼的なものであったのに対し、安倍の場合は、れっきとした「靖国史観」に根ざし、またそうした組織と深いつながりをもつ本格的な保守である。安倍の祖父は岸信介であり、安倍はその保守的系譜をひいている。
 
祖父の岸信介は、商工省官僚から満州に出向し、満州国政府の最高幹部の1人として満州経営に当たった。そして東条英機内閣では商工大臣を務め、開戦の詔勅にサインした。ためにA級戦犯容疑者として逮捕された。結局、不起訴にはなったが、東京裁判と占領にたいして強い反感をもった。その後公職追放を解除され、政界に出て、総理にまで上りつめた。そして日米安保条約の改定に取りくみ、強引にそれを成立させた。が、安保闘争の高揚の中で退陣をよぎなくされた。退陣後も岸は、持論である憲法改正に強い執念をもち、1969年自主憲法制定会議が結成されると、その会長になった。安倍はこの祖父の「薫育」を受け、そのDNAを強く受け継いだ。
 
ところで、当の安倍晋三は1993年、父晋太郎の死去をうけて衆議院議員になったが、強い保守的イデオロギーをもって、タカ派の道を歩いた。そして97年2月には、中学校の歴史教科書に従軍慰安婦の記述が入ったのを問題として、中川昭一らとともに「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、その事務局長となった。この「若手議員の会」には、下村博之、菅義衛、松岡利勝、高市早苗、渡辺喜美、佐田玄一郎などが名を連ねていた。
 
この「若手議員の会」とほぼ同時期(97年1月)に、「新しい教科書をつくる会」が発足し、この2つの会は相たずさえて歴史教科書批判を展開した。この「つくる会」には、安倍のブレーンである伊藤哲夫(日本政策研究センター所長)や八木秀次(高崎経済大教授)らがいた。この「若手議員の会」は、従軍慰安婦問題で軍の関与を認めて謝罪した「河野洋平官房長官談話」(河野談話)を槍玉にあげて繰りかえし批判し、軍の関与を否定してきた。その意味ではこの問題についての安倍の執着は深い。また安倍は97年には拉致議員連盟にも参加した。
 
このようにタカ派の道を歩いた安倍は、小泉内閣の時に抜擢されて幹事長、官房長官などの要職を歴任し、拉致問題に対する強硬姿勢で国民の心情に訴えて支持をひろげ、自民党総裁選でも圧倒的な票を得て、2006年9月に首相に就任した。そして「戦後レジーム(体制)からの脱却」をスローガンとし、憲法改正を唱えながら内閣の歩みをはじめた。その発足当初は、中国、韓国を歴訪して両国との関係改善の道筋をつけるなど、タカ派のツメを隠して好スタートを切り、支持率も高かった。が、やがて支持率が急速に落ちはじめると、本来のタカ派への回帰姿勢を強め、憲法改正へ向って重要な法案の成立を急ぎだした。
 
その第一陣が同年12月の改正教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる改正防衛庁設置法の採決であった。共に自民党が念願としてきた法である。安倍は憲法とともに、教育改革を自らの重要な課題としてきたが、この改正教育基本法によって、愛国心をうたうとともに、国を教育の受託者から教育の主体へと方向転換させた。
 
また憲法改正そのものへの動きも加速し、まずその手始めとして、改憲の手続きを定める「国民投票法案」の成立をはかった。そしてその審議をいそぎ、慎重な議論をつくすこともなく、2007年5月に遮二無二押し通した。これは参議院選を目の前にした強引なやり方であった。また安倍は集団的自衛権の行使にも強い執念をもち、これまで憲法上、許されないとされてきたその行使を、憲法解釈の変更で可能にしようと考えた。そのため、その問題を研究する首相の私的諮問機関として、その行使に積極的な有識者を並べた「懇談会」を同年5月に設置した。
 
ここで指摘しておきたいのは、憲法改正を押しすすめる安倍の姿勢は、財界の意向と合致していたことである。財界では、すでに2003年に経済同友会が「憲法改正の意見書」を出し、2004年には経団連と日本商工会議所も、それぞれ憲法改正の意見書を発表していたのである。
 
だが、この時は安倍の意図は、その後の2007年7月の参議院選挙で自民党が大敗したことによって一頓挫した。この選挙では、自民党の37議席にたいして民主党が60議席と圧勝し、民主党が参議院の第一党になった。そして同年9月の国会で、安倍は施政方針演説をした後、突如病気を理由として辞意を表明した。こうして第一次安倍内閣はあっけない幕切れを迎えることになった。
 
 

■ 安倍改憲政権の再起動

その5年後、2012年9月の自民党総裁選で、決選投票の末、安倍が再び総裁に返り咲いた。そして同年12月の衆議院選挙で、前記のように自民党が圧勝し、自公連立の第二次安倍内閣が発足することになった。この政権下で改憲の動きが再び強まることは目に見えている。自民党は同年の4月にすでに「日本国憲法改正草案」を発表していた。その中では、わが党は結党以来、自主憲法制定を党是としてきた。現在の憲法は連合国軍の占領下に押しつけられたものであり、国民の自由意志を全く反映しない欠陥商品である。だから、それを全面改正し、自主憲法を制定するとうたい、改正すべき内容を列記していた。その内容は平和主義を根本的に改変し、人権保障を弱体化し、立憲主義を形骸化するものであった。
 
また、自民党は総選挙のマニフェストでも、「憲法九条改正、国防軍の設立」を謳っていたし、安倍は11月の党首討論で、まず憲法改正規定を定めた九六条の改正を最優先すると公言した。この改憲発議要件を現在の両院議員の3分の2から2分の1に低める九六条の改正を突破口として、さらに本命である九条改正にすすむ心算である。
 
この安倍改憲政権の再起動を、今度の場合さらに後押しする勢力に「日本維新の会」がある。この石原・橋下の日本維新の会は、総選挙で前記のように第三党(比例区では第二党)に躍進したが、そのとる政治路線は次にのべるように自民党よりさらに右寄りである。
 
まず第一に政治的にはきわめて保守主義である。日米同盟を基軸としながらも、日本の主権と領土を自力で守る防衛力を整備する。そのため憲法改正を視野に入れて、まず九六条を改正する。この点、安倍の言うことと共通する。
 
第二は、市場原理にもとづく新自由主義政策をより徹底させる。「小さな政府」を旗印として公務員を大幅に削減し、民営化を推進する。TPPに参加して自由貿易圏を拡大し、産業の国際競争力を強化する。社会保障では受益者負担を強調し、小泉改革を上回るような福祉の切り捨てを行なう。第三は、労働運動を徹底的に敵視し、強権的にその抑圧をはかる。教育では君が代斉唱を義務づけ、学区の規制をゆるめ、首長が教育目標を定めうるとして、憲法の禁じている政治の教育への介入の道をひらく。このように総じて自民党よりもっと右寄りだが、改憲という点では安倍政権と共通している。
 
さらに改憲勢力の一翼をになうものに「みんなの党」がある。「みんなの党」は総選挙で18議席を獲得した。このように安倍改憲政権だけでなく、日本維新の会、みんなの党と、かつてなく多数の改憲勢力が存在するようになり、護憲運動は大きな危機に当面している。次の参院選挙で自公が過半数を獲得すれば、この改憲の動きがさらに加速することは目に見えている。その意味では、この夏の参院選挙はきわめて重要な意味をもっている。
 
そうした情勢のなかで発足した安倍政権は、当面タカ派のキバを衣の下にひそめて、まず経済優先のいわゆるアベノミクス──安倍とエコノミクスの合成語で安倍の経済政策といった意──を打ち出した。このアベノミクスについては、本誌3月号に伊藤修氏が書かれている(リンク)。詳しい内容はそれにゆずるとして、簡単に触れておくと、それは

  1. 大胆な金融緩和、
  2. 機動的な財政出動、
  3. 成長戦略

という「三本の矢」で、経済の再生を推進するというものである。
 
まず金融政策については、これまで日銀はかなり長期にわたり金融緩和を行なってきたが、なお不十分だとして、2%の物価上昇目標(インフレターゲット)を日銀に義務づけ、それを達成するまで大々的な金融緩和を行ない、それによってデフレからの脱却、景気の上昇をはかろうというものである。だが、いかに日銀から銀行に注ぎこむ金を増やしても、目下のように銀行から企業や個人に金が出ていかないという状況下では、これで景気が浮揚するとは直ちにはいえない。むしろ投機にまわってバブルを起こす可能性ももつし、物価高によって国民の生活を苦しめる危険性をもっている。
 
第二の財政政策は、かつての自民党時代の公共事業を中心とするバラまき政策の復活であり、「人からコンクリートへ」の逆行である。他方、生活保護費を削減し、地方交付税を減らして地方公務員の賃金を切り下げる。つまり、地方や弱者にしわ寄せしながら、財界に一時的なカンフル剤を投与しようというものである。この政策は国の財政赤字を増やし、消費税のさらなる引き上げを招きかねない。
 
第三の成長戦略については、その政策策定のため、全閣僚をメンバーとする日本経済再生本部を発足させ、その下にさらに成長戦略の具体策を審議するため「産業競争力会議」を設置した。その会議のメンバーは首相、副首相、経済担当大臣のほか、民間議員として大企業の社長や学者(その1人は竹中平蔵)が入っている。そこで6月までに成案を得るというが、その中で民間議員が主張していることは、さらなる規制緩和や自由貿易や法人税の引き下げや解雇の自由などであり、そこから出てくる成長戦略は、おそらく小泉政権下の新自由主義政策のより一層の徹底であろう。だが、このサプライサイドのその新自由主義政策は、喧伝されたようなトリクルダウン効果──生産力が上昇し企業の業績が良くなると雇用や賃金も向上するという効果──をもたらさず、逆に各種の格差を拡大し、非正規労働者を増やし、労働条件を悪化させたことはわれわれのよく知るところである。この新自由主義政策の強化はさらなる国民生活の破壊をもたらすことになるだろう。
 
こう見てくると、アベノミクスはすでに破綻が証明ずみの経済政策のむしかえし、拡大再生産であり、これでは景気はよくならない。景気をよくしようと思えばまず、ここ十数年低下しつづけている労働者報酬を上げることから始めるべきであろう。これが内需を拡大し、よほど景気上昇に連なってゆく。
 
 

■ 対抗する共同戦線の構築を

だが、安倍はそうした点を反省することはなく、このところの円安、株高──これはアベノミクスの結果というより、多分に政策効果への「期待」感や、米欧の経済の若干のもちなおしによるものだが──のなかで自らにたいする支持率が高いのに気をよくして、本来もつタカ派の地金を種々の面で出しはじめている。
 
まず安倍の宿願である改憲については、その第一着手として、改憲案発議の要件を現行の両院議員の3分の2から2分の1に引き下げる九六条の改正をめざして、その活動再開の準備に入った。また、集団的自衛権を憲法解釈の変更によって行使できるようにする点についても、2月首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を、5年半ぶりに開き、検討を再開した。
 
さらに安倍内閣は、最新鋭戦闘機F35の、国内で製造した部品の輸出を、武器輸出三原則の例外として容認すると3月に発表した。これは武器輸出三原則を大幅に緩和し、骨抜きにするものである。この武器輸出三原則については、経団連が以前からその撤廃を求める意見書を出しており、その財界の要望にこたえて、防衛産業の育成に資するものである。
 
また、懸案であったTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加についても、安倍は2月の日米首脳会談で「聖域なき関税撤廃でない」ことが明らかになったとして、首相一任をとりつけ、農業団体などの反対を押し切って、3月15日交渉への参加を正式に表明した。TPPは農業だけでなく、金融サービス、知的財産、投資、医療その他多くの問題に関わりをもつが、経団連など財界はかねてから参加を要望しており、こうした独占資本の意向に沿う決定である。その他、安倍政権は原発についても、民主党政権の「脱原発」政策を転換しつつある。これも電力資本など財界の意向に沿うものであり、総じて安倍政権は独占資本の利害にきわめて忠実な政権である。
 
さらに安倍が改憲とともに当初から執念を燃やしてきた教育制度改革についても、着々と地歩を進めつつある。すでに総選挙前から自民党教育再生本部をつくっていたが、政権発足後は首相の諮問機関として教育再生実行会議を立ちあげ、1月から審議を開始した。そのメンバーには、第一次安倍内閣以来の安倍のブレーンである八木秀次高崎経済大学教授や、作家の曽野綾子など、タカ派の面々が名を連ねている。そして「いじめ」対策を手始めとして教育委員会制度、教科書検定制度、教員の管理・統制問題などを次々に審議していくという。そこから出てくる教育改革構想が、教育に対する全面的な国家管理や憲法の改悪に収斂されていくことは想像に難しくない。
 
こう見てくると、安倍政権は改憲という点でも、教育改革という点でも、新自由主義路線の徹底による国民生活の破壊という点でも、きわめて危険な性格をもつ内閣である。これに日本維新の会やみんなの党が同調すると、その危険性はさらに増幅される。そうした危険な方向に日本を行かせないためには、それに対抗する護憲、反独占、国民生活擁護の広範な共同戦線を構築していくことが緊要な課題となっている。その第一歩として当面する参議院選はきわめて重要な意義をもっている。
 

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