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●2013年3月号
■ 「アベノミクス」(?)について
   伊藤 修
 

安倍政権は当面すなわち参院選までの政策の重点を、経済、外交、教育、震災復興とした。このうち経済政策の内容がほぼ出揃い、マスコミはアベノミクスと呼んでいる。本稿は、その内容を整理し、性格を分析し、意見を述べる。
 
 

■ 企業保護主義

安倍経済政策は、財政出動、成長戦略、金融緩和の「三本の矢」からなるとしている。現時点で、公共事業の復活、企業減税、日銀への強要と責任転嫁、が具体的になっている。公共事業、企業減税、成長戦略という内容をみると、経済産業省の色が濃厚と思われる。人的にも同省の影響が強いといわれる。
 
総論として、民主党政権の政策を「分配による縮小均衡」と批判し、まずパイを拡大すべきと主張する。パイの拡大とは、企業を保護し元気にすることである。こうした考え方はトリクルダウン(trickle down:滴り落ち)戦略と呼ばれる。まず上を富ませ、おこぼれを下に滴り落とすというもので、支配層には正統的な考え方といえる。
 
具体的には公共事業と減税等による企業保護であるが、これは旧来の自民党の政策への回帰にほかならない。バブル崩壊から延々と自民党政府がとり続け、効果がなかったことが実験済みのやり方そのものである。失敗だったからこそ「コンクリートから人へ」「企業支援から家計の直接支援へ」を掲げた民主党が選ばれた。それをまた「家計から企業へ」に戻すという。自民党はこの経過をどう総括しているのか。また国民には3年間の記憶力があるかが問われる。
 
一方、実のところ小泉内閣は異なり、景気刺激には出動せず、弱肉強食の競争あるのみとした。前回の安倍内閣もこれを引き継いだ。今回はそれと真逆であり、まったく一貫しない。安倍氏は前回を自己批判した(する)のか。
 
現在の経済は、企業が資金余剰の状態にある。企業は利潤を手にし、手元資金があるが、社会的に有用に使うことはおろか、利潤を見込める投資プロジェクトを見出すこともできず、投機に運用して世界でバブルをくりかえしてきた。この状態のもとでは、企業支援で経済を上向かせることはできない。市場=購買力の委縮をもたらしている家計の所得減、貧困・格差の拡大、将来不安に対して手を打ち、安心を築くことこそが有効な対処であるとわれわれは考える。この点で、企業支援路線とは全面的に対立する。
 
法人税の投資減税案は、投資需要を誘導しようという意図はわかるが、右の理由で効果はない。これまでも研究開発投資減税を大規模に続けてきたが、一部大企業に大盤振る舞いしただけで無効に終わっている。
 
雇用や人件費支払いを増やした企業に減税する案は、誘導の意図はわかるし無意味ではないが、一定の規模が必要であり、基本の法人税水準を引き上げることが前提となる。
 
なお所得税は最高税率45%への引き上げ案だが、かつて75%、税収が現在の2倍だった1990年度に50%であった。まず50%以上とすべきであろう。
 
 

■ 財政悪化とそのしわ寄せ

公共事業と企業減税は当然、歳出90兆円・税収40兆円という破綻状態にある財政をさらに悪化させる。今はバラまきをする余裕はない。公共事業は被災地復興や老朽化した社会資本の補修に厳に限るべきである。財政規律を守ると口ではいうが、具体的にどうするのか。国債返済の積立を取り崩して新規国債発行を減らすといった見せかけ策を弄しているが、無意味である。
 
やるとすれば他の予算を切るほかなくなる。そしてさっそく地方交付税交付金のカット、生活保護の切り下げなどが出てきた。しかしこの方向こそ「縮小均衡」、委縮を進めるものではないか。反対である。
 
 

■ 社会保障・税制改革を論議の中心に

安倍経済政策の議論の土俵に乗せられ、焦点外しを許してはならない。現在の議論は、みずから言っているとおり当面の対策にすぎず、脇道であるから、本道に引き戻さなくてはならない。実はこれがいちばん重要なことだと考える。いま大事な課題は、社会保障と税制の改革、すなわち応能原則で財源を確保し、安心を提供することである。この議論で押さなくてはならない。 社会保障改革国民会議の議事は公開されているが、まったくひどい内容になっている。現行制度を変えない、つまり改革せずが前提とされている。良心的な委員に奮闘を願いたいが、しかしより重要なことは、われわれが声を大にして国民に訴えかける、発信することである。 安心の提供のためには、税・社会保障だけでなく、国民の実際の苦痛と不安の原因になっている雇用・労働の分野に特に力を入れる必要がある。中でも「非正規」問題は、差別禁止、身分制撤廃、民主化という現代日本社会の焦点的課題といわざるをえない。 ちなみに、「正規」労働者平均所得に対する比率は、先進国(OECD)平均では、最低賃金40%(アメリカでさえ35%)、基礎年金25%、生活保護15%(住宅補助と合わせると20%強)となっている。働いているのだから最低賃金が相当高いのが当然であろう。しかし日本では、わずかな差で最低賃金→生活保護→基礎年金の順に、25%前後に固まっている。最低賃金が異常に低く、年金と生活保護が逆転している(山田篤裕「最低所得保障、大改革の時」『日経』12.10.23)。だから生活保護を引き下げるというのはもちろん本末転倒である。 頭に置いておきたい数字がある。時給1000円の最賃目標は常識外れと財界から非難されたが、時給1000円で年1800時間フルに働いて年収はいくらになるか。180万円である。日本の現実は時給700円、年収120万円であるが、右の国際標準でいけば時給1200円、年収220万円となる。このような異常事態、非常識を許しておいてよいのか。そしてこのような労働者の扱いが許されている職場全体がまともでありうるだろうか。こうした視点で見直したい。
 
 

■ 超金融緩和とはどういうことか

重要なのはここまでである。日銀への対応に注目が集まっているが、さほど大きな問題とは筆者は思っていない。とはいえ金融のことはわかりにくいとの声がある上に、経済学的に意味不明のものまで含めて諸説が乱戦状態となっているので、整理しておきたい。また注意を要する点もあるから、記しておく。
 
安倍氏の主張は、日銀の金融緩和不足がデフレ・不況の元凶であり、超金融緩和策と物価上昇目標の設定を強要することで簡単に脱却できる、というものである。また今は一時保留しているが、中央銀行の独立性を否定し政府に従わせるための日銀法改正を主張している。さらに、これも批判を浴びて今は引っ込めているが、国債の日銀引き受けを一時主張した。
 
これはもともと岩田規久男・学習院大教授を総帥とする「リフレ派」と呼ばれる金融学界の極少数派の主張であり、十数年にわたって論争されてきた。専門家の大半は反対している。こういう面倒な議論が政治に取り上げられることも、安倍氏と結びついたことも、筆者はよく理解できない。
 
論点の1つ目は超金融緩和である。安倍氏とリフレ派は、日銀は緩和策をとっていないと非難している。たとえば、2008年の世界的金融危機後、米欧の中央銀行は自身の資産を2〜3倍に増やしたが日銀は30%しか増やしていないという。
 
これはこういうことである。管理通貨制のもとでは貨幣を好きなだけ印刷して発行できると思っている人がいるが、誤りである。現在の中央銀行券は、同じ不換紙幣でも、権力で強制通用させる軍票や江戸時代の藩札のような政府紙幣とは異なり、取引相手である金融機関との商取引(等価交換)を通じて出ていく。たとえば中央銀行は民間銀行から国債を買い取り、その代金として貨幣が出ていく。この結果、買った国債が中央銀行の貸借対照表の資産額を増やし、同時に市中に出した貨幣の額を示す。
 
08年リーマン・ショック後の日銀の資産増(=貨幣発行)が少ないというが、日本はバブル崩壊後・90年代からすでに大幅に貨幣発行を増やしていたのだから、当たり前である。90年代初めの40兆円から、現在の160兆円まで、4倍にも増えている。その結果、中央銀行資産の経済規模(GDP)に対する比率は、米20%弱、欧30%弱に対し、日本は34%に達している。事実は、日銀はすでに金利をゼロまで下げ、さらに大量の資産買入れで目一杯貨幣を出して金融緩和しているのである。伝統的には禁じ手である不動産投信のような危険資産の買い入れにまで踏み込んでおり、心配でさえある。リフレ派はごまかしをやめるべきであろう。彼らはこの十数年間、効果がないのはまだやり方が足りないからだと言い続けてきたが、日銀は民間銀行に貨幣を目一杯渡しているのに、そこから世間に出回っていかない(銀行の手元に40兆円も遊んでいる)ことこそが問題なのは明らかである。民間銀行は営利企業であるから、自分の利潤が最大になる額だけ貸出を実行し、それによって社会に通貨が出回っていく。その額が増えないのである。
 
 

■ 2%物価上昇目標

2つ目の論点は物価上昇率目標(inflation targeting)である。これはもともとインフレを抑えるために各国で導入された。物価上昇率目標を中央銀行が公約し、達成できなかったら何らかの罰を加える(罰にはきついものから軟らかいものまである)という制度にすれば、さすがに中央銀行は必死に何とかしようとするだろうから、国民は目標達成を信じるであろう。つまり国民の心理・マインド(この場合は先行きの物価動向の予想)が変わる。これが実際に物価を目標に近づけるために重要だというのである。
 
人々の心理(expectation:予想・期待と訳す)がマクロの経済動向に影響を及ぼすことは事実である。たとえば人々がこの先もデフレが続くというマインドであれば、企業は売上収入金額が伸びないと予想するから設備投資や人件費などに支出しないし、家計も収入は伸びず買い控えた方がいいと予想するから消費せず、不況対策を打ってもデフレと不況が続く。だから人々の心理を変えることが重要だということになる。
 
現在の日本でいえば、目標を設定するのはいいが、先にみたように実際に金を出回らせ物価を上げる手段が日銀にあまり残されていないことが重大な問題である。したがって、具体的な手段はないけれども、ともかく騒ぎ立てて心理的な転換を狙い、何だか物価・景気が上向きそうだという気分を作り出して、資金需要を拡大し、銀行から金が出回っていくようにさせるほかないということになる。この意味で基盤の弱い、賭けの要素が強いものになる。
 
関連して注意すべき点を述べておこう。第一に、中央銀行の独立性を侵してはならない。政治は常に景気上昇・物価上昇の方向にもっていきたいバイアス(偏向)をもっている。これが数々の被害の歴史を生んできた。その教訓から世界的に中央銀行の独立性が認められてきたのであり、安倍氏の強要的なやり方は危険である。第二に、国債の日銀引き受けは歯止めをなくすので不可である。第三に、金融政策運営を物価目標達成だけに機械的に拘束させると、バブルが起き始めているのに物価は安定しているのだから引き締め出動できない(1980年代に実際に起きた)という罠にはまる。だから今回の共同声明で日銀は「金融的不均衡を含めたリスク要因を点検し」との文言を入れたのである(金融的不均衡とは中央銀行用語でバブルのこと)。こうした柔軟性をもたせることが絶対不可欠である。
 
なお、日銀に雇用や景気まで責任をもてという安倍氏の態度は行き過ぎ、責任転嫁になる。それらは当然政府の責任である。また、人々に景気上昇マインドを持ってもらうには、物価目標だけでなく名目経済成長率目標を強く打ち出すことが適切であろう。そして日銀にあれだけの強要的態度をとるからには、成長率目標不達成の場合には内閣・首相が責任をとるとすべきであろう。
 
 

■ 「アベ相場」のあと

株価が上がり、円安になっている。これは、市場の資金運用者たちが、安倍氏の言動でもしも本当に日本で金が出回り景気が上昇したらという可能性に賭けて起こっている。筆者は安倍氏の言動がきっかけになったという意味でのここまでの功績を認めるし、景気上昇につながってほしいと願っている。
 
ただし、期待依存のものなので、薄氷の上のダンスに近い。どこかで期待が揺らぐと、雪崩を打って反動・逆行に転ずる危険は大きい。また、財政悪化の疑念がもたれたり、金利上昇で国債利払いがきつくなると恐れられたりした場合も、一転して日本は危ないとの見方にもなる。思惑依存のものであるためきわめて不確かなものと思っておかなくてはならない。リスクがきわめて大きく、恐ろしい。
 
最後に確認であるが、物価が上がり景気が上昇したとしても、あくまで当面のことであり、日本経済の委縮構造という慢性病の存在は変わらない。安心を提供する社会に転換することが本筋の課題である。このことを忘れず、転換を求めなくてはならない。
 

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