●2006年9月号
■ 資本の一層の専横を招く労働契約法制
(松永裕方)
労働部門の規制緩和・労働法制改悪の「総仕上げ」ともいうべき作業が進行している。厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で行なわれている、労働契約法の制定(一部労働基準法改正を含む)と労働時間制度の見直し(労働基準法改正)をめぐる議論がそれである。
もともと労働契約法制定の必要は、パートタイムなどの有期雇用労働者の適正な労働条件の整備、均等待遇の確保のために主張されてきたものであった。だが、現在の議論の方向はこれとは全く逆に、全般的な労働条件の低下、果てしない長時間労働に道を開くものになっている。さらに危険なのは、戦後の日本の労働法制の根本的転換につながりかねない動きであることである。
7月18日に予定されていた「中間報告」は見送られたが、07年通常国会への法案提出という厚労省の方針は変わらないとされている。6月13日に公表された中間報告素案「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について」(以下、「素案」)を基に、この秋以降に審議が本格化し、法案化の動きが強引にすすめられていくことになる。
この問題については、本誌はすでに6月号の田島恵一論文「格差社会を無視する労働契約・時間法制」、7月号の小川英郎論文「危険な自律的労働時間制度」で取り上げている。内容批判に関しては両論文を読んでいただければ十分なので、ここでは、その後に発表された「規制改革・民間開放推進会議」の意見書(以下、「意見」)を含めて、資本家側の狙いを明らかにする観点から、この問題を再度取り上げることにした。
■雇用形態の多様化、個別化が法制定の理由に
1998年から具体化する労働法制改悪が、労働契約期間の上限規制の緩和、裁量労働制の拡大、労働者派遣の拡大などであったように、その中心が有期雇用の拡大による雇用流動化の推進にあったことは、いまや誰の目にも明らかである。
パート、アルバイト、契約、派遣、請負などの非正規雇用労働者は、現在すでに全労働者の3分の1を越えている。財界が強く望んだコスト削減は、非正規雇用の拡大による賃金水準の切り下げ、企業の社会保障負担の軽減によっても実現したし、景気変動に備える雇用量の調整も、採用も解雇も容易な有期雇用労働者を増やすことによって可能になった。労働部門の規制緩和・労働法制改悪がすすむにつれ、低賃金層の増加と貧富の差の拡大、医療・年金など社会保障制度の空洞化が進展した。さらにそれにとどまらず、不安定雇用の増加は、若者に将来設計を持ちえなくし、少子化の原因の1つにもなった。規制緩和が、今日の社会不安を招く大きな要因となったことは否定できない。
このように、規制緩和の進展が日本の労働者の環境を大きく変えたのは事実である。雇用形態の多様化、それに伴う労働条件の変化・多様化が、いまや労働契約法の制定、労働時間法の改正を必要とする理由にされているのである。
旧日経連の「新時代の『日本的経営』」では、雇用・就労形態を3つに分ける方向が示されていた。長期雇用はできるだけ少なくし、派遣や、パート、契約など有期雇用労働者を増やし、賃金形態はそれに応じて成果主義賃金、年俸制、職務給・時間給とするという方向であった。これを就業形態の多様化・複線化といい、労使関係や労働条件の個別化の進展ともいわれてきた。個別労働紛争が増加したのは、労働組合の力量低下の反映でもあるが、多くは「個別化」の結果と説明され、新たに労働契約法を必要とする理由になっている。厚労省「素案」が法制定の必要性として挙げているのも、就業形態の多様化とか個別化ということであり、「労働条件の小グループ化や労働条件の変更の増加がみられる」からだとしている。「規制改革・民間開放推進会議」の「意見」では、「働き方の多様化・複線化による、再チャレンジが可能な労働市場の形成」が求められており、「新しい働き方にマッチした労働契約や労働時間の仕組み」にする「制度改革」が必要だとしている。
■ 労働法体系を切り崩す危険な方向
では、労働契約法はそもそもどういう性格のものとして制定されようとしているのだろうか。
この点に関して明確に述べているのは、「意見」である。「意見」は、労働契約法制は「あくまでも民法の特別法」として「位置付けるべき」だと言っている。だが、「特別法」にしろ、民法としての位置づけをするというのはどういう意味を持つのだろうか。「意見」で述べられているのは、労働契約法も契約法である以上、「契約当事者の意思を尊重し、当事者自治を本旨とすべき」だということである。契約当事者の労使を「対等な立場」にあるものとして、両者の自由な契約を規制する民法として位置づけよという主張である。「意見」は、「労働者保護の確保」から「労使自治の尊重」への観点から法案を検討せよ、とも言っている。
ところで、労働法制改悪の流れの中でよく使われる言葉に、「自立した労働者」というのがある。もしこれが、労働組合や労働法で保護が必要な弱い労働者から、強い「自立」した個人としての労働者に変化したという意味で使われ、法改正の理由にされているとすれば重大である。
民法のような一般法は、それぞれに「自立」した対等な市民の間の契約を前提にしている。だが、企業と労働者個人の関係は決して対等ではない。労働者は、個人ではなく団結したときに初めて、雇い主との対等な関係に立つ、あるいはその可能性を得ることができる。だから労働者が団結し、団体として企業と交渉して労働条件を確定するなどの権利を認める法律を、一般法とは別に確立する必要があったのである。労働組合を作ったことを理由に解雇したり、団体交渉を理由もなく拒否する自由を企業に認めていては、労働者の団結を保障したことにはならない。また、個人では弱い立場にある労働者が、不当に低い賃金や長時間労働を強制されるようなことがあってはならない。そのために労働法や労働基準法などの労働法制があるのであり、世界史的にみても資本主義の下での労働者階級の長く苦しい闘いの中から勝ち取られてきたものである。
日本経団連など資本家側は、雇用形態の多様化を、生活のニーズに合わせた多様な働き方の選択であるかのように宣伝してきた。しかし雇用形態の選択を、労働者の自由意志によるものであるとか、労働契約を、「自立」した労働者と使用者との自由意志による契約であるかのように言うのは、デマ宣伝にも等しい。成果主義賃金や年俸制、裁量労働制などは労働条件の個別化には違いないが、労働法の保護を外れた契約関係になったわけではない。労働契約法を民法として位置づけることは、戦後日本の労働法制の根本的転換への踏み出しになりかねない危険性を含んでいる。
■ 就業規則を労働条件決定の万能法に
「素案」は、「労働契約は、労働者及び使用者が実質的に対等な立場における合意に基づいて締結され、又は変更されるべきものである」、と言う。こう言いつつ、労働契約法の内容としてまず挙げているのが、就業規則の定めを労働契約の内容とする旨の規定である。「労働契約締結の際に、…就業規則がある場合には、…当該事業場で就労する個別の労働者とその使用者との間に、就業規則に定める労働条件による旨の合意が成立しているものと推定する」、とある。
労使の合意で締結される労働協約とは違って、就業規則は使用者が制・改定するもので、労使合意は前提になっていない。だから就業規則の効力や拘束力に関しては論争があり、確立された定説がないのである。もちろん、労働基準法を全く無視するなど使用者が無制約に制定できるわけではないが、これを使用者と個別の労働者との間の「合意」の成立というとすれば(「素案」は成立とは断言せずに「推定する」という表現を使っている)、就業規則が事実上労働条件決定の万能法になることになる。使用者側が一方的に労働条件決定の指導権を握ることになり、そのますますの専横を許すことになる。
しかし、「規制改革・民間開放推進会議」はこれでも満足しない。「素案」に、労働契約は労使の「対等な立場における合意に基づいて締結」されるとあるのが気に食わない。「それが仮に労働者の個別同意がない限り、労働条件の変更ができないという趣旨を含むのであれば、…判例法理に照らしても、疑問がある」、というのである。それだけではない。「素案」が、雇用形態にかかわらず「労働条件について均衡を考慮したものとなるようにする」と述べている点についても、次のように言っている。
「限られた人件費のなかで、正社員・非正社員間の均衡処遇を実現するためには、正社員の労働条件を一方で引き下げることが必要になるが、労働条件(就業規則)の不利益変更が容易に認められない現状においては、それも難しい」。このような「法律による均衡処遇の強制」は、「非正社員の雇用機会の減少を招く」、と。
労働条件の変更に関して、労働者の同意など必要ない。均等待遇とは正社員の労働条件を下げることである。労働契約法は、労働者の同意や均等待遇を謳うようなものであってはならないという主張である。ぬけぬけとこう言っているのであるが、驚くのはまだ早い。「意見」は、就業規則の届出や周知を使用者が「失念」した時のことについてまで言及している。こうしたことは「稀ではない」ので、これを認めないというのでなく、「合意を推定する等、適切な措置が講じられるべきである」、とまでいうのである。
■ 契約変更権を企業の下請け機関に
次に「素案」は、就業規則の変更と労働契約の関係について述べている。
まず、就業規則の変更が労働基準法を遵守した「合理的なものである」ときは、「個別の労働者と使用者との間に、変更後の就業規則による旨の合意があるものと推定する」としている。就業規則を企業が変更しても、それが「合理的なもの」であれば、労働者が合意した労働契約となるということである。
もちろん「素案」でも、過半数組合がある場合は、就業規則の変更は組合の容認が前提になっている。しかし過半数組合がない場合は、これに「準ずる法的効果を与えること」を検討する必要があるとして、過半数代表者との間の合意、あるいは、「労使委員会の決議」を挙げている。
過半数代表者や労使委員会は、田島論文にあるように、それは本来、労基法三六条の時間外労働をはじめ、変形労働時間制、裁量労働制など、法律の最低基準の規定を解除する場合だけに限定されたものである。しかし、これらに労働契約の変更など、過半数組合と同じ機能を与えるというのが「素案」の趣旨である。労働組合にとってかわる機能を与えるということである。だが過半数代表者の実態は、使用者の意向を受けた、労働者代表とはいえない従業員である場合がほとんどで、使用者の下請け機関と化しているのが現実である。「素案」も、親睦会の代表者が自動的に労働者代表になったり、一定の従業員だけの話し合いで選出するなど、適切でない事例があることを認めている。労働者代表の選出の実態がこうである限り、労使委員会も使用者の下請機関となるのは避けがたい。
過半数代表者や労使委員会の設置を促進し、実質的に労働組合にとってかわる機能を与えることは、労働者との「合意」という形をとって、労働条件の変更を使用者が意のままにすすめる条件ができるということである。組織率が低下すればするほど、このような使用者の下請機関にすぎない従業員組織に取って代わられる危険性が高まる。
■ 解雇の金銭的解決制度の導入
労働契約法のもう1つの大きな狙いは、解雇の金銭的解決制度の創設である。
この制度は、1つは、解雇をめぐる紛争の長期化を避けるために、調停や斡旋等の「紛争解決手続き」中に、「労使双方が金銭による紛争の処理を申し出る」ことができるようにするということ。もう1つは、解雇無効の判決がなされても、原職復帰が困難な場合には、これを「金銭で迅速に解決」できる仕組みにする、ということである。どんなに不当な解雇であっても、金さえ払えばいいということである。金銭で解雇無効の判決をあらかじめ買い取ることができる、また、仮に判決が出ても金を払えば被解雇者を職場に戻す必要はない、ということである。
「素案」は、「解雇に関するルールの明確化」として、以下の3点を検討するとしている。
@労働基準法第一八条の2「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を乱用したものとして、無効とする」の規定を、労働契約法に移すこと。
A整理解雇については、整理解雇四要件(人員削減の必要性、解雇回避措置、解雇対象者の選定方法、解雇に至る手続)を含め、客観的に合理性を欠き、社会通念上認められない場合は、権利濫用として無効とすること。
B普通解雇についても、解雇理由の明示、是正機会や弁明機会の付与など、必要な手続きをとる必要があること。
労働契約法に、03年の労働基準法改正で設けられた第一八条2項と、裁判の判例で確定している整理解雇四要件を明記するのは当然のことであり、使用者が解雇理由を明示すべきだというのも当たり前すぎることである。しかしこれら当然のことが、金銭解決の導入によってほとんど意味をなさなくなる。特に@とAのような、労働者のこれまでの闘いの積み重ねのうえに勝ち取られた成果も、一挙に奪われてしまうことになる。解雇無効の判決が出ても職場に戻さなくていいのだから、使用者にとって気に食わない、権利を主張するような労働者は、多少の費用を要するが、何時でも職場から追い出すことができるのである。
この点について「意見」は、金銭的解決はいいが、「解決の額が恒常的に高い水準」になることを心配する。そうなれば「正社員としての雇用が企業にとってリスク」になり、「採用に消極的になる」というのである。また、「素案」に、労働者の軽過失による損害について「使用者は労働者に対して求償できないこととする」とあるのに対して、これを一律に「否定すべきではない」という。さらに、使用者は労働者に対して「執拗な退職の勧奨及び強要を行なってはならない」とあるのに対して、「裁判所が解雇を容易には認めないという現実」を「直視せず、退職勧奨・強要のみを問題視することには疑問がある」と言っている。
■ 法定休日の付与と時間外割増率の引き上げ
労働時間法制については、時間外労働の削減、年次有給休暇制度の見直し、自律的労働時間制度の導入を掲げている。この中で最大の問題は、自律的労働時間制である。
時間外労働の削減に関しては、1ヶ月に40時間以上時間外労働をさせた場合は1ヶ月以内に1〜2日の健康確保のための法定休日を与えること、1ヶ月に30時間以上の時間外労働をさせた場合は割増賃金の割増率を引き上げる(例えば5割)こと、を検討課題として挙げている。年休の見直しに関しては、1つは、使用者は、年休のうち一定日数(5日程度)を連続休暇とするよう努めること、突発的事由にそなえて時間単位で年休を取得できるようにすること、が挙げられている。
これらは、「次世代を育成する世代(30代)の男性を中心に、長時間労働の割合が高止まりしており、過労死の防止や少子化対策の観点から、労働者の疲労回復のための措置を講ずる」必要があるとして、提起されているものである。これ自体は当然のことといってよいが、先の「意見」が次のように言っていることは看過できない。「意見」は、休日の付与や割増賃金の引き上げは、企業にとっては新たなコスト増であるから、割増賃金の算定基礎となる賃金を低く抑えることになるとか、割増賃金を引き上げる場合には「適用除外の範囲を大幅に拡大することが必要」などといっている。
■ 自律的労働時間制の創設
労働時間法制の目玉は、一定の労働者には労働時間規制を除外する制度、自律的労働時間制の導入である。日本経団連が数年前から求めてきたホワイトカラー・エグゼンプション制度導入の要求に応えて出されてきたものである。
「素案」が挙げている対象労働者の要件は、
@使用者から具体的な労働時間の配分の指示を受けることがなく、追加の業務指示を一定範囲で拒絶できる者、
A通常の労働者に比し相当程度の休日が確保されている者、
B出勤日又は休日があらかじめ確定している者、
C賃金の額が一定水準以上の額である者、
である(なお、物の製造の業務に従事する者は対象にならないものに指定する、としている)。
このような働き方をしている労働者には、1日8時間とか週40時間などの労働時間の法的規制からはずすというのが、自律的労働時間制なるものである。しかし、上記の要件を満たす労働者といっても、その範囲は必ずしも明確ではない。「素案」には、対象労働者の範囲は当該事業所の労使の「協議に基づく合意による」とか、「全労働者の一定割合以内とする」とあるが、今後その範囲をめぐっては大いに議論になるところであろう。すでに日本経団連は、年収400万円以上が対象労働者だという主張をしている。そうなると、準管理者的な層だけでなく、一般事務職の大半が自律的労働に従事する者となり、労働時間規制から外されることになる。
自律的労働時間制が採用されれば、長時間労働に対する歯止めがなくなり、今でさえ多い労働者の健康破壊、過労死や過労自殺などが、さらに激増することになろう。不払い残業(サービス残業)などは問題にもならなくなる。
先の「意見」に見るように、労働契約法は労働法ではなく、民法の特別法として位置づけ、労働者保護から「労使自治を尊重する観点から」検討を行なうべきだという主張がなされている。「労使自治」は聞こえはいいが、労働者保護の法的規制を外す主張であるとすれば大きな問題である。サービス残業に関して、トヨタや電力各社が相次いで労働基準監督署の摘発を受けていた頃、日本経団連は、このような「労働時間をめぐる労働監督行政」は、「労使による取り決め」に対する介入である(05年版「経営労働政策委員会報告」)としたこと、同時に「労働契約法制は、労使の自主的な決定と契約自由の原則」に立つことを求めたことを、忘れるわけにはいかない。
最近表面化した偽装請負問題では、日本経団連会長の出身企業のキャノン、前会長のトヨタ、あるいは松下といった日本を代表する企業や下請企業の名前が次々に出てきている。コンプライアンスが強調されながら、企業の不法行為は後を絶たない。しかしこうした状況にもかかわらず、企業の側は「意見」に見られるような主張を、今後の議論の中でいっそう強めてくるだろう。労働者側の明確な主張とこれを後押しする大衆運動の強化が求められているのである。労働法制転換への一歩を踏み出すような事態を、決して招いてはならないからである。
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