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●新年にあたりて 科学的社会主義の学習のために (社会主義協会代表 佐藤 保・2004年1月号)
 
■ 社会主義の旗を掲げて50年
 
 本誌の創刊号(1951年6月)に「この雑誌の名づけ親は、大内兵衞氏である。それはみんなに異議なく賛成された。提案の時に大内氏は言った――
 
『もう日本の労働者階級も、自分のものとして、社会主義の旗を高く掲げてもいい時ではないか』」と、高橋正雄氏(最初の社会主義協会同人の一人)が書いている。
 
 その時から半世紀、われわれが掲げつづけてきた社会主義の旗は、いま、激しい暴風雨に晒されている。この暴風雨に抗して、社会主義の旗を高く掲げつづけることは、容易なことではないというより、かつて経験したことがないような困難な仕事となろう。
 
 1917年のロシア社会主義革命が、社会主義運動はもとより労働組合運動でさえ法律で禁止されていた日本で、苦闘していた孤立無援の労働者運動の活動家たちに、どんなに大きな勇気と励ましを与えたかは、たとえば山川均がロシア革命で受けた影響は「生涯のうちで最も大きな影響」と言い、「英国労働党のベヴァンが何かの演説の中で、ロシア革命の報道が初めてきた時、イギリスの労働者は街上で相擁して泣いたと言っていますが、日本でもその通りです」(『社会主義』5周年記念号、1956年10月)と語っていることからも明らかだ。
 
 その社会主義国家が崩壊してしまったのだから、その衝撃、とりわけ労働者運動にたいする衝撃の大きさは、はかりしれないものがある。ソ連の崩壊は、社会主義そのものの破産を意味するのだという見解や主張がマスメディアなどでは、むろんのこと、社会主義の研究者や学者などの著作にも、氾濫している。かつては、若い活動家たちが、社会主義の必然性について何の疑問もなく語り合い、多くの働くものの希望の光でさえあった社会主義が、今はその輝きを失い、時代遅れの過去の遺物となってしまったかのような考え方が横行している。
 
 それでも、われわれは、社会主義の旗を掲げており、これからも掲げつづけていきたいと思う。なぜなら、ソ連の崩壊は、決して社会主義の破産ではないからである。もともと科学的社会主義の思想・理論は、ロシア十月革命よりもずっと前に、資本主義社会の批判、資本主義的生産様式の批判的分析の理論的帰結として生まれたものであり、この思想・理論に導かれて、十月革命は行なわれたものなのだからだ。それゆえに、十月革命により始められた社会主義建設の挫折、ソ連崩壊によって言えることは、社会主義の思想・理論が社会的実践によって証明されるまでには至らなかったという事実だけである。社会主義の破産が証明されたなどということではない。だが、この事実は重くうけとめねばならぬ。そして社会主義についての学習、研究をこれまでにもまして強め、深めなければならない。さらに強まるであろう逆風に、たじろがないで、先人たちが苦労して掲げつづけた旗を守り、前進していくために。
 

■ 社会主義の三つの側面
 
 周知のように、社会主義という言葉は、社会主義の思想・理論、その思想・理論にもとづく社会主義運動、この運動によって実現される社会体制としての社会主義社会(厳密に言えば、マルクスは共産主義社会と言い、レーニンがその低い段階を社会主義社会と呼んだ)、という3つの側面を含んでいる。したがって、社会主義に関する学習、研究は、この3つの側面にわたって行われなければならない。
 
 そこで、まず、社会主義の思想・理論に関しては、エンゲルスが述べているように、唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露というマルクスによる二大発見によって、社会主義は科学となったのだから、弁証法的唯物論、唯物史観と『資本論』に集大成されている経済学の学習が大事なことは言うまでもない。さらに、内外の社会主義運動について、またマルクスとエンゲルスが資本主義社会批判の論理的帰結として構想した社会主義(共産主義)社会、その具体化としてのロシア十月革命と社会主義建設およびその失敗挫折の経験など、学習し研究しなければならぬ課題は山ほどある。
 
とりわけここで強調しておきたいのは、社会主義を学ぶにあたっての資本主義社会に関する学習・研究の重要さである。
 
 先にも述べたように、マルクスとエンゲルスは、資本主義社会の経済学的解剖、資本主義的生産様式批判の理論の展開によって、その帰結として社会主義(共産主義)に到達したのである。そのことをエンゲルスは、「近代社会主義は、その内容から言えば、なによりもまず、一方では今日の社会にある有産者と無産者、資本家と賃金労働者の階級対立を、他方では生産における無政府状態をみた上で生まれたものである」(『空想より科学へ』岩波文庫)と言うように述べている。またマルクスは、資本主義社会の経済学的解剖の書である『資本論』のなかで、たとえば、「人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を意識して1つの社会的労働力として支出する」「自由な人間の1つの協力体」、さらには「社会的生活過程、すなわち物質的生産過程の態容は、それが自由に社会をなしている人間の生産物として、彼らの意識的な計画的な規制のもとに立つようになってはじめて、その神秘的なおおいをぬぎ捨てるのである」(『資本論』岩波文庫 第一分冊)というように、断片的ではあるが数多く、未来の共産主義社会に言及している。
 
 マルクスが『資本論』で述べたのは、「主として資本主義的商品生産の論理的な性格である」「それは、労働力をも商品とした社会における経済的運動の論理的な展開」である。いいかえると、「剰余価値の論理的展開」である。そして、「剰余価値の法則の論理は、資本主義的蓄積の一般的法則の展開を生まざるを得ない」(向坂逸郎『マルクス経済学の方法』)。『資本論』で要約してのべられている、この展開の結論部分だけを引用しておくと、こうである。
 
「この転形過程が旧社会を深さにおいても、広さにおいても十分に分解してしまえば、労働者がプロレタリアに、その労働諸条件が資本に転化されれば、資本主義的生産様式が自己の足で立つに至れば、労働のさらにそれ以上の社会化、および土地その他の生産手段の社会的に利用されるしたがって共同的な生産手段へのさらにそれ以上の転化、したがって私有者のさらにそれ以上の収奪は、1つの新たな形態をとる。今や収奪されるべきものは、もはや自営的な労働者ではなく、多くの労働を搾取しつつある資本家である」「この収奪は、資本主義的生産自体の内在的法則の作用によって、諸資本の集中によって実現される」「この転形過程のあらゆる利益を横領し、独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大するのであるが、また、絶えず膨張しつつ、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され、結集され、組織される労働者階級の反抗も増大する。資本独占は、それとともにかつそれのもとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなるところの一点に到達する」。(『資本論』岩波文庫〔3〕)
 
 こうして、他人の労働の搾取に基づく生産手段の資本主義的私有を基礎とする社会から、生産手段の社会的所有を基礎とする協同社会への飛躍が、必然的となる。むろん、これは資本主義的商品生産における経済的運動の論理的な展開の帰結であり、資本主義社会批判の論理的帰結としての必然である。それゆえ、この必然が貫徹されるには、労働者運動の実践が不可欠であることは言うまでもない。
 

■ 理論と実践の統一
 
 最後に、科学的社会主義を学ぶうえで、大事だと思うことを1つだけあげておきたい。
古い諺に「論語読みの論語知らず」というのがある。いくら熱心に『資本論』を学習しても、その人のものの見方考え方が、学習前と少しも変わらないというのでは、科学的社会主義を学んだとはいえない。そうならないために、これから学習する人、さらに深く研究しようとする人に、読んでもらいたい、読んだことのある人は、もう1度読み返してもらいたい書物がある。日本における最も優れたマルクス、とりわけ『資本論』の研究者である向坂逸郎の『資本論入門』(岩波新書)と『マルクス経済学の方法』(社会主義協会出版局)である。
 前書の「あとがき」には、次のようなことが書かれている。
 私は、小学校を出ただけの人もまじっている三池労組の人々とともに『資本論』の学習をやって見た。1週に1度10ヵ月もつづけたある日、そのうちの1人の労働者に「むずかしいですか」と聞いた。その人は「私は〈資本論〉に何が書いてあるか、いえといわれても、何もいえません。しかし、新聞雑誌を読んだり、〈職制〉が何かいったりするとき、あ、あれが〈資本論〉に書いてあるあのことだな、と、なんとなしに思うことがあります」といった。私はその時、うれしかった。始めは「なんとなしに分かる」のである。この『入門』で『資本論』が「分かる」というわけにはいかぬ。ただ、なんとなしに分かってもらえば幸いである。それから、『資本論』そのものを読んでほんとうに分かってもらいたい、と。
 
「マルクスは労働者のために『資本論』を書いた」というのが、向坂先生の口ぐせだった。そして、その通り実践した。そこで、この『入門』を読んで、『資本論』を読みたいと思ったら、ちょっと我慢して、『マルクス経済学の方法』を読むことをすすめたい。むろん、すぐ、『資本論』にとりかかってもよいが、その場合は、『マルクス経済学の方法』を併読したほうがよい。道案内無しに山に登るという方法もあるが、『資本論』ほどの高い山になると、その山を知り尽した老練のガイドがあったほうがよい、と私は自分の経験から思う。この本の著者は、『資本論』をくり返し読み、マルクス、エンゲルス、レーニンの諸書をくり返し読んで、深く研究してこの書を書いている。ちなみに私の場合は、『資本論』の最初に出てくる「商品の価値」が、どうにか分かったと思ったのは、この本のもとになっている『経済学方法論』を、くり返し読んでからであった。
 
 むろん、この『方法』も、やさしい本ではない。読むのは、すらすらと読めるが、本当に深く理解するのは、簡単ではない。この本が本当に理解できたときには、『資本論』の根幹がめたといってよいと思うが、さしあたり、著者が「まえがき」で言っているように、マルクスの経済学を学ぶ意味をみ、『資本論』の性格とこれを読む態度とを理解する手がかりとして、読み始めればよいと考える。
 
 さきにも述べたが、マルクスは『資本論』で「資本主義のメカニズム」を明らかにし、「資本主義のもつ固有の法則を論理的に充分に展開させて、その歴史的性質と歴史的限度とを明らかにし、その社会主義への転化の必然を資本主義のもつ固有の矛盾の中に発見する」(『マルクス経済学の方法』)。この論理的必然を、現実の社会のなかに貫徹させ歴史的事実として実現するのは、人間の、労働者階級の実践である。理論と実践の統一である。
 
資本主義は変わったが、その構造とメカニズム、固有の法則は全く変わっていない。

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